ピンポーン・・・夕方の忙しい時間にお呼び出しがかかる。何かと思えば「公園に子猫が捨てられてるみたいなの。遊具の古タイヤの中にいるらしいんだけど、助けてあげてくれないかしら。」と、近所の小学生とその子の家の隣に住むおばさん。「見つけたんだから、あなたたちで助ければいいじゃない」と言うと、私たちにはできないと言う。「あなたたちにできないものが、なんで私ならできるの?」そう突っ込むとダンマリ。「助けた後はどうするつもり?あなた方が飼うの?それとも里親を探す?そのまま公園に放置すれば、カラスもいるし今晩は大雨、生きていくことはできないかもしれないじゃない」と言うと、ウチは犬がいて飼えないだの、夫が嫌いだから飼えないだの、親戚は猫アレルギーだのと、思いつく限りの言い訳をする。つまり、後はヨロシクってこと。「責任が持てないなら、関わらないこともひとつの方法かもね。」と言うと、小学生はウンとうなずき、二人で顔を見合わせて「見なかったことにします」と言って帰っていった。

 

この住宅団地に住んで30年近く、協力してくれる人もなく、地域の猫たちの避妊手術やら里親探しに文字通り孤軍奮闘してきた私。今では「かわいい」とか「かわいそう」を通り越して、猫を見たくないと思わせるほどの拒絶感に苛まれている。病院に連れていき、避妊手術をしたり、血液検査だ駆虫だ、里親探しだと、大変な思いをしていることには知らんぷりの、「やったふり、助けたふり」という自己満足に浸る人たちへの拒絶感と言った方が適切か。

 

堪忍袋の緒はいつしかボロボロ、ある時から、子猫を拾ったの、雌猫がいるだのと言ってくる人たちに対しては「自分で何とかして」と冷たく言い放つようになった。ほんとうに熱心な保護活動をされている方たちは、それでも自らを犠牲にして猫たちを助けていて頭の下がる思いだが、私は、すべてを人任せにしてしまう無責任さに同調することがどうしてもできない。

 

今回も本当に腹立たしく思ったが、その日は夜中に大雨になるという予報。小さな命が冷たい雨にうたれ、力なく目を閉じていくだろう姿が脳裏に浮かび、それを見棄てるわけにはいかないと、二人が帰ってから公園に行き、タイヤの中にいた、2か月にも満たないほどの小さなサビ柄の子猫を保護してきた。誰も飼う人がいなければ、自分が責任を持って飼うしかないと覚悟を決めてのことだった。とはいえ、私の家には老猫や病気持ちの保護猫たちが10匹いて、おまけに私自身、あと20年、責任を持って猫を飼うほどの寿命があるのかどうかもわからない年齢。子猫の行く末を思い、里親探しをすることにした。

 

まずは知人が運営している保護団体に連絡したが、この時期、子猫は大入り満員だそうで、受け入れの余地はないとのこと。それでも、新しく保護活動を始めた人がいるからと紹介してくれた。連絡をすると快諾。連れてくるにあたっては、動物病院でこれこれこれこれの検査と駆虫、ワクチンをして連れてきてくだいと言われたので速攻病院に行き、その足で預かりさん宅に直行。預かってもらって2日後、「里親さんがみつかりました。1週間のトライアルの後、正式譲渡になります」と言う嬉しい知らせが入った。もうすぐ1週間になる。