第4章の後半では、ゲーデルの定理によって存在が明らかになった「真であるのにその数学システムによっては証明も反証もできない命題」が、アルゴリズムに
よって生成できる「集合」(帰納的集合や帰納的に可算な集合)には含まれない非帰納的数学に属することを考察し、さらにそうした非帰納的数学に含まれる他
の具体例としてマンデルブロー集合、語の問題やタイル張りの問題が紹介される。
あるアルゴリズムによって生成できる集合を「帰納的に可算」であると言う。例えば{0,2,4,6,…}という偶数の集合は、2に0から始まる整数を乗じるアルゴリズムで簡単に生成できるから、帰納的に可算な集合である。
さらに、「ある集合」が帰納的に可算であり、さらに、そこに含まれないものの集合(補集合)も帰納的に可算であるとき、「ある集合」は帰納的集合と呼ばれ
る。したがって帰納的集合の場合、ある要素は集合か補集合のどちらかの生成アルゴリズムで必ず捕捉できるということになる。
では、システム内の「真なる命題」の集合は帰納的、あるいは帰納的に可算だろうか。既に見たゲーデルとテューリングの議論から、これは否定される。システム内の「真なる命題」全てを枚挙できるアルゴリズムは存在しない。真なる命題の集合は非帰納的数学に属する。
ここでペンローズは興味深い指摘をしている。
「非帰納的な集合はその性質上、きわめて本質的な点で複雑であるに相違ない。この複雑さが、ある意味で、あらゆる体系化の試みを拒んでいるに違いない。さ もなければ、体系化することそれ自体から、何らかの適当なアルゴリズム的な手続きが導き出されるはずだからである。」(143頁)これはどういうことか。
例えば、ある要素が集合に属しているかどうかを判定する手続きというのは、図式的に言ってみると、ある要素が集合の境界線のあっちにあるかこっちにあるかを調べるということである。その際、集合の 境界線がもし単純なもの(例えば直線)ならば、判定も単純であり、その手続きはアルゴリズムにできるはずである。しかし、真なる命題の集合のようにその手続きがアルゴリズム化できない非帰納的集合は、集合の境界線も複雑なはずである。
こういうことではないかと思う。
ここでペンローズが再び採り上げるのが、マンデルブロー集合
である。
マンデルブロー集合の補集合(図の白い部分)は、計算結果が発散してしまう値の集合だから、有限回の手続きによって枚挙できる。つまり帰納的に可算である。
しかし、マンデルブロー集合自体(図の黒い部分)は、無限回の計算をしない限り、正確には枚挙できない。つまり帰納的に可算ではない。
このことからペンローズは、マンデルブロー集合の補集合は、帰納的ではないが帰納的に可算な集合の例なのかもしれない、という予想を提示する。私にその方面の知識はないのでよくは分らないが、少し調べてみたところ、この予想の真偽はまだ明らかになっていないようだった。
もしも真なる命題の集合がマンデルブロー集合のような姿をしており、数学者の仕事がアルゴリズム化できないその異常に複雑で美しい境界の奥へ分け入ってゆくものなのだというなら、なんだか神秘的だと思う。
以降は、非帰納的な数学の分野として、ディオファントス方程式や「語の問題」、タイル張りやハミルトン閉路問題がごく簡単に紹介されているが、これは読み物として楽しんでおけば足りると思う。
さて、このようにして第4章で、人間の意識活動がアルゴリズムだけでは成り立たないことが、数学を用いて、数学を例として示された。今度は方向を変え、い よいよ現実の物理的世界のどこに非アルゴリズム的要素が存在し得るのかを探るために、ペンローズの説明は物理学の世界に入ってゆくことになる。