採点を終えた堅物教師が「うん、まぁまぁじゃない?」とニッコリ微笑む。
一瞬口元をゆるませたが、いや待てよ、この男は1点であっても同じ笑みを見せるじゃないか、とオレは再びシビアな顔つきに戻った。
「・・・まぁまぁって何点だってばよ?」
「んー?強いて言うなら100点?」
「あ?」
「100点。」
「100点って、全問正解じゃねーかよっ!!だったら『まぁまぁ』じゃなくて『よくやった』って言えよな!」
差し込む光が柔らかな昼下がり、はたけカカシの部屋にオレの怒鳴り声が響いた。
オレは今、春休み前の最後の課外授業を受けている。
新学期からはゲキマユ先生がオレの課外授業の担当になるのだが、今みたいに教師一人生徒一人のマンツーマンではないからきっと賑やかな授業風景に違いない。
きっと楽しいから大丈夫、絶対に楽しいから大丈夫、このところ毎日自分に言い聞かせている。
「このレベルならガイに『お前は今までいったい何を教えてきたんだ!』って怒られることはなさそうだな。」
「自分の心配よりも、まずはオレを褒めろっつーの。」
「何言ってんのよ。出来て当たり前なの、オレが教えてるんだから。」
出会った頃から1ミリもぶれないこの自信、ここまできたら本当ご立派だよ。
「学年順位もドベ脱出して今じゃ真ん中ちょっと下ぐらいじゃん。後見人に報告したら『よく頑張りましたね』って春のコートをプレゼントしてくれたんだぜ?どっかの誰かさんとは大違いだってばよ。つか、そのどっかの誰かさんってば、この前、廊下に貼りだされた順位発表を見てなんて言ったか覚えてる?」
「どっかの誰かさんが誰なのか分からないから答えようがない。」
「はたけカカシ以外に誰がいるんだってばよ!」
「えっ?オレの話してたの?早く言いなさいよ。んー、なんだっけ?“凄いな、よくやった、えらいぞ”だっけ?」
「全然違いマス!正解は“トップかドベじゃないと、この人数の中から名前を見つけるのはなかなかの手間だねェ”だってばよ!」
あら、と恍けた声を上げる。
「そんなこと言ったかな?全然覚えてないけど間違ってはいないよね。」
「・・・ホント、呆れるってばよ。」
何度となく繰り返したこのふざけたやり取りは、来年も再来年もオレが学園を卒業するまでずっと続くものだと思っていた。
だがオレの予想は見事に外れ、終わりはすぐそこまで来ている。
そうだ、あの日の保護者会の話をするのを忘れていた。
ゲキマユ先生の、真実を知れば保護者達も文句は言わないだろうという考え通り、全てを知った保護者たちはそれ以上コトを荒立てることなかった。
平穏無事に終わったため、針のむしろで戦々恐々としている堅物教師の姿を期待してた生徒たちは肩透かしを食らったようだ。
一方で、保護者会後の不可解な光景が話題になった。
それは廊下を歩くご婦人方の愉し気な姿だ。
「あの方でしたら女の子が一方的に想いを寄せるのも無理ないわねぇ。」
「神秘的なあの瞳ご覧になって?マスクをしていても想像がつく美しい顔立ちに溜め息がこぼれたわ。」
「私も。この胸の高鳴りは何年ぶりかしら?」
「何年ぶり?私なんて初めてよ。」
「まぁ、ご主人が泣くわよ。」
笑いがはじける様子を目撃した生徒たちは、「保護者会だったよな?女子会じゃないよな?」と首を傾げた。
オレはすぐにピンときた。
きっとご婦人方は事件の真実と共に、この男の分厚い眼鏡の下に隠されていた真実も知ったのだ。
(たぶん、“そんな人間離れした不気味な姿の男に女子生徒が近付くわけないじゃないか!”とか何とか責め立てられて、証明するために仕方なく素顔を見せたんだろーな。しっかし少女からご婦人まで虜にするなんて、この男の顔面はもはや凶器だってばよ。ウインクだけで命を奪っちまうんじゃねーの?)
