

羽田から那覇は日本航空ですが、那覇から南大東島には琉球エアーコミューター(RAC)が運営する小型機に乗り換えます。琉球エアーコミューターは那覇を起点にして、沖縄県各地の離島を結ぶローカル航空会社です。この会社には日本トランスオーシャン航空という航空会社が出資していて、その日本トランスオーシャン航空には日本航空が株主となっていて、何のことはない日本航空の子会社のようなものです。
那覇から南大東島に向かうにはRACが運行するボンバルディア機(DHC8型機)を利用します。プロペラ機であるためボーディングブリッジは使えず、バスに乗って駐機場まで移動しなければなりません。徒歩でタラップを登るのは珍しいことで「これから離島に向かうのだ」、という高揚した気持ちになるものです。


このDHC8型機は座席が39席しかなく、1日2便しか飛行しないため常に満席のようです。私が搭乗した日も満席でした。また、2便の内で1便の航路は北大東島を経由するという変則的なもので、北大東島を経由する場合は、乗客全員が一旦は降機してから乗り換えることになります。機内では飴、絵はがきのサービスがありました。島でお祭りがある時には臨時便も出るのですが、この臨時便は那覇の旅行会社が席を押さえていて、ほとんど予約はできないのが実情のようです。
2009年(平成21年)の南大東島での発着階数は1434便で、乗客数は1万9284人、降客数は1万9143人という統計になってました。この乗降客数の大部分は島民か商用での利用者であって、純粋の観光客は1千3、4百人ではないか、と推測されています。その根拠は、南大東島にある唯一の有料観光地である星野洞の入場者数からの推計でした。星野洞には年間2千3、4百人が入場するのですが、地元の人達や工事などの商用で来島した人達が入場した人数を1千人と見て差し引いているからです。このような観光客数では、島は観光地としては成り立たないと考えられます。
現在、RACが使用している機体は39人乗りのDHC8型機ですが、それ以前は19人乗りのDHC6型機であり、予約するのが非常に困難であったようです。1974年(昭和49年)までは64人乗りのYS11が就航していたのですが、安全基準により機体が変更となったとのこと。そもそも、南大東島に定期空路ができたのは1965年(昭和40年)からであり、それ以前は船便しかなかったため、島民の方が沖縄本島に渡るには相当な苦労をされていたようです。
機体を大型にできないのは飛行場に問題があり、滑走路の長さが足らず、ジェット機の離着陸ができないからだそうです。以前は島の中央にあった飛行場を廃止し、1997年(平成9年)に現在の飛行場が完成したのですが、早くも新飛行場の建設が必要である、と島内では叫ばれているようです。