わびぬればいまはたおなじなにはなるみをつくしてもあはんとそ思ふ  

                                      元良親王


百人一首20番 元良親王が宇多法皇の寵妃、京極御息所藤原褒子に送った歌です。

百人一首では、この歌が一番好きです。


わびぬれば―・・・・・耳に付くというか、印象的ですね。


返へし

 ふく風にあへてこそちれむめのはなあるににほへるわが身となみそ   

                                  京極御やす所 



この贈答歌は、『元良親王集』に載っておりまして、修子内親王に通い始めた、その翌日に京極御息所に手紙を差し上げている事になっているそうで・・・「色好み」「禁忌」といった歌集の物語性をモチーフに作られている様です。。。。


『元良親王集』の編者は、元良親王イコール色好みのプレイボーイということを印象付けたかったのでしょうね。亭子院


返へしの 京極御息所褒子の和歌といわれている歌を載せてはみましたが、実際は返歌されなかったともいわれています。


こといできてのち、宮す所に――とありますが【浮気がばれた】とは、取らない方がいいかも知れません。

【歌の贈答をしてたら噂になってしまった。】と、受け取る方が妥当なような気がします。


第一、褒子はともかく、元良親王も処罰を受けた形跡が全くありませんから。


褒子は、宇多法皇の御息所としての立場が一般的に知られておりますが、元々は尚侍なのです。

亭子院に来た理由も、北家嫡流、贈太政大臣家の姫君に相応しく、尚侍として出仕していたのです。

御息所ではなく、女房ですので、教養もある美しい人が亭子院にいると聞けば、元良親王でなくとも和歌の贈答があったとおもわれます。


宇多法皇の数多の御息女達と一緒に住んでいたのだし、女房達も沢山いたことは『大和物語』にも書かれています。

女御の伊勢もいましたし。。。。


亭子院には宇多法皇の女御や女房が数多いて、嫉妬や嫌がらせが横行していた様です。

藤原褒子は血筋も容姿も素晴らしく宇多法皇の寵愛を一身に受けていましので女御・女房達から嫉妬され妬まれたあげくに噂を流されてしまったようです。


その後、造営された六条京極河原院に褒子だけが移りました。

・・・やはり嫉妬されていたのですね。。。。


どこからが浮気で、どこまでは浮気ではないのかという問題もありますが、一応、この時代は既婚女性にとっては、現代ほど自由では無かったのではないかと思われます。





また、宇多法皇は褒子を寵愛して、どこに行くにも連れまわしたそうです。

褒子所生の幼い親王も連れて―。


太平記の志賀寺上人譚で語られております。


 初春の初音の今日の玉箒手に取るからにゆらぐ玉の緒

                                   志賀寺上人


 極楽の玉の台の蓮葉にわれをいざなへゆらぐ玉の緒

                                  京極御息所