まじまじと見ていると、「何よ?今日はキスはしないよ?」と的外れな言葉が飛んできた。
「明日も明後日もしなくて結構です。」
可愛くないねェ、と不満そうに堅物教師は口を窄めた。
「そういや、ナルトは春休みはどうするの?」
「予定はねェってばよ。後見人が何も言ってこなかったら、このまま学園に残ると思う。」
「ふぅん。行きたい所とかないの?」
「・・・別にねェってばよ。」
本音を飲み込み、平気な顔で答えた。
実はある。オレが行きたい所は来月からカカシ先生が教える田舎の小さな学校だ。
教わるのはどんな生徒たちなのか。学校の雰囲気は?校舎の大きさは?校庭の広さは?
周りにはどんな景色が広がってるのか、空気の暖かさ、風の匂い、町の音、全部この目と肌で確かめてみたい。
とはいえ、再三お世話になっている後見人に言える筈もなく。
「考えてみたらさ、オレが何処か遠くへ行くって時はいつもカカシ先生が傍にいてくれたよな。今だから言うけど、スゲー心強かったってばよ。」
これからは旅先でも木ノ葉学園でも、はたけカカシのいない日々に慣れていかなければならない。
「そう言って貰えると嬉しいね。オレもお前と一緒にいると、予測不可能なことばかり起こるから楽しかったよ。人生ってさ、穏やかなだけじゃなく時には刺激も必要だよね。」
「オレは刺激を与えてるつもりはまるでありませんでしたけど。」
「エ?ウソでしょ?ジョーダンは顔だけにしろ?」
「顔もいたって真面目ですけど。」
「フフッ、」
キーン、コーン。
時の流れの残酷さを改めて教えるかのように、授業の終わりを告げるベルが鳴った。
「では、うずまきナルトくん。これでキミとの課外授業は終了となる。正直いささか手を焼いた部分もあったが、最終的にキミは私の期待にしっかり応えてくれた自慢の生徒だ。」
椅子から立ち上がり、今までありがとう、とカカシ先生は右手を差し出した。
「こちらこそありがとうございました!」
オレも勢いよく立ち上がり、背筋を伸ばして右手を差し出した。
メソメソしても未来が変わるわけじゃないのだから、ここは気丈に振る舞って課外授業を締めくくろうじゃないか。
手が触れた次の瞬間、
「うおっ!?」
引き寄せられ、不意をつかれたオレは男の腕の中にすっぽりと納まってしまった。
「カカシ先生!?」
「――― ごめん。・・・やっぱり、少しだけ寂しいね。」
「カカシ先生・・・。」
この人は、いつだって余裕のある物言いで、いつだって飄々とした態度で、いつだってオレが憧れるくらい強い男だった。
そんな男の弱い姿に胸が締め付けられる。
「何、言ってんだってばよ。」
長く続けてきた二人だけの特別な授業を、こんなしんみりした形で終わらせてはならない。
「弱音なんてらしくねーってばよ。つか、こーいう時は少しだなんてイキがったりしねーでメチャクチャ寂しいって素直に言えよな。」
「・・・いや、あと30秒ぐらいでこの寂しさは消えるからここは『少し』「という副詞で間違いない。」
「あ?」
ククク、と堅物教師が毎度お馴染みのいやらしい笑い声を上げた。
「みじけェな!せめてオレが部屋出るまでは寂しがってろってばよ!」
無理やり体を引きはがして睨みつけたが、この言動が男を更に喜ばせてしまったようでニヤニヤしていやがる。
「カカシ先生ってば教師じゃなかったらオレにボコボコにされてるんじゃねーかな。」
「そりゃ物騒ですこと。あ、一つ言い忘れてたよ。これからのお前のテストの結果なんだけど、毎回ガイから報告受けることになってるんで気を抜かないように。」
「――― ハイ?」
「たまにオレも抜き打ちでテストをするから、今まで以上に気を引き締めて勉強に励みなさい。」
「抜き打ちでテスト!?いやいやいや、ンなの無理じゃん!」
「なんで無理なのよ。」
腕を組んだ堅物教師は机のへりに軽く腰を下ろした。
はたけカカシの場合は腰かけてもまだ膝が曲がるぐらいの余裕があるけれど、あぁ悲しいかな、オレだったら爪先立ちでバランスを保たねばならないだろう。
この男ぐらいでっかくならなくてもいいが、足の長さはあと10センチくらい欲しい。
「あのさあのさ?カカシ先生ってば他の学校の教師なんだぜ?木ノ葉の教師じゃないのに成績チェックや抜き打ちテストっておかしいだろ?」
「おかしくないよ。他の学校の教師になっても、うずまきナルトの教師を辞めるつもりはないし。」
「ん?んんん?ちょっと待って、頭が混乱してきたってばよ。」
「そう難しく考えるな。要するに、どんな形であってもお前と繋がっていたいだけ。」
「は、」
どうしてそういうパワーワードをサラッと言うかな。
「カカシ先生ってさ。たまに教育者らしからぬズレたことを言うよね。」
「何を言うか。むしろ教育熱心でしょーが。」
堅物教師を繋げているものがテストというのは微妙だけど、どんな形でも繋がっているという事実は正直嬉しい。
だが、この気持ちは最後まで伝えなかった。
理由は、課外授業の良き思い出を恩師の腹立たしいニヤケ顔で上書きしたくなかったからだ。


頭の中では既に春休みが始まっているのかソワソワと落ち着きのない生徒の中で、オレは礼拝堂の丸い窓を眺めていた。
明かり取りでもある小さな窓から水色の空が見える。
「おはよう、諸君。早速だが、礼拝の前に君達に伝えなければならないことがある。」
学園長が神妙な面持ちで話し始めると、途端に生徒全員が姿勢を正した。
なんの話だろう?
