9月に入ってすぐ、成瀬でワークショップ開催。
人数は3人と少なくて殆どうちわって感じ。
でも楽しくてよかった!
その後八王子でワークショップのワークショップ(笑)
原価計算など初めて教えてもらう。
なるほどなるほど。
2009年10月の断薬から丸10年!
人生がこんな展開になるとは思いの外。
睡眠はまだ安定しないし 絶不眠での活動は流石に辛い
もう70才を迎えて
この10年の月日の意味をしっかり自分におとしこまないとラストスパートは空虚に終わる

2019.5.13
小さい人達の春休みは節約旅行。ドイツ国内ユースホステルの旅だそう。
元号が令和に変わった日に息子が入籍を済ませ、重ねて誕生日というお目出度さのはずなのだけど
2度目と言うこともあり簡単なお祝いで済ませた。
このところ不眠が続いて生活が辛い。
薬害の後遺症として、不眠は本当にしつこくのこっている。しかも手を変え品を変えといった感じ。
入眠困難が今の一番の不眠原因。とにかく眠くてすっと落ちるのだけれど不安感が湧いて起きてしまう。
10分とか20分とか寝たりするので脳が一時的にスッキリしてしまいもう眠れない。
好きな海外ドラマなんぞに嵌まれば、それが原因で眠れないのか眠れないからドラマが気になるのか分からなくなる!
なので昼間は家にいれば寝てしまうし、この前は友人のバースデーのお祝いご飯の席でコックリしてしまった。
と書くと寝不足の普通の反応なのだけれど、座って人の話を聞かなければならない状況でコックリしてしまう、いやコックリコックリ ウトウト出来るようになったのはついこの2年弱だと思う。
眠ってはいけない時にどうしても眠くて我慢できない辛さがいとも幸せってどんだけー!って話。
2009年に断薬した時、今でも覚えているのはこんな酷い事は一年なんて耐えられない!3ヶ月で終わらせよう!と思ったこと。
どれだけ甘い状況判断だったかと思う。寝返りで吸い込まれそうな目眩もまだあるし、歩き辛さや身体の痛みも。加齢か後遺症か定かでなくなってはいるが、細々した症状は普通なら病院駆け込む位だろうと思う。
しかし去年から今年にかけての冬に大きく変化として感じたのは身体の暖かさ。冬が寒くない!勿論ストーブやコタツは使うけれど、手足が冷えることがなくなって 身体の芯が暖かい。
断薬直後あまりの寒さに 11月にダウンコートを買いに走った。で、家の中で着ていた。その後も姫川薬石の大きいのをストーブで焼いて布団に入れ込んで寝たり、湯たんぽは必需品だったこの前の冬まで。
考えたらそれは結婚してすぐから始まっていたと思う。最初のお産時の麻酔の局部大量投入と抗生剤の常用から歯車は狂っていたのだ。
少し前から半袖シャツと薄手のズボンパンツでしか眠れない。暑くて。
そして体重の増加。
これらは薬害後遺症からの回復とはいえ、もっと以前からの体調不良も含めて良い方へ身体が舵取りしてくれていると感じている。
もう薬害遭遇自体が運命としか言えないし、社会的政治的な意味合いはべつとして、人間の回復力を味わうというとても興味深い楽しみでもあるなと思える日々になってきたことが奇跡的で感謝することだと思っている。
もちろん時々死にたくなるけど(笑)
何故って、身体は時々フラッシュバックして えー!まだくるか!というときがあると辟易するから!
ヘンプでアンクレット!

あけましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
ドイツの小さい人達の今年の年越しはオランダからベルギー。
余りに美味しそうな写真ばかり送られてくるので張り切ってお節を作り対抗したり。
なんて言っても大したものではない。
今年は寒さを余りに辛く感じないのはまた新たな回復の一つかと思うのだけれど。
相変わらず急なふらつきもあるし 下を向いたり上を向いたりすればとても気分がわるくなる。
これは持病の耳の平衡器官の不具合だと思うが、そもそも耳の不具合自体が薬害とおもっている。
暮れには頻脈も起きてやはり加齢と共にある体力の衰えは否めない。
しかし 今年七十歳になるとは世界仰天ニュースの一つ位のびっくり。人は頭の中はそうそう成長しないな。
六十歳になるすこし前に断薬してからの今日まで、老人になる段階を踏むこと無く七十歳を迎える驚きと悔恨は こうしちゃいられない!!って気持ちに変換されて まあ日々の愛しいこと!
しんどくても辛くても死にたくても生きているって凄いこと!!
また一年生きて頑張る!