積極財政に“思想”はいらない──制度と構造がすべてを決める
「財源がない」「国の借金は1000兆円」──こうした言葉が、日本では未だに当たり前のように語られている。しかし、本当にそうなのだろうか。今、あらためて問いたいのは、積極財政の是非ではなく、それが“当たり前”である制度構造上の理由だ。
これはMMTでもなければ、左派的な福祉国家論でもない。国家とはなにか、通貨とはなにか、財政とはどのように機能しているのか──その設計図=構造を粛々と見つめれば、積極財政以外の選択肢はむしろ非合理的である。
■ 財政問題は存在しない──なぜなら構造的に成立しないからだ
第一に、日本政府は世界有数の資産保有国である。国債残高が多いと言われる一方、政府の保有資産(金融資産・対外純資産など)は600兆円を超える。財務省自身の統計を見れば明白だ。
第二に、金利はどうか。10年物国債の利回りは1%台で安定し、市場は日本政府を一切「危ない」と評価していない。破綻国家の象徴である金利の高騰など、どこにも存在しない。
第三に、日本は自国通貨を持ち、自国で中央銀行を有する主権国家である。つまり、自国通貨建ての国債で破綻することは制度上起こりえない。国債とは貨幣発行の一形式であり、「借金」ではなく「供給手段」である。
■ 通貨発行権とは、“民を養う力”である
主権国家とは、本来「民を養う力」を持った存在である。国民が苦しむとき、国家はその資源(通貨発行)を用いて介入する。それが公共事業であれ、減税であれ、医療・教育の整備であれ、国家しかできないことがある。
ところが「財政制約があるから」として、30年にわたり国家はその責務を放棄し続けてきた。そしてそれを正当化する装置として使われたのが、「財源がない」「借金が膨らむ」「次世代が可哀想」という、制度無理解に基づく倫理論だった。
■ 税はインフレの調整弁であり、財源ではない
税は貨幣の“発行抑制装置”である。供給過剰によるインフレを抑え、格差の是正や市場のコントロールを行うために存在している。つまり、税収は財源ではない。政府支出の“後処理”にすぎない。
この順序を逆に理解してしまうと、財源の限界という幻想が生まれ、国は何もできなくなる。まさに今の日本がそうだ。逆に言えば、財政を縛るものはインフレ率だけであり、それさえ制御可能なら国家は支出できる。
■ 「積極財政」という“思想”が不要な理由
ここまでの話は、どこにも政治信条も経済思想も必要としていない。単に制度上の構造を確認し、事実を積み上げただけである。
積極財政は、「正しいことをしよう」ではなく「そう“せざるを得ない”構造にある」というだけの話なのだ。
■ 結論──これは“思想”ではなく“地形”の話だ
国債発行は破綻を招かない。税は財源ではない。国家は主権を持ち、自国通貨を発行できる。これらはすべて制度の地形である。
積極財政を訴えることに、思想は必要ない。
必要なのは、事実に対する知的誠実さと、構造を理解する眼差しだけだ。