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 源頼朝の怒りを買った源義経一行が、北陸 を通って奥州 へ逃げる際の加賀国 の、安宅の関 石川県 小松市 )での物語。

 義経一行は武蔵坊弁慶を先頭に山伏 の姿で通り抜けようとする。しかし関守の富樫左衛門の元には既に義経一行が山伏姿であるという情報が届いていた。焼失した東大寺 再建のための勧進を行っていると弁慶が言うと、富樫は勧進帳を読んでみるよう命じる。弁慶はたまたま持っていた巻物を勧進帳であるかのように装い、朗々と読み上げる(勧進帳読上げ)。

なおも疑う富樫は山伏の心得や秘密の呪文について問い質(ただ)すが、弁慶は淀みなく答える(山伏問答)。富樫は通行を許すが、部下のひとりが義経に疑いをかけた。弁慶は主君の義経を金剛杖で叩き、疑いを晴らす。危機を脱出した一行に、富樫は失礼なことをした、と酒を勧め、弁慶は舞を披露する(延年の舞)。踊りながら義経らを逃がし、弁慶は富樫に目礼し後を急ぎ追いかける(飛び六方 )。 初期の演出では、富樫は見事に欺かれた凡庸な男として描かれていたという。後にはこれが、弁慶の嘘を見破りながら、その心情を思い騙された振りをする好漢として演じられるようになった  以上wikkipedia

 私の考えは、少し違う。そもそも富樫は、関守で幕府直轄の関所に配置された高官である。特に義経一行が、奥州の藤原氏を頼って北陸路で逃亡することは十分予測していたはず、まして山伏の変装をしてやってくることも情報が入っていた。この時点で安宅関は山伏姿の一行は、詮議する以前に誰も通さないようになっていた。

 富樫としては、義経を発見すれば処刑しろと命令を受けていたはずだが、できれば、それを避けて他へ行って欲しいとの願いもあったはず。何しろ、当時「御曹司様」と呼ばれ源氏の頭領と目されていた大将軍。それまで誰も手が出せなかった平氏を壇ノ浦で壊滅させた、稀代の天才「義経」である。平氏滅亡と源氏の勝利は、すべて義経の功績であり、都での人気は上は公家から下は庶民まで抜群、朝廷さえも摺り寄っていたほどの天下人である。当然同じ鎌倉幕府の家臣としても、尊敬もし同情もしていたに違いない。できれば、その英雄を自分の手で捕らえるような逆賊にはなりたくなかった。

 そこへ義経一行がやってくる。かねての手はず通り、山伏は通せないと追い払おうとする。しかし、弁慶は東大寺再建の勧進のための任務が果たせないのなら、ここで死ぬという。そして最後の勤めをなさんと言って儀式を始める。「役の優婆塞の行儀を受け即身即仏の本懐を此処にて打ち止め賜わんことを・・・」と言う長唄で判るとおり、役の行者から続く即身仏である山伏の本懐を妨げたものは「権現の罰が当たる」と騒ぎ立てる。

 これを聞いて富樫は、直接詮議をすると言って出張ってくる。

 富樫は、一目見た途端に義経一行であると判るが、退散させるために「勧進帳」を読んでみろ、と難題を持ちかける。富樫としては、当然持っていないので退散するであろうと読んでいた。

 ところが、弁慶は何も書いていない「到来ものの巻物一巻取り出だして、勧進帳と名づけつつ高らかにこそ読み上げれ」とアドリブで読んでしまった。

 元より弁慶は学僧であり、播磨の国は書写山、映画ラストサムライのロケ地である園教寺で天才とうたわれ、比叡山から三井寺へと転籍し、その学力ばかりか戦闘能力も天下一の超エリートである。その男が心酔して命を捧げるほどの「天才将軍義経」はどれほどの逸材であったか。

 弁慶にしてみれば、勧進帳の内容をアドリブで読み上げることくらい簡単なこと、ましてその後の富樫の矢のような質問、「その額に掛かりしト金は如何に」などという山伏の出で立ちの初歩的な質問など屁みたいなものである。

 そして、最後に仏門のものが何故刀を持っているか?という富樫の問いに対して弁慶は「仏法に害を為すものは毒蛇や猛獣は謂うに及ばず、悪霊や鬼、たとえそれが人間であっても!」と刀に手を掛ける。富樫はその迫力に「たじたじ」となる。(こいつは凄い)と富樫は思った。と同時に(こんな凄いやつが心酔する義経は何と立派な人なのか)と憧憬の念が湧き上がる。その「御曹司様」が山伏の一行に身をやつし、兄「頼朝」に反逆者の汚名を着せられ落ち延びようとしている。

 富樫は逃がそうと決心した。

 間違いないから通してやれという富樫。ところが家来の一人が「あいつ義経だ」と言い出す。(なんて間抜けだ)富樫は自分の家来の馬鹿さ加減に嫌気がさす。仕方なく呼び止める。

 ところが、弁慶の取った行動は、富樫の意表を突いた。なんと自分の主人の義経を滅多打ちにしたのだ。世が世であれば「御曹司様」源氏の頭領。その影も踏めないほどの最高位の将軍。朝廷ですら敬意をはらっていた身である。その義経を叩きすえた。

