坂口安吾は、高校3年の現代文の授業で「堕落論」を読んで印象に残っていた。数年前に角川文庫から出ている随筆集「堕落論」を古本屋で見つけて、いつか読もうと買っておいたのだが、1ヶ月ほど前から、勉強に飽きてしまった時の息抜きに読み始め、やっと読み終わった。
その高校の時、「堕落論」の何が印象に残っていたのかといえば、次の文句である。
「二十の処女をわざわざ六十の老醜の姿の上で常に見つめなければならぬのか。これは私にはわからない。私は二十の美女を好む。」
その時は、意味も大して分からなかったが、安吾という人は非常に正直だ、とだけ思った。今読み返せば、「二十の美女」は、戦争中の破壊と、運命に従順な人間の奇妙な美しさについての暗喩である。安吾によればそれは幻で、敗戦後の日本の堕落こそが再生へのただひとつの方法のはずだが、「美女」の魅力もまた、安吾は否定できないのである。
やはり、正直なのだと思う。
安吾の文章には、一切のポーズ、自分の知性を高くみせたいがための小細工がない。説教くささ、思わせぶりな難解さがない。常に自分の気持ちと信念にまっすぐだ。読んでいてこんなに胸のすくような文章もない。
「青春論」「悪妻論」「恋愛論」等、様々な題名の小論で編まれたこの本だが、安吾の言いたいことは、どんな主題を語るにおいても一貫している。とにかく、生きることが全部である、ということ。その中には矛盾も堕落も背徳もあるだろうが、その上にしか生きることの価値などないということ。だから安吾は、そうしたものを遠ざけて、悟ったような顔で全てに決着をつけてしまう人間には、容赦ない。
この文庫の中には「教祖の文学」という随筆も収録されているが、これは小林秀雄をコテンパンにやっつけている、奇抜な作家論である。酒が入ったような独特の語り口で諧謔たっぷりだが、その狙いどころは一々鋭い。安吾にとって、人間を遠くから自分のものさしで眺めるだけで冷たく「鑑定」してしまう小林に、がまんがならなかったようである。安吾は小林を、もう地獄を見ることのない「教祖」であり、「骨董の鑑定人」にすぎないと断じている。
はっと不意をつかれたのは、その「教祖の文学」で、小林のような「見えすぎている」文学に対するアンチテーゼとして安吾が突然引用するのが、宮沢賢治の「眼にて云ふ」という詩であったこと。しかも全文である。「だめでせう とまりませんな がぶがぶ湧いてゐるですからな」という文句で始まるこの有名な詩は、僕もとても好きな詩だが(もちろんその内容は、もう好き嫌いを云々するものではないけれど・・・)、言葉の端々まで人間くさい安吾と、どこか半分透き通ったような宮沢賢治のイメージを比べると、そのつながりが意外に思われた。
しかし考えてみれば、自らを「修羅」と位置づけた賢治である。
「ほんとうに人の心を動かすものは、毒に当てられた奴、罰の当たった奴でなければ、書けないものだ」
という安吾とは、響きあうものがあったのだろう。確かに賢治も、人の生活と離れたところで思想や美学を振り回すことは決してしなかった。
ただ、次の一点についてのみ、安吾の言うことに強く反発を感じた。
「死ぬ時は、ただ無に帰するのみであるという、このツツマシイ人間のまことの義務に忠実でなければならぬ。私は、これを、人間の義務とみるのである。生きているだけが、人間で、あとは、ただ白骨、否、無である。そして、ただ、生きることのみを知ることによって、正義、真実が、生まれる。生と死を論ずる宗教だの哲学などに、正義も、真理もありはせぬ。あれは、オモチャだ。」
死ぬことを人間の義務とみることは、正しい。しかし、死を単純に「無」であると断言することはできないはずである。安吾は徹底して自らの生きた体験と感情に基いて物を書くことを宗としながら、自ら経験したことのない「死」について、外から眺めただけで単純に「無」であると断定してしまっている。ここに、安吾の軽率さを見る。哲学は、まさにそうした決めつけなしに物事を眺めることであり、そうした思考が人生の重要な要素ですらある人種だっているのだ。
