しづかなる暁ごとに見渡せばまだ深き夜の夢ぞかなしき作者の式子内親王は、平安時代の末期から鎌倉時 代の初期にかけての歌人。新古今和歌集における代表的な女流歌人とされる。久安5年(1149年)に生まれ、建仁元年1月25日(1201年3月1日)に 亡くなったというのだから、後鳥羽院から新古今和歌集の撰進の院宣が下りたまさにその年に亡くなったということになる。
私がこの歌に出会ったのは竹西寛子氏の「現代日本のエッセイ 式子内親王・永福門院」(講談社)の中でだった。生きていることへの容易に割り切れない思いを、31文字でこのように詠んだ歌人がいたことを知った驚きと喜びは大きかった。
この歌は、新古今和歌集の釈教の部に収められている。釈教とは、仏教やその思想について詠むことをいう。その前提に立つと、歌の解釈としては、まだ無明の闇にあって夢(煩悩)にとらわれている自分が悲しいとの意になるという。
作者による類歌として
暁のゆふつけ鳥ぞあはれなる長き眠りを思う枕にというものがある。ゆふつけ鳥は鶏のこと。主題としては同じであっても、こちらは自己を観じた歌であることは明らかだろう。それに比較すると、「しづかなる・・・」では「見渡せば」の句によって自己にとどまらない外側への視点の広がりが出ていると思う。
私としては、必ずしも仏教思想を前提としない読み方をしたい気持ちが大きい。もう少し単純に、詠まれた言葉をそのまま自分の中に収めておきたいのである。
静 かな夜明け前、皆がまだ眠る中、一人目覚めている作者が思っていたのは、それらまだ眠りの中にある人々の言葉どおりの夢だったとはいえないだろうか。眠り の中で人は、もうじき覚めてしまう夢を現(うつつ)として生きている。夢という言葉には、頼みがたい現実から離れての、儚い憧れの意味も含まれる。夢を多 く詠んだ内親王の作品についてもそれはいえる。たとえば次のような歌がある。
かへりこぬ昔を今と思ひねの夢の枕に匂ふ橘冒頭の歌も、儚い憧れという意味までをも包んだ夢を詠ったものとみたい。その夢を「かなしき」というとき、私は非難や悔悟ではなく、そうとしてしか生きられない人間についての悲しさとあわれみを読みたいのである。
窓近き竹の葉すさぶ風の音にいとどみじかきうたたねの夢
著作「式子内親王・永福門院」で、竹西氏はもちろん私のような勝手な読み方はされていないものの、次のように書かれている。
「一 たび釈教の歌と知ったあとで、その概念を消しはらうのは案外むずかしいことであるが、つとめてそのことから離れて読み返してみるのに、「しづかな る・・・」一首は、やはり神といわず仏といわず、人間を超えるものへの思いを自然にひき起す作品だと思う。これは、よい詩や小説の属性かもしれない。わず かながら自分の読み知った東西の古典に、直接あるいは間接にこの思いを喚起しなかったものがあったであろうか。」(式子内親王 八章)
内親王には、小倉百人一首で有名な
玉の緒よ絶えなばたえねながらへば忍ぶることも弱りもぞするの歌もある。しかし私自身はこうしたやや大袈裟な激情を詠んだものよりも、「しづかなる・・・」のように抽象的な主題を詠んだ歌や、そうした内親王の理知と澄んだ目で詠まれた叙景の歌の方が好きである。
浮雲を風にまかする大空の行方も知らぬ果ぞ悲しき頼みがたい現実を生きなければならない遣る瀬のなさと、自然を統べる何かの存在に敏感な詩人だったのだと思う。
草枕はかなく宿る露の上を絶え絶えみがく宵の稲妻
山深み春とも知らぬ松の戸に絶え絶えかかる雪の玉水