 当時の主従の関係は、今とは比べられない上下の隔たり。面と向かって反対意見を言うことすらできないどころか、同じ席に並んで座ることもできないほどの身分差ある。その家来が事もあろうか叩きつけたのである。

 富樫は驚いた。(こいつらは何だ、何という関係だ。そして弁慶の横暴に黙って耐えている義経とは一体どれだけ懐の深い力量のある人柄か)義経主従の度を越えた凄さに参ってしまった。

 と、同時に、そこまで切迫した状況であることに気がついた。(もしかして、平泉の藤原が義経を担いで鎌倉に対抗する気かもしれない)と思ったかもしれない。藤原と言えば直系ではないが摂政関白太政大臣藤原の道長の流れを汲むセレブリティー。もしやという気もあったかもしれない。それ以上に義経一行の迫力に負けた。心酔したのかもしれない。

 しかし、義経を見逃して逃亡の手助けをしたと分かれば、自分の身も終わりである。よくて格下げ、悪いけりゃ死罪である。富樫はこの英雄一行を見送った後に弁慶を呼び戻し別れの杯を交わす。この時点で富樫は死を覚悟しているが、弁慶はわざとはしゃいで見せて、その間に義経一行を先に逃がす。万一の場合は富樫と刺違えて死ぬつもりだ。弁慶が酔った振りをして踊る間に時折見せるマジな顔がその気持ちを表す。

 富樫が涙をこらえ引っ込むしぐさは、弁慶との別れの悲しさと言うよりは、凄い奴らとであった感涙であろう。

 この後、六方となるのだが、少し場面を戻して、弁慶の踊りの前、安宅関を逃れた義経一行がほっと一息休憩をする場面。

 それまで剛力として荷物を担いでついてきた義経が一行の真ん中に座り、その周りを家来が取り囲む、弁慶は主人に手を出した罪に慄き、傍へ寄れない。

 「いかに弁慶・・・」義経は言いはじめる。あの場を逃れることができたのは弁慶の機転のおかげだ、感謝をする。弁慶は泣きながら言う「例え虎の口を逃れるためといっても主人に手を上げるなどもってのほか、死んでお詫びを」すると義経は「何を言うのか、私は良い家来をもって幸せである」と。長唄「判官御手を取り給い・・・一期の涙ぞ殊勝なる」と泣かせる場面となる。

 それまで黙ったままで、ろくに演技の無かった義経が此処で一気に「御曹司様」の威厳と、弁慶に対するいたわり、弁慶・富樫よりも一段高い人物であることを示さなければならない重要な場面。だからこそ女形のトップが演じる重い役なのである。この場面の弁慶は、それまでの威丈高な弁慶から一変して、主人の前で平伏し、自らの犯した罪に恐れおののく家来の役にならなければいけない難しいところ。前回の勧進帳では、海老さま少々偉そうでありました。今回はどこまで成長しているでしょう。富樫との問答や、酔っ払って踊る「滝流しの場面」などは、本当に上手いと思います。「動」の弁慶と「静」の弁慶の使い分けが勧進帳の見せ場です。

 さて、最後の六方。此処は、歌舞伎のお約束で、一連のお芝居からは離れて独立したものと見るべきです。

 弁慶というよりは、役者としての見せ場です。先に行った義経を伸び上がって見据えるところが芝居との関連を持たせていますが、六方を踏むことは、急いで追いかけることではなく、格好良く退場することを意味しています。舞台の七三。花道の場所で身繕いをして、観客に対して目礼をしたあとで、長いためを持たせてから、少しおこつきをみせて(よろけるふり)六方を踏んで揚幕に向かいます。これがあるから勧進帳のお芝居は切れがいいのだと思います。日本文化の持つ独特の価値観「終焉の美」がよく出ていると思います。

 オペラならば、幕と同時にアンコールで役者が舞台に登場し何度も幕を上げたり下げたりして、なかなか終わらない。それが歌舞伎は揚幕に引っ込むなりすぱっと終わって「はいさようなら」これが切れ味となって歌舞伎を「粋」に見せます。

 元々、弁慶は牛若丸の話に出てくる荒法師としてのイメージが強すぎて、大きくて粗暴な馬鹿と思われていますが、学僧でインテリのエリート。おまけに腕力もある戦闘隊長。戦の駆け引きや外交手腕もある軍師としての側面も持つヒーローです。そして、義経は小さくて華奢な身でありながら天才将軍としての才能と力量を持ったスーパースター。生まれも気高い血筋の超セレブ。

 そんな二人が固い絆で結ばれた主従で、兄に疎まれ落ち延びようと逃避行。悲劇のヒーローが富樫という情けのある男によって一段と美しく輝くドラマが勧進帳です。英雄のみが英雄を知るということでしょうか。この三役がトップの役者で演じられるのはそんなバックボーンがあるからです。

 この他にも、見せ場はたくさんあります。勧進帳の奥の深さは見れば見るほど分かってきます。新しい発見をして教えてください。