急いで食事すれば疾病のもとになる
ミルクと酸味ある果実は健康体によろしい
子供が生長するには必要であるが、大人は出来るだけ食物から炭素を除くべきである。日本人の白米多食は有害であるから、食事改良の必要がある。体重過多の人は、食事から炭素食物を除くべきである。炭素食はこれ等である。「白パン、白米、キャンデー、アイスクリーム、プッディング等」 最もよい炭素食は黒パン、小麦屑、玄米、中白砂糖、蜜、イチジク、焼き馬鈴薯、ライパン
多量の珪素(シリコン)は、腫物をとめ、神経疲労をとめる。知的労作をする人は珪素食をとらねばならぬ。珪素がなければ動物は児を生まない。珪素は性的活力を与えるものである。▼珪素食は次の通り。「オート、林檎、イチジク、桜桃、イチゴ、卵黄、えんどう、人参、米、瓜類、ホーレン草、キャベツ、アスパラガス、クルミ、葱、チシャ、グーズベリー
玄米は、身体の強壮、活気、忍耐力に最も大切なものであるから、日本では厳重に玄米小食、焼馬鈴薯食を奨励しないと人種が退化する
白米は悪い炭素食である。多量の白米食は動脈硬化となり、血圧昴進となるから堅く禁じなければならぬ。特に四十歳をこしてからの白米三度食は危険である。秋田県が高血圧代表の県なのは、白米食が多すぎるからであるとは、専門家たちが気づいているところである
聖典ギータには三種の食物について教えている。「食物には、リズム食、動性食、惰性食がある。この三食物は、人間の品性と、信仰を表すもので、リズム食の人は、報酬を求めずして供養し、魂で神を拝むが、動性食の者は、報果のためでなくては供養せず、羅刹、鬼、夜叉鬼(悉く悪霊)を拝して利せんとし、惰性食の者は、けちんぼで布施供養することがなく、拝んでも、死者、鬼及び地鬼を拝んでいる。。1 リズムの者に親しまれる食物は、主要ビタミン、力、生気、健康、清快を与える食物で、柔らかで栄養価値あるもの。2 動性の者は、苦味、酸味、塩味の甚だしきもの、熱き物、舌及び鼻を刺激するもの、硬き物、強度の興奮性ある飲食物を要求す。3 惰性の者は、古きもの、味の脱けたるもの、腐敗せるもの、糠もの、不浄物を好む(味なき物を食う人は人情も高尚なこともあじわえない
星化学分析 三浦関造訳より
唱うればわれも仏も無かりけり 南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏 一遍
人生は長いようで短い、なぞと言わないでくれ。こんな言葉は、一度も本当に生き切ったことのないバカモノがほざくまっかなドウソだ。まことにまことに言う、人生は、ただただ短かい。人生は、ただただ短いというのもまだ妥協だ。人生と称されている何ものかは 一刹那
無限のいっしゅん
本当のことを言えば、人生なぞないのである。
われもなくうつし世もなく なにもかも なにもかもなしなにもかもなし
「人間は絶対的に救われない、人間のみではない、一切万物は絶対的に救われないのだ」。。私と世界を含む万物万象は、決定的に絶望しきっている。その時、万物万象を包む愛が開かれた。それは、信じられぬ愛であり歓喜だった。私は目の前のテーブルの悲しみも、庭にある石ころの悲しみも、世界中に生きているあらゆる人々、あらゆる生物達の悲しみも感知することができた。そして、その絶対的悲しみの極限は、愛そのものなのだ。愛は、人間の中の一つの感情などではない。愛は、この宇宙そのものの根源なのだ
ニルヴァーナのプロセスとテクニック ダンテス・ダイジ著
振幅がまったくなくなったときとは、存在の可能性がなくなったときである。存在したり、存在の可能性があるところでは必ず何らかの振幅はある
シャンバラからの伝言 成瀬雅春著より
人生は死ねば醒める夢ではない
死んでも醒めることのない夢である
生は夢である
死は夢である
もし夢以外のどこかに
現実というものがあるとしたら
それもまた夢であるにすぎない
限りないという夢があり
永遠に続くという夢がある根も葉もない夢である
夢も所詮は夢である
神などというものを信じていると
脚もとにある石ころや雑草達の
豊かな生涯を見失なうことになる
煩悩そのものの人間のドラマには
煩悩もないかわりに悟りもない
だいじょうぶだよ
君は必ず死ぬ
死ぬべき君には
もうどのような恐れも無用だ
あらゆるものに執着し
だからこそあらゆるものを嫌悪する
わがままは消滅する以外にない
一切生類の宿業と無明とは一切生類自身の愛に他ならず
不治の業病に苦しみ
自らの命を断った青年は
自己の生誕を呪ったヨブに等しく
それぞれの愛を演じているつきることなく
宇宙の終りにもつきることなく
愛は愛を楽しみ続け
愛によって仮現する一切万物の嘆きは
しかし決して愛にとどくことはない
私は愛しているから
今生きている
私がどうなろうとあなたがどうなろうと
愛は愛を楽しんで
つきることがないのだ
「人の子に枕する所なし」
神の絶対無の中に
夢見続ける宇宙
神のみが絶対無の中に
久遠の安住を続け
あくび一つも神には無縁だ
私達はこの世では孤独であり続ける
私達の眼は
私達の故郷を見知らぬものとして眺め
私達の家族を初めて見る
これは私達の眼がかすんだゆえではない
私達の眼がより透明になったせいだ
やせ衰えた聖者の横を
金色のロールスロイスに乗った
極道息子が通り過ぎる
聖者にはロールスロイスは見えず
極道息子に聖なる光は必要なかった
翌朝聖者の死体が路上にあった
かつては聖者は極道息子であったし
極道息子は遠い未来に
ゴルゴダの丘で十字架にかかって死ぬ
あなたは必ず私の時を持ち
私は必ずあなたの時を持つ
二度とこの世に生まれることはないと
解脱涅槃を成就した仏陀が新宿のホステスの私生児として生まれ
酒と麻薬の中に
トルコ風呂の女として死んだ
蟻達を殺して面白がっている子供は
蟻の時を持ち
蟻は人間の子供としての時を持つ時
昆虫を殺すことを楽しむ
陰は必ず陽の時を持ち
陽は必ず陰の時を持つ
変わらぬものはこの世にはない
誰が知ろうこの世の移ろいの成り行きを
ただいのちだけが
いのちを楽しんで
つきることがない
陰極まって陽生ず
陽極まって陰生ず
一度死に果てねば
何一つ楽しむことのできぬ逆説の人間達
もっとも小心なウジ虫のような男が
聖者となって高らかに生き禁欲のがんじがらめの牧師が
回心して尽きせぬ快楽者となる
剣にて勝つものが
剣にて敗れ殺され
犬をからかう飼い主が
いつのまにか犬に飼われる輪廻
人間達
ユダはいつしかキリストになり
キリストはいつしかユダになる舞台裏
開き直った真人荘周は
逍遙遊の旗印しも忘れて
売春婦にうつつをぬかし
絶対不滅の境涯を体得した仏陀は
歯の痛さに涅槃を忘れる輪廻
怠惰は果しない努力となり努力は果しない怠惰であり
釈迦は決して大ウソツキではない
釈迦はウソツキであっただけだ
この今も又
二度ととりかえしのつかぬ夢であれば
二度と帰ることのない世界であれば
今、したたか酒に酔った私は
夢を見続ける
(精神病者・麻薬中毒者・聖者、彼らは幼児病患者だが、幼児病患者であるのが、人間の素直な姿ではないか
絶対無の戯れ ダンテス・ダイジ著より








