なんか強烈なキャラが登場しましたね~~ポーン

 

ぼくは・・・「ちーたん」だよ!

ピザ「ピザーラお届け!」ピザ

 

「ピザーラ」の画像検索結果

ぼけ「ピザーラおとぼけ!」ぼけに聞こえたり・・・

 

 

横浜の伊勢佐木町管轄の

18禁怪しい店18禁の摘発の報道を観たら

良く知っている場所がでてきて

 

娘に

キラkirakira*バナナ「ここってクリスタルバナナバナナkirakira*キラ

がある所だよね~~

 

 

 

「・・・」

お母さん、ちょっと違う

 

バナナバナナクリニックだよバナナ

 

「バナナクリニッ...」の画像検索結果

スペイン旅行も最後の地となりました。


 

 

これが・・・あの十字架サグラダ・ファミリア十字架♪♪

 

 

ここで少しお勉強です。

 

ガウディ・アントニ・ガウディ・コルネットは1852年6月25日
バルセロナの南西110kmほどのレセナに生まれました。
父フランシスコは銅板器具職人、母アントニアも職人の家系
幼い頃から身体が弱かったガウディは幾何学を除くと
あまり成績優秀な生徒ではなかったようです。

1871年バルセロナ建築学校に入学
苦学生であったガウディは複数の建築事務所をかけもちして
アルバイトせざるを得ず授業に出ることもままならず
でも建築家の助手として早くから現場での実践を積んだ事は
かえって彼の才能の開花を早めたようです。

1878年3月 学校を卒業したガウディは建築家としての
資格を得て作品を作っていき、当時の彼は注文されれば
店舗の室内装飾や家具のデザイン等の仕事をこなしていたんですヨ

1878年のパリ万博に出品した手袋店のショーケースは
内外で絶賛されガウディは気鋭の建築家として注目され
始めました。
この作品の最大の理解者はエウセビオ・グエル
彼はガウディの生涯にわたっての良き理解者であり
後援者でした。そしてガウディ建築のスポンサーと
なっていきます。

 

 

カサ・ミラ

実業家ペレ・ミラとその妻の依頼されて1906~1912年に建築

世界遺産の建物なんですが、実はこれ賃貸マンションなんです♪♪

 


グエルが依頼した最初の作品は「グエル別邸(1887年)」

 

 

「グエル別邸」の画像検索結果

※ここは行ってないので画像をお借りしました

 

 



グエル公園は(1914年)投書グエルが宅地造成用に開発した
分譲地で のちにバルセロナ市に寄贈されたもの。
ここに見られる幻想的な造形美はまさに
ガウディ芸術の集大成と言えるものです。

まるでお菓子の家です













 

 

 

 

が素敵です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


一方 教会建築は・・・1883年ビリヤール氏のあとを受けて
2代目の
十字架サグラダ・ファミリア聖堂十字架の建築家に就任。
「誕生の正面」の聖母マリア像や高さ107mに及ぶ
4本の鐘塔はガウディの大作です。



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

鳩さんがたくさーん音譜

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

外側は茶色い古めかしい外装ですが

1歩中に入ると・・・

ピンボケた・・・

 

 

圧巻!!

 

 

 

中はとっても広くて

この世の物とは思えない独特の雰囲気

 

 

 

 

 

 

いろんな十字架教会十字架に行ったけれど

ここのは・・・・別格です

 

 

 

写真を観るとわかりますが

後ろは、まだ未完成でした(今はどうなっているのかな?)

造形美・・・とは

この事を言うのかしら

 


1894年の春ガウディはふいに死を覚悟して断食を決行
この「精神的危機」を乗り越えながらのガウディ

十字架キリスト教十字架に深く帰依し、世俗から離れた隠者的生活を送るようになりました。

1914年以降は
十字架サグラダ・ファミリア聖堂十字架の仕事に専念
25年には聖堂の最終案がなりガウディ最後の傑作といわれる
鐘塔華頂も完成
1926年6月7日夕方のミサに通う途中で市電にはねられ
3日後に死去
ポーンあせる
聖堂の建設はバルセロナのシンボルとして100年後とも
200年後ともいわれる完成の時を目指して今も工事が進められています。



パブロ・ピカソ
彼は1881年アンダルシア地方のマラガに生まれました。
父は美術学校の教師
ピカソは幼い頃から素晴らしい画才を発揮していたそうです。
ピカソがバルセロナのあるカタルーニャ地方に関りを持ったのは
父の転任したバルセロナの美術学校に入ってから。
美術絵筆
1か月はかかる入試制作をたったの1日で完成させた息子を
見て父は自らの才能に限界を感じ画材道具を譲り渡したそうです。
ピカソの青春時代はバルセロナにありました。
バルセロナの景色・人々・文化・・・
これらがピカソの心を熱くさせたのかもしれません。
その才能にはやはり驚くばかりです。

 

 

 

 

最後までお付き合い頂きありがとうございました♪