正田昭の「夜の記録」(聖母文庫)という本を読んで、またいま、何回目かを読んでいる。大切な友人の一人が教えてくれた本だ。正田昭は1953年に東京で 起きた「バー・メッカ殺人事件」の主犯である。死刑判決を受け、1969年に刑が執行された。私が死刑のことを考え始めるきっかけとなった加賀乙彦の「あ る死刑囚との対話」という書簡集で、加賀の対話の相手となった死刑囚「A」とは、正田昭死刑囚である。「夜の記録」は、正田死刑囚が獄中で書いた日記をま とめたものだ。

これらの本と、正田昭については、またいつか、よく考えて書いてみたい。私が今書きたいのは、死刑や彼の罪そのものについてではないけれど、「夜の記録」の中で、音楽についてこんな記述があったからだ。
「日 曜日の夕方、思いがけずラジオからミサ曲が流れ出したとき、わたしはあらゆる否定的な思いから解放され、涙があふれてきた。一人前のおとなが涙を流すこ と。あすの自分の運命を思ってではなく、苦悩の密雲の間から突如さし込む一条の光輝にも似た合唱ミサ曲の美しさに心をうたれて泣くとき、わたしはこの一週 間の生命がこの上もなくとうといものに思われるのだった。」(23頁)

「静かな夜、わたしはモツアルトを聞くことができた。ひとは、ふと した音楽の一節がどんなにわたしたちの胸をしめつけ、無垢の心を取りもどさせるか知らない。この瞬間、安っぽい歌謡曲なんかでなしに、モツアルトが、がた びしした拡声器から流れる瞬間、高尚なことがわかるはずもないとされているわたしたちの心は、感動し、涙ぐむのだ。じつに奇妙なことだが、わたしたちの心 をいやして聖なる美なるものに向わせるものは、道徳律や教条などではなく、美しい音楽のきれはしや、傷ついて中庭にうずくまる小ばとの姿なのだ。」(69 頁)
あるとき、ヨーロッパでひとりの人間が書きつけた、空気を振動させるあるやりかたについての指示が、数 百年後、鉄とコンクリートの城に生かされている極東の死刑囚の心を打つことの不思議を思う。音楽のきれはしから美しい恵みを汲もうとする彼の謙虚に比べ、 いまの私はどれほど鈍磨した耳で音楽を聞いているだろう。

その文章から、彼の誠実さと愛情を感じるたびに、彼が犯した許しがたい罪の内容との不釣合いに、やりきれなくなる。こんな文章もあった。
「さ る人にもらった本を窓べにすわって読む。こんな一文があった。 ―― 死刑囚?やつら、人間じゃないんだ。形は人の形をしているけどな。どんな優秀な機械 にしたって、数多く作るうちにゃ必ず不良品を出すだろう。その不良品はどうする?捨てるよりほかないんだ。人間だってこんなに多くいれば同じことさ。不良 品をそのまま使うわけにはいかないんだ・・・
 わたしは思わず本を伏せてしまう。わたしたちは、一方ではユマニテを回復すべく命ぜられながら、他方では永久にユマニテとは無縁の存在とされている。だ が、それもいたしかたないところだ。生きているかぎり、わたしたちは否定され続けるだろう。過去がいっさいを押しつぶすだろう。」(150頁)
人 を殺した人間が寝食を与えられ、読書をし、文章を書くことの矛盾は、たぶん彼自身が一番よく分っていたのだろう。彼が犯した殺人の罪は、許されない。社会 から否定され続ける彼自身が、他人の存在を最もひどいやり方で否定したのだから。私は、どんな犯罪者にも善く生きる可能性は残されていると考えたいけれ ど、まさに彼が他人のその「善く生きる可能性」を奪った動かし難い事実の前で、結局私は答えを出せないままでいる。