さぁな。
何かあったっけ?
いや、何も聞いてないぞ。
ここにいる誰もが、声には出さずに横にいるヤツと目だけで会話をしている。
「本日をもって、はたけカカシ先生が転任することとなった。」
え?今なんて言った?
はたけカカシと言ったか?
え?転任?学園を去るってこと?
「カカシ先生の転任は昨年の春には既に決まっていたことなのだが、」
ほぼ同時に全員が、えええええええええええええ!?と叫んだ。
「発表は木ノ葉学園の教師としての最後の日まで待ってほしいという本人達ての希望で今日となった。」
叫び声はまだまだ止みそうにない。騒音レベルで伝えるなら軽く100デシベルは超えている。
「したがって今後は、」
学園長の声は掻き消され、途中から全く聞き取れなくなった。
「ビックリ!!ねぇ、ナルトは知ってたの!?」
目を2倍に広げ、鼻息を荒くしたチョウジが尋ねてきた。
「オレが知ったのも最近だってばよ。」
一向に鎮まらない騒々しさに、そろそろ神様も顔をしかめはじめたんじゃないか?と思った時、
「やかましいっ!!!!」
さすがは学園長、一発で確実に鎮めた。
「では、はたけカカシ先生から君達へ最後の挨拶だ。カカシ、宜しく。」
はい、と返事をして壇上脇から現れた男は、いつもの分厚い眼鏡はかけておらず皆の前に立つと紺と紅の美しいオッドアイに掛かる銀色の前髪を掻きあげた。
エ?ダレ?
堅物教師としての唯一の名残は口元を隠しているマスクなのだが、普段の色とは違う『黒のマスク』と『堅物な男』を結び付けるのはなかなか難しい。
チャコールグレーのスーツの上着は全てのボタン、中の白いシャツは第一ボタンだけ外され、学園の生徒のリボンタイと同じ色のネクタイは緩く締められている。
例え顔の一部が隠れていても、オシャレなファッション雑誌の表紙を飾るモデルだと紹介されたら疑いはしないだろう。
カタブツキョウシ?
