善と悪にどれほど違いがあろうか
大いなる方形には隅がない。大いなる容器はできあがるのがおそい。大いなる音楽は音がない。大いなる象(イメージ)は形がない。「道」は隠れたもので、名前がない。しかし、「道」はあらゆるものに援助を与え、成し遂げるようにさせるものである
無はすきまのないところに入りこむ。ここで私は、行動のない行動の価値を知り、言葉のない教えの価値を知る。行動のない行動の価値に匹敵できるものは世の中に何もない
意図をもたない者が『道』の驚きを見る。意図ある者はそのあらわれた結果しか見れない
忍耐強い心の大きさとは意図が純粋に休息していることである。それは自発的であることを絶ち、意図でないものへと解き放っていく
遠くへ行けば行くほど、知ることはいっそう少なくなる
賢人には定まった心はない。だが、人々の心をその心とする。彼は善であるものを善とするが、善でないものも善と考える。このようにして、区別のないものに達する。彼は真なるものを真とするが、真でないものも真と考える。このようにして、区別のないものに達する。天下の賢人は良心的に人々の心を区別のないものにする。人々は見たり聞いたりする感覚をあてにするから、賢人は彼らを赤子のように扱う
老子の思想 上野浩道訳より
















静かな水溜まりに身をかがめよ。欺かれてはならぬ。水の表面に映った姿は我自身である
我は休止することも眠ることもない。そして汝は汝の魂も休止することも眠ることもしないことを知らねばならぬ。汝が一旦これに気がつくと、汝は己れの魂の活力と、魂が高次元の意識に対して目覚めていることが分かってくる。これを知ることにより汝は、我が本当に汝の手や足よりも身近なところにいることが分かるであろう。これを知ると、この知において、我らは一つになる
絵は一千語に値する。色のついた絵は一万語に値する。色が付いた絵が動けば、多分、五万語に値し、動く絵がしゃべるなら、十万語かそれ以上に値する
もし神と創造主が同一のものなら、あなた方は自分自身が創り出すものに対して神なのです
彼らはこの最終回では歴史を作るような役割を選ばない。そのような役割はもう前に演じてしまっているからだろう。最終回では彼らは目立たない存在だ。郵便局員、ただの農夫、船員、会計係、といった役割の人間になり、グループとしてまとまるのではなく、時間的にも空間的にもあちらこちらに静かに存在するのが認められる。彼らに行先を尋ねると、ほとんどが優しい笑みを浮かべて、ただ「故郷(ホーム)へ」と答える
ショック、拒否反応、怒り、落ち込み、諦め、受容のサイクル
人間は自分のエネルギーのほとんどを使って何らかの形で生き延びようとする。実際のところそれが人間が持つ全ての問題の原因となっている。生き延びようとする勢いはあまりに強烈で、それゆえ全てが台無しになるんだ
私はBBの方に向いた。(今、正確には西暦何年なんだい?)(何年? ああ、時間のこと? そんな計算のことなんか人間は西暦三千年を越えた時点でやめてしまったよ。もう必要ないのさ
性行為に囚われてはならない。これをあの世まで持って行く必要はない。元来の形はもっと良いからである。つまり性的な経験をすることは全体の一部を極めて不完全な形で真似たものなのだ
質問◎体脱状態にある時、動物との接触についてはどうですか。動物に出逢ったことはありますか。彼らと意思疎通できましたか?
私に認めることができた動物は、私の家族の一員であった猫たちだけです。猫が少なくとも第二の身体を持っていることは明らかで、この第二の身体は体脱中、周りの様子を調べている時に、猫が眠っていれば感知することができます。最近私が興味を持っているのは、離脱する段階にあった時、すぐ外にくつろいだ様子であたりに気を配っている三匹の猫に遭遇したことです。驚いたことに、その三匹は過去三年間に死んだ私の家のお気に入りの猫だったのです
魂の体外旅行 ロバート・A・モンローより