グーグル翻訳だとこうなる
Sous le pont Mirabeau coule la Seine ミラボー橋の下にはセーヌ川が流れます
Et nos amours faut-il qu'il m'en souvienne そして私たちの愛を覚えておかなければなりません
La joie venait toujours après la peine 悲しみの後にはいつも喜びがやって来た
Vienne la nuit sonne l'heure ウィーンの夜が時を告げる
Les jours s'en vont je demeure 日々は過ぎ去っていきます 私は残ります
Les mains dans les mains restons face à face 手をつないで向き合いましょう
Tandis que sous le pont de nos bras passe 橋の下をくぐりながら腕を通します
Des éternels regards l'onde si lasse 永遠の視線、波はとても疲れた
Vienne la nuit sonne l'heure ウィーンの夜が時を告げる
Les jours s'en vont je demeure 日々は過ぎ去っていきます 私は残ります
L'amour s'en va comme cette eau courante 愛は水が流れるように消えてしまう
L'amour s'en va comme la vie est lente 人生がゆっくりと進むかのように、愛は去っていく
Et comme l'Espérance est violente そしてホープはなんて暴力的なんだろう
Vienne la nuit sonne l'heure ウィーンの夜が時を告げる
Les jours s'en vont je demeure 日々は過ぎ去っていきます 私は残ります
Passent les jours et passent les semaines 日が経ち、数週間が経つ
Ni temps passé ni les amours reviennent 時間は過ぎず、愛も戻らない
Sous le pont Mirabeau coule la Seine ミラボー橋の下にはセーヌ川が流れます
Vienne la nuit sonne l'heure ウィーンの夜が時を告げる
Les jours s'en vont je demeure 日々は過ぎ去っていきます 私は残ります
グーグル翻訳では
Vienne la nuit ウィーンの夜 sonne l'heure 時を告げる
本来、ヴィエンヌは「帰ってくる」ラニュイ「その夜」
ソンヌは「鐘が鳴る」ラールは「その時」となる。
映像的には鐘がゴンゴン鳴っている夜を思い出してる感じ。
グーグル翻訳だと「ウィーンの教会で鐘が鳴ってる夜」。
アポリネール界隈で「ウィーン」に意味があるとしたら
ウィーン分離派(ウィーンぶんりは、 独: Wiener Secession, Sezession) とは、1897年4月3日にウィーンで画家グスタフ・クリムトを中心に結成された新進芸術家のグループをいう。正式名称は、オーストリア造形芸術家協会(Vereinigung bildender Künstler Österreichs)[1]。
なお、「分離派(セセッション)」とは、19世紀の歴史絵画や伝統芸術からの分離をめざしたドイツ語圏の芸術家の動きである[2][3]。
ウィーン分離派は、独自の展示施設を持ち、独自に展覧会を開催した。クリムトらは分離派での活動を通して 新しい造形表現を追求した。ウィーンの分離派はミュンヘン分離派(1892年)の結成から大きな影響を受けているが、総合芸術を志向していた点に特徴がある。
古い価値観からの離脱→ローランサンとの別離→別離の夜→教会の鐘が鳴る→夜中にセセセセ
鐘って同じ動きを反復する。これってセセセセで腰を振るのに似てる。
五感もごわんごわん鳴り響くし。
ミラボー橋で聞こえるウィーンの鐘の音→遠くて聞こえない。聞こえるとしたら記憶の中。
ミラボー橋を渡ると、マツコ・ローランサンと付き合ってた頃のセセセセが蘇るのが性愛作家アポリネール。
このイメージが出来てしまった自分には、シャンソンがけっこう痛かったりして。
レオフェレも当初は真っ当に詠ってたけど、結局こうなるのも必然なのかなと。