誰もが言葉を失い、拳がまるまる入りそうな大口を開けていた。
オレが学園に来たばかりの頃、はたけカカシが美青年の姿から変人の姿となって目の前に現れた時はそりゃものすごい衝撃だった。
順番は逆だけれど、まさに今それと同じ現象が起きているのだ。
「別れ際にダラダラ話すのは野暮というもの。オレから伝えたいのはただ一つ。」
いいか、お前ら、と堅物教師左端から右端まで見渡した。
「一度きりの青春だ、後悔のない日々を送れよ。」
以上、とさっさと話を切り上げた男は疾風の如くステージから姿を消した。
木ノ葉学園の生徒の前に立つのはこれが最後なのだが、どうやら後ろ髪を引かれるという言葉はあの男の中にはないらしい。
(むしろ自ら後ろ髪をスパっと切っていった感じだよな。)
なんて呑気なことを考えていたら、野郎どもの雄たけびがまるで地鳴りのように床を這って襲ってきた。
勢いはとどまらず、振動で空気が揺れて窓ガラスにヒビが入りそうだ。
「今のはたけカカシ!?」
「ホントに堅物教師だったか!?」
「別人だろ!あぁ、でも声は一緒だったな!?待て待てやっぱり分からん!!」
「堅物教師!?堅物じゃない教師!?畜生、どーいうことだよ!?」
静かにしなさい!と数人の教師が顔を真っ赤にして怒鳴っているが、生徒全員の平常心が壊れた状態になってるこの状況ではまるで効果がない。
「ナルトはカカシ先生のマスクの下見たことあるんでしょ!?どうなの!?鼻がだんごとか唇が異様に厚いとか歯が出てるとかないの!?」
チョウジの目の大きさが3倍になっていて驚いた。まるで別人だから本人自ら名乗らない限りチョウジとは気付かれないだろう。
「残念ながら完全無欠だってばよ。」
渋い顔で答えると周りから落胆の溜め息がこぼれた。
「女子生徒との昔の話が出た時、”あの見た目変態を好きになるなんてどんだけ悪趣味だったんだ”と思ってたけどよ。顔の一部隠していながらのあれじゃ女は放っておかないかもな。」
納得するキバの隣で「男も放っとかないかもしれん。」とシノがボソッと呟いた。
言葉通り、一瞬で心奪われたらしき生徒がちらほら見受けられる。
はたけカカシという男、中身は非常に残念だが外見は完璧な大人だから少年たちが憧憬の眼差しを向けるのも分かる気がする。
アイツ上手く化けてやがったな、と感心するようにキバが顎を擦りながら見回した。
あの男の、人を惹きつける学生時代のカリスマ性は今も健在だったようだ。
「追いかけなくていーのかよ。」
隣にいるサスケが訊いてきた。
こんな騒がしい中でも、サスケの落ち着いた声は不思議とスルッと入ってくる。
「アイツのことだから、今ごろ荷物片手にさっさと門へ向かっているんじゃねーの。」
「かもな。」
「行ってやれよ。長い間木ノ葉の教師を務めたんだ、見送ってくれる生徒が一人ぐらいいてもいいだろ。」
ごもっともな意見なのだが、サスケの口からというのが予想外で返答に詰まってしまった。
「後悔のない日々を送れとアイツ言ってたじゃねーか。お前、このままココにいて後悔しないと言い切れるのかよ。」
「オレは・・・、」
遮るように頭の中で堅物教師の声が甦る。
――― やっぱり、・・・少しだけ寂しいね。
抱き締められていて分からなかったけれど、あの時どんな表情をしていたのか。
どうして素直にオレも寂しいって伝えなかったのだろう。
あの人が行ってしまうぞ、うずまきナルト。
数秒だけ去っていく背中を眺めただけの、こんな中途半端な別れ方をしていいのか。
(いいわけねェよな。)
「後悔したくねーから、オレ行ってくるってばよ!」
決めんの遅ェーよ、と言っているかのように、サスケ、シカマル、チョウジ、キバ、シノの五人は揃って口の端を上げた。
「そうだ、堅物教師への伝言頼んでいいか。」
「おう、任せとけ!つか、覚えられる範囲で頼むってばよ。」
シカマルから伝言を受け取った後、皆で辺りを見回した。
幸い、教師たちは大騒ぎしている生徒を押さえつけるのに必死で気付かれずに抜け出すには好都合だった。
今だ、行け!
おう!
堅物教師がまだ部屋にいる可能性も考えたが、サスケの言葉を信じて真っ直ぐに門へと向かった。
(サスケ!お前の読み当たったぞ!)
正門前に停まっている黒い車と、そこへ乗り込もうとしている堅物教師の姿が見えた。
(こっちも全速力なのにどんだけ足早いんだってばよ!)
「まだ乗るな!クソッタレ教師!!」
堅物教師は掛けていた足を車から降ろした。
(良かった!声が届いたみてェだってばよ!)
