4 真理、証明と洞察(前半)

第2章においては、万能チューリング機械に関する考察によって、すべての数学的問題に答えるアルゴリズムは存在しないことが説明された。

次 にこの第4章では、第2章と同様にアルゴリズムの限界を示すにとどまらず、人間がその限界の外側で意識活動を行っていることが、数学を例にとって明らかに される。すなわち、アルゴリズムによってはそれが真であることも偽であることも証明できない数学的命題が存在すること、そして、アルゴリズムによっては証 明できないものの、その命題が真であることは人間の「考察」によるときには明らかであることが示されるのである。これがいわゆるゲーデルの不完全性定理と して有名な定理だ。

第4章の前半はその定理の説明にあてられている。ただ、この章は前半と後半(非帰納的数学と複雑性)のつながりがやや 分りにくいうえ、歴史的にはゲーデルの成果は第2章のチューリングマシンの概念に先行するものであるので、その点でも混乱しやすいように思う。この読書ガ イドも、前半と後半で分けて書いてみる。

ゲーデルの不完全性定理は、数学の定理としてはかなり異例といってよいほど、数学以外の分野にも影響を(それが正しい理解に基づくものかは別としても)及ぼしている。一般向けの解説書も多い。
そんな中で、ペンローズのような第一級の数学者が不完全性定理の本質を私のような素人にも分るように簡潔に説明してくれている。それだけでも、この4章はとても価値があると思う。

さて、ペンローズによれば、ゲーデルが不完全性定理によって示したことを文章で説明すると次のようになる(分りやすいように少しだけ言葉を変えてある)。
数 学システムが何であれ、それが十分に広範なものである限り、そして矛盾を含んでいない限り、このシステムで許されている方法を用いたのでは証明も反証もで きない言明が必ずこのシステムの中に含まれている。したがって、このような言明の真偽は許容された手続きでは「決定不能」である。さらに、公理系の無矛盾 性の言明それ自体も(中略)まさにこのような「決定不能」命題の1つになるはずである。(117頁)
ゲーデルは、ある数学システムの中では証明も反証もできない命題として次のようなものを示した。
命題P=命題Pの証明は存在しない
(※ここでは分りやすいように言語による言明の形で書いたが、実際には数学的な算術によって厳格に記述される。)
この命題は真だろうか、偽だろうか。
Pが真ならば、Pの証明が存在しないことになるが、それはPが真であることと矛盾する。
Pが偽ならば、Pの証明が存在することになるが、それはPが偽であることと矛盾する。
結局、Pの真偽は決定できない。

これにより、数学を、その中に含まれるあらゆる命題に証明を与えることができる「完全な」システムとして構築することは不可能であることが示されたのである。

ここまでは不完全性定理のダイジェストで、ペンローズの主張として重要なのは次からだ。ペンローズは次のようにいう。
こ のPの証明はシステムの中にはありえない。なぜなら、もしそのような証明があるとすれば、Pが実際に主張している言明の意味、つまり証明はないということ が偽だということになり、Pは算術的命題として偽だということになってしまうからである。われわれの形式的システムは、偽の命題が本当に証明されてしまう ほど、でたらめに作られていてはならない。(中略)したがって、Pは真なる言明でなければならず、Pは算術的命題として真でなければならない。こうして、 真なる命題でシステム内に証明をもたないものが見出されたのである。(123頁)
ここは少し分りにくいが、おそらく次のような説明ができると思う。

上 記の命題Pは、実際には算術的に記述されており、それ自体はただの記号と規則による構成物で、何の「意味」もないと考えることも可能である。しかし、数学 者がシステムの最初の規則を選ぶ段階では「意味」を考えて妥当な規則を選んでいるのであり、それによって構成された命題Pが人間にとっては「命題Pの証明 は存在しない」という「意味」をそもそも持ったものとして作られている以上、命題Pの証明はシステム内にはあるはずがない。つまり、システム内で証明でき ずともPは「真」であるはずである。

ペンローズによれば、不完全性定理の意義は、人間の知性の限界を示したことではなく、数学システム(アルゴリズム)によっては証明も反証もできない命題が存在するとしても、人間は上記のようにその真偽を洞察によって決することができることを示した点にある。
結 論は完全に認められるものであるのに、その証明には算術の標準的形式的システムの元来の規則と公理の外部にあるような洞察が必要となる実例が、数学的文献 に数多く見られる。こうしたことはすべて、真理の判断に到達するための数学者の心的手続きは、単にある特定の形式的システムの手続きに根ざしているのでは ないことを示している。(127頁)