ともあれ、十数年ぶりに読んだ「堕落論」は、いまだ鮮烈であった。
いつになるかは分からないが、主要な作品は一度きちんと読んでみたい作家である。
その高校の時、「堕落論」の何が印象に残っていたのかといえば、次の文句である。
「二十の処女をわざわざ六十の老醜の姿の上で常に見つめなければならぬのか。これは私にはわからない。私は二十の美女を好む。」
その時は、意味も大して分からなかったが、安吾という人は非常に正直だ、とだけ思った。今読み返せば、「二十の美女」は、戦争中の破壊と、運命に従順な人間の奇妙な美しさについての暗喩である。安吾によればそれは幻で、敗戦後の日本の堕落こそが再生へのただひとつの方法のはずだが、「美女」の魅力もまた、安吾は否定できないのである。
やはり、正直なのだと思う。
安吾の文章には、一切のポーズ、自分の知性を高くみせたいがための小細工がない。説教くささ、思わせぶりな難解さがない。常に自分の気持ちと信念にまっすぐだ。読んでいてこんなに胸のすくような文章もない。
「青春論」「悪妻論」「恋愛論」等、様々な題名の小論で編まれたこの本だが、安吾の言いたいことは、どんな主題を語るにおいても一貫している。とにかく、生きることが全部である、ということ。その中には矛盾も堕落も背徳もあるだろうが、その上にしか生きることの価値などないということ。だから安吾は、そうしたものを遠ざけて、悟ったような顔で全てに決着をつけてしまう人間には、容赦ない。
この文庫の中には「教祖の文学」という随筆も収録されているが、これは小林秀雄をコテンパンにやっつけている、奇抜な作家論である。酒が入ったような独特の語り口で諧謔たっぷりだが、その狙いどころは一々鋭い。安吾にとって、人間を遠くから自分のものさしで眺めるだけで冷たく「鑑定」してしまう小林に、がまんがならなかったようである。安吾は小林を、もう地獄を見ることのない「教祖」であり、「骨董の鑑定人」にすぎないと断じている。
はっと不意をつかれたのは、その「教祖の文学」で、小林のような「見えすぎている」文学に対するアンチテーゼとして安吾が突然引用するのが、宮沢賢治の「眼にて云ふ」という詩であったこと。しかも全文である。「だめでせう とまりませんな がぶがぶ湧いてゐるですからな」という文句で始まるこの有名な詩は、僕もとても好きな詩だが(もちろんその内容は、もう好き嫌いを云々するものではないけれど・・・)、言葉の端々まで人間くさい安吾と、どこか半分透き通ったような宮沢賢治のイメージを比べると、そのつながりが意外に思われた。
しかし考えてみれば、自らを「修羅」と位置づけた賢治である。
「ほんとうに人の心を動かすものは、毒に当てられた奴、罰の当たった奴でなければ、書けないものだ」
という安吾とは、響きあうものがあったのだろう。確かに賢治も、人の生活と離れたところで思想や美学を振り回すことは決してしなかった。
ただ、次の一点についてのみ、安吾の言うことに強く反発を感じた。
「死ぬ時は、ただ無に帰するのみであるという、このツツマシイ人間のまことの義務に忠実でなければならぬ。私は、これを、人間の義務とみるのである。生きているだけが、人間で、あとは、ただ白骨、否、無である。そして、ただ、生きることのみを知ることによって、正義、真実が、生まれる。生と死を論ずる宗教だの哲学などに、正義も、真理もありはせぬ。あれは、オモチャだ。」
死ぬことを人間の義務とみることは、正しい。しかし、死を単純に「無」であると断言することはできないはずである。安吾は徹底して自らの生きた体験と感情に基いて物を書くことを宗としながら、自ら経験したことのない「死」について、外から眺めただけで単純に「無」であると断定してしまっている。ここに、安吾の軽率さを見る。哲学は、まさにそうした決めつけなしに物事を眺めることであり、そうした思考が人生の重要な要素ですらある人種だっているのだ。
ともあれ、十数年ぶりに読んだ「堕落論」は、いまだ鮮烈であった。
いつになるかは分からないが、主要な作品は一度きちんと読んでみたい作家である。