車から離れ、オレが辿り着くまで正門の横で腕を組み仁王立ちで待っていた男は怪訝顔だ。
「教師に対してクソッタレとは何だ。生徒評価、マイナス1。」
「あが。」
この一年マイナスばかり言われてきたけど、今の時点でオレの評価はいったい何点なんだろう。
「なに?見送りしてくれるの?」
走り終えて前屈みになったオレは息を整えながら何度も頷いた。
「サスケ、シカマル、チョウジ、キバ、シノからの伝言。『今まで、ありがとう、ございました。次の学校でも、頑張って、下さい』、だって。」
途切れ途切れでも無事伝えることが出来た。
「アイツらから?ヘェ、そいつは嬉しいね。教師冥利に尽きるな。」
心の底からそう感じたのだろう、はたけカカシは嬉しそうに目を細めた。
「お前が木ノ葉学園に来た日、オレと会ったのはココだったよね。早いな、あれからもう一年か。いろいろありすぎて、この一年が長かったのか短かったのか自分でもよく分からないよ。」
「うん、オレもだってばよ。」
「ナルトには振り回されてばかりで、オレって教師向いてないのかな?と悩んだ時期もあったっけ。」
「カカシ先生だって大概だろ、最後の最後まで引っ掻き回してさ。ちゃんと分かってる?礼拝堂の中は今大変なことになってるってばよ?」
「そーみたいね。あの人数が叫ぶと圧巻だよね。地面が割れるんじゃないかってヒヤヒヤしながら歩いてた。」
「他人事かよ、性格悪すぎ。そーいやカカシ先生ってば、ココで初めて会った時もどっかの姉ちゃんを怒らせてたよな?オレの中でカカシ先生の第一印象はサイアクだったってばよ。」
第一印象ね、と言いながら堅物教師は名残惜しそうに門に触れた。
正門脇には学園創立時からあるといわれてる常緑樹がそびえ立っている。
オレと堅物教師の頬を優しく撫でていった光風が、その樹の数えきれないほどの緑の葉を一斉に揺らした。
「言っておくが、オレとお前が初めて出会った場所はココじゃないぞ。」
「あ?」
「まるで覚えていないようだけど、木ノ葉学園に来る前に既にオレはお前と会ってる。」
「ええっ!?いつだってばよ!?」
「記憶の奥底に仕舞い込んだ罰だ。自力で思い出せ。」
「ンな無茶苦茶な!どーやって思い出せって言うんだよっ!」
「ま、常にオレのことを考えていればその内思い出すんじゃない?あ、でも授業中だけはダメだぞ?勉強に集中しろ?」
急に教師らしいことを混ぜこんできてもまるで説得力ないから。
「それにしても日頃の行いの良さのお陰か、今日は門出にはぴったりの日和になったねェ。どこまでも澄んだ碧、ナルトの瞳と同じ色の空だ。」
オレの瞳の色はこんなに綺麗だろうか。自分じゃよく分からない。
「ココを離れても、晴れた日は空を眺めながらお前のことを想うよ。」
「何ソレ。曇りの日も雨の日も想えってばよ。」
「欲張りだな。」
同時に吹き出し笑いあう。二人を優しく包み込む春の風は柔らかくて暖かい。
「そうそう、今までのオレの部屋は4月からガイが使うことになったよ。」
カカシの部屋はナルトくんにとってお前との思い出が詰まった大事な場所だろう?
滅多に弱さを見せない彼だって、カカシに会いたくておセンチになることもある筈だ。そんな時、唯一の心の拠り所であるあの場所が他の教師の部屋となってて簡単に入れないなんて可哀想じゃないか。
その点、オレの部屋であれば彼も気兼ねなく遊びに来れるだろう?
あぁ、そうだ!課外授業もそこでやるとしたら教え子たちの机をもっと用意しないといかんな!
