私はあまり詩がわからない。外国の詩はそもそも外国語ができないのだからわからないのは当たり前としても、日本語の詩がわからないことには、昔から少なからず劣等感のようなものがある。
和歌や俳諧なら、それでもだいぶわかる。近現代詩がだめなのだ。萩原朔太郎や宮沢賢治の作品には本当にいいと思うものがいくつかあったりもするが、それでも一部で、大部分は何が書かれているのかわからない。
図書館に行って、適当にあたりをつけていろんな詩集を借りてくるのだが、やっぱりよくわからずに全部読みきれず、がっかりすることの方が多い。
そこで先日「繰り返し読みたい日本の名詩100」(彩図社文芸部編集)という本を借りてみた。自分とが理解できる詩人をこれで見つけようというのである。
その中で、村野四郎という人の「花を持った人」という詩が、いいなと思った。とても短い詩だ。
くらい鉄の塀が
何処までもつづいていたが
ひとところ狭い空隙(すきま)があいていた
そこから 誰か
出ていったやつがあるらしい
そのあたりに
たくさん花がこぼれている
どんな人なのだろうと少し調べてみたら、卒業式定番の合唱曲「巣立ちの歌」の作詞者でもある人だった。ああ、そうだったのかとなんだか納得した。
私はこの歌がとても好きで、小学校3年生のとき、出席した6年生の卒業式で歌われているのを聴いてからいっぺんに好きになったのだった。音楽の授業で先生
に「何が歌いたい?」と尋ねられて「巣立ちの歌!」と答えたところ「みんなにはまだ早すぎるね」といって歌わせてもらえなかったことを覚えている。
「花の色 雲の影」「過ぎし日の窓に残して」というところが、とても好きである。曲も本当にいい。今でも大好きな曲。
こうしてみると、趣味や好みというのは子どものころから今まであまり変わっていないのだなあと、不思議な感じがする。