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ネコリンのブログ

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2021.10.20
相変わらずチマチマとヘンプアミアミは続いている。
これはfacebookのお友達に依頼されたもの。
ヘンプトゥワインの中で少しメンズライクに作った。
気に入ってもらえたら嬉しい。
ヘンプももう13年位やっていて、当時はまだマクラメブームも去ったままコードを使ったマイクロマクラメが少し流行りだした頃。
今はコードの石包みネックレスとか本当に微細なアミアミが芸術のように素晴らしく、とても私の辿り着く領域ではない。
皆後から追い抜いて行って個性的な世界を築いている。
私は離脱症状を耐え抜くのに助けてくれたヘンプアミアミがそのまま。(笑)

ブログ投稿 久しぶりで過去ログ読み返していたら
すっかり忘れていた事が多くある。
読んでいて記憶が蘇り、フラッシュバックを起こして気分が悪くなってしまった。

瀬戸際ギリギリ持ちこたえて今がある。
あのどうにもならない苦しさは
記録しておかなければ私の中から消えていた。
良い事かそうでないのかわからないし、薬害の厳しさを個人的には忘れたいけれど心のどこかで
これは言葉にして
こうやって拙い記録でも残したいと思っている。
誰かと一緒に行動することが酷く苦手な私は、薬害関係の集まりにも殆ど出たことがない。
その当時ほんの少しだけ。
だからここに書くのを続けて行こう。

全くもって放置状態の休眠ブログ御免ください。
それでも しれっと続けていく積もりです。
去年の急性膵炎、胆嚢摘出手術からはや一年を超えて
その間にコロナ騒動は加速し
マスク人口は急激に伸び
恐ろしく感じる夏の暑さを凌いでやっとこさ秋が来た!
4箇所に穴を開けたオペの後はともすると妙な痛みを呼び起こし、ひきつれに似た感覚もある。
どれだけメスの入った身体か!
去年の6月末の全麻でのオペは、ベンゾジアゼピン断薬から離脱を経験する私にとっては有り得ない事態だった。
しかし膵炎の厳しさと病状の深刻さはその恐怖を凌いで強かった。
そして、何とかなるだろうと憂慮の末決心してオペに臨んだ。
昔の様にオペ前に安定剤を投与されることもなくオペ後に睡眠薬を投入されることもなく、当たり前のことが進化に思えた。
退院してライフイベントが怒涛のようで、体調不良で点滴を受けたりしながらも
心の底で様子をうかがっていた
麻酔薬の離脱様症状はさほど気にならず過ごしてはいたけれど
少しした頃から甘い望みは砕かれて
離脱症状は戻ってきた。
勿論あの地獄のような激しさは無かったが、なんとか抜けるまで今年の春頃までかかった気がする。
やはり全麻の離脱は起こった。
それ程激しくはなくなんとかフェードアウトして落ち着いた。
次は2009年10月にソラナックスを断薬してからの今の状態を書いてみようと思う。
私はこの離脱症状というものが
人類未踏の神経症状だと思っていて
これは後遺症として残る率も高いと思う。
その場合、外から見るとなんともないように見えたりするが、内実本人は非常に辛い。
そのへんの事もちゃんと残したいと思い始めて
真面目に改心してブログ続けますのでまた宜しくお願いいたします。
写真は
高尾駅の2番線ホームに残る
アメリカ軍の機銃掃射の弾痕を指差す婆さんです。


2020.10.31

毎年恒例のように断薬記念日前後に不調に見舞われて、記念日投稿を逃す。

10.23

2009年にベンゾジアゼピン(ソラナックス)を断薬して11年。

今年の6月に胆嚢摘出オペの為、全麻敢行。

胆石が胆管を降りて膵臓の口を塞いでしまい急性膵炎を起こした。しかも3回も。

そんなことは無いだろうと思っているが。

最初の膵炎の抗生剤の投与でリーキーガットを起こして真菌が腹腔内に浸潤して再度膵炎を起こしたと、私は思っている。

まあ 胆石を取る為の胆嚢摘出オペが適切だったか判断は難しい。

決断したのは私だから仕方なし。それくらい激症の膵炎はシリアスで命も危ないから。

そして ここへ来てやはり薬剤投与の後遺症に見舞われて 身体中のコリハリと平失  不眠!冷えとうつうつを バリ受け止めて死にそ。

10年前はまだ若かった❗もうメンタル、体力残り無いかも。

昨日は看護師の友人が1時間くらい施術をしてくれた。

掌や指で軽く押さえる程度の施術なのだけれどどうにも苦しかった身体が解れて本当に楽になった。毎日でもやってもらいたい!

思いもよらなかった 離脱第2章。もうコペルニクス的な展開以外残りの人生を我が物にする道はない。