「ま、生徒が教師の部屋に゛遊び”に行くのはどうかと思うけど、ガイの心遣いには敬服するよ。」
話をしながら堅物教師は停まっている黒い車を横目で見た。 さりげなく、もう行くよ、と伝えているのだ。
「コイツはもういいか。」
はたけカカシは黒いマスクを外した。
マスクの下も完全無欠と聞いてチョウジはどんな顔を想像しただろうか。
素顔を見せてあげられないのが残念だけれど、どのような想像であっても実際の方が超えていると思う。
「ガイ先生の言うことは素直に聞けよ?」
「分かってる。カカシ先生も新天地で頑張れってばよ。」
「ああ。」
徐々に離れていく背中を追いかけ、まるで幼い子供のように飛びつきたい思いをぐっと堪えた。
オレの想いを察したのか、乗り込む前に振り返った堅物教師は言った。
「馴染めなくて泣きそうになったら電話する。」
なんじゃそら。
「またな、ナルト。」と、はたけカカシはいたずらっぽく笑う。
オレは時折見せるこの少年のような天真爛漫な笑顔が好きだった。
両端に銀木犀が並ぶ緩やかな坂を、はたけカカシを乗せた車がゆっくりと進んでいく。
――― またね、カカシ先生。

「ナルトくん!」
校舎に戻り、礼拝堂から出てきた生徒に紛れて廊下を歩いているとゲキマユ先生に呼び止められた。
廊下脇のひと気のない場所でこっちこっちと手招きしている。
「実はカカシから自分が去った後キミに渡してほしいと預かっているものがあるんだ。手を出してくれ。」
ガイ先生の言うことは素直に聞けよ?という堅物教師の教えを守ってオレは右手を差し出した。
掌の上に乗せられたのは雫の形をしたロケットペンダントだった。
「中に何か入ってるみたいだぞ。」
振ってみるとチャームの中で何かがカラカラと音を立てた。
「何が入ってんの?」
「オレも詳しくは聞いてないんだ。気になるなら開けてごらん。」
少し力が必要だったが何とか開けることが出来た。
「石が入ってたってばよ。」
「どれどれ。おぉ、ラピスラズリじゃないか。」
「ラピス、なに?」
「ラピスラズリさ。その石は、進むべき道に迷いが生じた時に正しい方向へ導いてくれると言われているぞ。・・・って、おやおやおや?」
話途中でゲキマユ先生は何かを覚ったらしく、なるほどな、と一人感心している。
「今後ナルトくんが道に迷ったとしてもカカシは傍にいてやることが出来ないから、その石に自分の役目を託したのかもしれん。いや、きっとそうだ。ふむ、カカシもなかなか粋な真似をするじゃないか。」
導き出した自分の答えに満足している教師の隣で、オレはチャームの中に上手く納まっている石を念入りに眺めた。
「お守りとして常日頃から身につけているといいぞ。それがカカシの望みでもあるだろうし。」
(常日頃、だって?)
ハァ、とでっかい溜め息を吐いたオレを見て小首を傾げたゲキマユ先生は、別に変なこと言ってないよな?と奇妙に思ったようだ。
「ゲキマユ先生。この石の色ってばカカシ先生の右の瞳の色と同じだと思わねェ?」
「そういやそうだな。そっくりだ。」
あぁクソッ!とオレが悔しがると驚いたゲキマユ先生は肩を震わせた。
「コイツを見るたびカカシ先生の顔が浮かんでくるから、結局オレはあの人のことを毎日想わなきゃいけねーじゃん!ズルいってばよ、あっちは晴れた日だけなのに!」
「ん?ん?ん?」と先生が混乱するのも無理はない。
「『教え手としての自分の役目を託した』といえばカッコいいけど、どっちかっつーとこの石ははたけカカシそのものじゃねーかな。『忘れるな!オレはココにいるぞ!』って主張しているカカシ先生の分身なんだってばよ。」
「なんと!分身ときたか!そりゃあいい!」
ゲキマユ先生の大きな笑い声に、何人かの生徒たちが振り返る。
「ああ、鉱石で思い出した。昔この学園で、のちに『鉱石雲散事件』と名付けられた騒動があったなァ。」
「鉱石うんさん事件?」
「まだオレが学生だった頃の話だ。ある日、鍵のかかった棚から鉱石が忽然と消えちまったんだよ。更に不可解だったのは、棚が置かれていた準備室の扉にも鍵がかかっていたという点さ。いわゆる密室ってヤツで非常に難解で摩訶不思議な事件だったが、オレとカカシとオビトとで見事解決したんだよ。」
「面白そう!詳しく教えてほしいってばよ!」
興味を示すと、ゲキマユ先生は白い歯を見せてニカ、っと笑った。
「構わないが初めから話すと相当長くなるなァ・・・。では紅茶を飲みながら、ってのはどうだい?キミが淹れる紅茶は店のものより美味いそうじゃないか。カカシが褒めていたぞ。」
「褒めてた?オレには少し腕を上げたな、ぐらいしか言わなかったってばよ。」
「カカシは昔からつむじ曲がりだからな。照れくさかったんだろう。」
堅物教師め、オレは褒められて伸びるタイプなのにまるで分かっちゃいない。
(仕方ねーなァ。)
「ゲキマユ先生にアンタ直伝のこの腕前を見せてやるってばよ。」と、オレはペンダントの中の分身に話しかける。
もちろん返事は無かったけれど、それでもオレは満ち足りた気持ちで新しい学園生活へ踏み出した。