久々の更新です・・・

 

昨今 宗教について色々考えさせられるます。

 

ネットで色々な方の意見を見ています。その中で印象に残る言葉は

 

 教団に神はいない

 

 大抵宗教批判って

 

 教えではなく 教団に向けられているんです。

 

 { 又私は***教が嫌い

 

というのは

 

 私は数学が嫌い

 

というのと大体同じ。

 

 数学の先生が嫌な奴なら数学が嫌いになる。

 

***教の人間が嫌な奴なら***教が嫌いなる。 }

 

宗教って 開祖存命時には まともに動くのですが 開祖が崩御されると

 

徐々に歯車が狂う。それでも、その教団が厳しい弾圧下ならまだまともに動く。

 

が、しかし 弾圧がなくなり、大きく成ると直ぐに

 

 腐敗

 

が始まる。

 

 人間原理が教団を支配する。

 

教団は開祖の教え以上に

 

 教団の存続拡大化を至上命令とする。

 

そしてそれにそった人が貴重がられる。

 

 「あなたは神が望む人だ」

 

教団の巨大化とともに上層部は大きな権力・金力を得る。

 

それと同時に 開祖の教えは形骸化する・・・

 

これはあらゆる宗教で見られる現象です。

 

 

企業でもそうでしょう。

 

創業者のときはまともに動くのだが、創業者がなくなると

 

創業者の息吹は消え失せ 

 

企業の巨大化のみを至上命令とする集団が牛耳る。

 

会社が面白くなくなる。従業員の士気が下がる。

 

そしてやがて営業成績が振るわず 倒産なんてざらにある。

 

 

どうも人間社会は 宗教に関係なく 企業でもそうだが

 

 大きくなると 

 

 歯車が狂い 当初の理想や目的から逸脱し始める。

 

開祖の理念や創業者の理想が

 

 教団や会社の巨大化・肥大化

 

に変貌する。

 

 人を一人でも幸せにしたい、世の中に役立つ商品を作りたい 

そのような純粋な気持ちが

 

 出来るだけ多くの信者を獲得せよ

 

 出来るだけ多くの利益を叩き出せという

 

 組織・集団の硬直した原理に取って代わる

 

人間社会のみられる普遍的な現象。

 

そして、これが一番厄介な問題点です。

 

 

何故か、それは人間に潜む

 

  支配欲

 

のなせる業なのです。

 

 宗教は本来 人間の支配欲を否定するのですが

 

皮肉なことに 教団が大きくなると

 

  支配欲の権化と化してしまう。

 

企業の場合も同じです・・・・