来年1月28日まで上野の国立近代美術館でキュビズム展やってる。
【公式】パリ ポンピドゥーセンター キュビスム展―美の革命 ピカソ、ブラックからドローネー、シャガールへ|国立西洋美術館 (exhn.jp)
19世紀になって写真が普及してくると、写実という仕事を画家から奪ってしまうことになる。
写実を超えた絵画を模索した面々が洗濯船に集う。
苦闘の末、導き出された答えがキュビズム。
洗濯船に集う面々を歌ったのがこれ?
Charles Aznavour - La Bohèmeの歌詞 + 日本語 の翻訳 (lyricstranslate.com)
さすらい人
君たちに昔のことを話そう
20歳以下の人には
わからない話しだろう
モンマルトルでは、そのころ
ラィラックの枝の先が
ぼくらの住んでいたアパートの窓まで届いていた
家具付きの安アパートだった
そこがぼくらの愛の巣だった
見かけはオンボロだった
そこでぼくらは知り合った
ぼくはお腹がすいたと大声を出し
そして、君はヌードでポーズをとっていた
ラ ボエーム、 ラ ボエーム
ぼくらは幸せだったってことだ
ラ ボエーム、 ラ ボエーム
ぼくらは、二日に一日は食う金もなかった
近くのカフェでは
ぼくらは特別な人のようだった
有名になるつもりで
そして貧乏で
腹をすかしていて
ぼくらは夢を信じつづけていた
どこか食堂で
うまい暖かいものを食べるため
ぼくらは一枚の油絵を金にかえた
ぼくらは詩を声に出して読み
ぼくらはストーブのそばによりそい
冬の寒さは忘れてしまっていた
ラ ボエーム、 ラ ボエーム
それは君がきれいだってことだ
ラ ボエーム、 ラ ボエーム
そして、ぼくらには才能であふれていた
よく、描いていたものだ
三脚のところで
夜がうっすらと明るくなるまで
図をなおし
胸のラインや
お尻のふくらみを
朝になって
ぼくらは、やっと終わって
クリームカフェを飲んだ
疲れていたけど、満ちたりでいた
ぼくらは愛し合い
ぼくらは生きていることを愛してした
ラ ボエーム、 ラ ボエーム
それはぼくらが20歳だったってことだ
ラ ボエーム、 ラ ボエーム
そして、ぼくらは時代の夢を生きていた
ある日、たまたま
ぼくは、散歩に行ってみた
昔、いたところへ
まったく分からなくなっていた
建物の壁はなくなっていた
ぼくの青春を見おろしていた街はなくなっていた
階段をのぼった最上階に
ぼくは昔のアトリエをさがした
面影は何も残っていなかった
壁面は新しくなっていて
モンマルトルは悲しそうだった
の葉は枯れていた
ラ ボエーム、 ラ ボエーム
ぼくらは若かった。ぼくらは夢中だった
ラ ボエーム、 ラ ボエーム
もうなにも言うことはない
ところでシャルル・アズナブールといえばシャア・アズナブル。
なぜアズナブールをもじったか。
これが富野監督のライバル宮崎駿だとすると腑に落ちる。
常人の3倍の速さで絵を描くし、全身真っ赤だし、勤め先しょっちゅう移籍するラ・ボエームだし。
この映画、たぶん観ないと思う。