井上直幸というピアニストが亡くなって、もう2年と少しが過ぎた。2003年の4月、まだ63歳の時のことで、病気だった。若い頃に講師を務めたNHKの 教育番組「ピアノのおけいこ」や、音楽書としては例外的と言ってよいほどの版を重ねた「ピアノ奏法」で、かなり広く知られた人だった。ただ、壮年以降、演 奏家としては、音楽界の中央で活躍していたとはやはり言えなかったのではないか。その演奏は、知る人ぞ知る、というものだった。
それでも、井上直幸が亡くなったとき、とても多くの人が本当に悲しい気持ちになり、その急逝を悼んだ。

井 上直幸は亡くなる直前に、遠方に出向くことは困難だったため、自宅のピアノを使って小品集を録音した。そのCDは、ドビュッシーの「子供の領分」の一曲か ら取られて「象さんの子守歌」と題された。「子供に聞かせてあげられる作品集を」という本人の意向で、バッハやモーツァルト、ドビュッシー他の、子供が弾 く(または聴く)ための作品が選ばれていた。

前職で、僕はそのCDの製作過程の最後の方に、少しだけ加わる機会を得た。編集の終わったそ の音源のDATを、残業でもうかなり遅い夜、僕は会社のステレオで初めて聴いたのだった。そしてそれは、僕がそれまでに接したことのないような演奏だっ た。ある演奏家が遺した最後の録音ということによる、避けられない先入観への注意を自分に喚起してもなお、明らかに、その演奏は特別なものだった。

ア ルバムの12曲目には、バッハの「ト長調のメヌエット」(BWV Ahn.114)が置かれている。「タンタラララターラッタ」という旋律で始まる、あの有名なメヌエットである。技術としては何も難しい曲ではない。僕は 数年前にピアノを少し習ったことがあって、その時初めに弾いたのがこの曲だったくらいなのだから。なのに、その井上直幸の演奏では、その曲は僕が見たこと もない表情をしていた。

CDが発売された後、その演奏についての批評では、「病を感じさせない、暖かく人間味あふれた演奏」を称賛する内 容が多かったように思う。そのとおりとも思う。ただ僕自身は、ポツリポツリと小さな声で語られるそのバッハを聴いて、やはり寂しく、悲しい気持ちになるの を抑えられなかった。
音よりも、音の間とその背後の空白の方が大きく感じられ、弱音はその空白に消えてしまうのではと思われるほど繊細であった。 何も語らないまま通り過ぎてしまう音は一つとしてなかった。それらの作品の在り方としては想像したことさえないような演奏だったが、とても美しかった。

僕 はこの録音を聴くと、演奏という行為によってどれほどのことができるのか、音楽というものがどんなに大きな力を持っているものなのかを、改めて知る思いが する。今日では、音楽が個性を修飾する付属品のように扱われることも多い(そこでは音楽そのものよりも、「誰が」ということが重要になるだろう)。その中 で、ある演奏家が一生をかけて鍛錬し、彫琢したものが、締めくくりとしてこのような演奏に正しく結実したことに、僕は感動するし、心から尊敬の念を抱くの である。その演奏は、井上直幸そのものであり、本物の音楽であることに、何の能書きも身振りも必要としていない。

遠山一行は著書の中で、 ポリーニやブレンデルについて、彼らを優れた芸術家であると認めながら、その芸術がはたして「幸福な芸術」と呼べるかどうか、という疑問を書いている。そ の意味するところを僕が正しく理解している自信などないが、僕は井上直幸の演奏は、「幸福な芸術」と呼べるものであったと思う。それ以外の言葉は思いつか ないのである。

井上直幸は演奏会でピアノを弾くとき、演奏の間も、いつもニコニコしていた。聴くほうも、幸せな気持ちになって帰ることができた。少なくとも、何も受け取ることなく帰路につくということはなかったはずである。
井上直幸は本当の芸術家だった。
井上さんのバッハやモーツァルトを、もっと聴いていたかった。