前の記事からの続き。
4月:1日より4ヶ月(最終的には半年)の職場復帰。4日目の
バス通勤中リーダーから着信、会話は以下の通り:
リーダー「会社の月初めの朝礼で顔合わせの挨拶をして
いただけますか?」
自分 「おk。何人くらいですか?」
リーダー「まあ全事業部なんで100人くらい」
自分 「…解りました。それで、何時ですか?」
リーダー「始業からすぐ本社ビルで」
*自分の仕事場は本社の隣
自分 「…打刻してからすぐ行きます(...昨日言えよ)」
という開始でした。その挨拶は1ヶ所咬みつつも
つつがなく(多分)終了。この人は最後までこんな無茶振りが
多かった。いい人なんだけど、他の部下にはちょっと
修造チックな部分が不評だったようだ。自分には正直ウザい。
でもそれ以外は嫌いじゃない。
それから1週間して所属部署取締役がいきなり辞任を
発表。グループの社長と揉めたらしい。それから
4月末までにぞろぞろと社員が辞め、所属の事業部からも
1人退職。この人は別の希望職のオファーがあって
円満退社。ただ、体制が落ち着かず1ヶ月身動きが取れず。
自助会の参加会場の週のローテーションがほぼ固まる。
アルファベットのグループは6日。X酒会は1日のみ。
終了10分前でも行ける時間があれば出席。
5月:中々体制が決まらない中、プロジェクトグループは
あーでもない、こーでもないという少し不毛な議論が
続く。まあ、これもしょうがなく、自分の入社前には
タイを対象とした訪日旅行の事業案件がありこれを
継続するという手もあったのだが、前述の取締役退任の際に
人的コネクッションを持っていた補佐の人も辞めてしまったので、
チームマネージャーから持ちあがりで就任した修造さんが
もともと勝ち戦のみをする傾向があり、また現地エージェントと
英語のでのコミュニケーションが不得意の為、あんま積極的で
なかった。タイのプロジェクトは社内で言語対応できるスタッフが
いないで決行したのがある意味凄いと思った。自分も
旅行社時代にタイの航空会社とは15年以上の付き合いが
あったため、やる気はなかった。その為に、自分は今後の
展開性を訴えながらSINGAPOREをターゲットにする事を主張。
その為、3人残っていた所属の社員はそれぞれ別の案件を
進めていくことに決定。
自助グループは前月通りに参加していて、その上に9月の
国際会議の実行委員会の打ち合わせが月2くらいで
あったのだが、この時は完全な傍観者。ワイのワイの
結論の出ない論議を見ていただけだった。
6月:本来は5月に動き出していなければならないプロジェクトに
1人とりかかる。その間、商談会に出展しろとの勅命が
出たのでレイアウト等も考え、あるもので取りそろえる。
なんせ現段階では一旦完結した案件しか見せるものは
ないので、他の事業部の紙媒体を借りて提示。商談は
相手が某(元)交通公社のみだったので、ロシア以外は
手を抜いた。だって対象国以外だったのと、ロシアは
英語での交渉となったので周りからはちと絵になるかと
思って意識した。来年のパンフの写真にはなるかも
しれない。ただ、もう会社にいないけど。
その後、残り時間を考え、自分の担当事業案件を
海外市場調査に絞り込む。問題は現地でのアポ先を
自分で探さなきゃいけなかった事。これは予想外。
2週間ほどかけて何とか12ヶ所(8社、4展示会)に
都合を着ける。6社は前のクライアントの関係者を
頼った。大いに助かる。これを持って、上司に
出張の談判。最初は渋るも、まさかアポ取り
してくるとは思って無かったようで、再度、
入れていなかった細かい経費の算出をしてからの
再提出を要請される。内心ガッツポーズ。もう一人の
同僚もタイの案件で出張計画をしていていて、
2人で申し合わせて、自分が先に行かせてもらった。
彼女の計画書ではちょっと交渉の根拠には弱かった
のもあったからだ。一応、双方を照らし合わせて、
順番には納得してもらった。彼女の書面に関しては
キャリアの問題(若干20歳)のためなので、これは
仕様がない。ただ、その辺の新入後1~2年目の
社員にしては上出来というかそれ以上望むのは酷。
自分が先に行った方が上司の気分的に彼女も計画書も
承認される可能性が高くなると読んだ。で、結果は
その通り2人とも晴れて翌月の出張の承認が下りた。
この頃は持ち帰りの仕事が日付を超える事が
ままあったので、ミーティングに行くのが時間的に
参加が毎日は難しかったのだが、最初に訪れた会場と、
外国人のミーティングは絶対外さなかった。
世界会議の方は議論が進まず。不安がよぎる。
7月から9月も内容が濃いので次に回す。1月毎の
掲載になるのをご了承を。
4月:1日より4ヶ月(最終的には半年)の職場復帰。4日目の
バス通勤中リーダーから着信、会話は以下の通り:
リーダー「会社の月初めの朝礼で顔合わせの挨拶をして
いただけますか?」
自分 「おk。何人くらいですか?」
リーダー「まあ全事業部なんで100人くらい」
自分 「…解りました。それで、何時ですか?」
リーダー「始業からすぐ本社ビルで」
*自分の仕事場は本社の隣
自分 「…打刻してからすぐ行きます(...昨日言えよ)」
という開始でした。その挨拶は1ヶ所咬みつつも
つつがなく(多分)終了。この人は最後までこんな無茶振りが
多かった。いい人なんだけど、他の部下にはちょっと
修造チックな部分が不評だったようだ。自分には正直ウザい。
でもそれ以外は嫌いじゃない。
それから1週間して所属部署取締役がいきなり辞任を
発表。グループの社長と揉めたらしい。それから
4月末までにぞろぞろと社員が辞め、所属の事業部からも
1人退職。この人は別の希望職のオファーがあって
円満退社。ただ、体制が落ち着かず1ヶ月身動きが取れず。
自助会の参加会場の週のローテーションがほぼ固まる。
アルファベットのグループは6日。X酒会は1日のみ。
終了10分前でも行ける時間があれば出席。
5月:中々体制が決まらない中、プロジェクトグループは
あーでもない、こーでもないという少し不毛な議論が
続く。まあ、これもしょうがなく、自分の入社前には
タイを対象とした訪日旅行の事業案件がありこれを
継続するという手もあったのだが、前述の取締役退任の際に
人的コネクッションを持っていた補佐の人も辞めてしまったので、
チームマネージャーから持ちあがりで就任した修造さんが
もともと勝ち戦のみをする傾向があり、また現地エージェントと
英語のでのコミュニケーションが不得意の為、あんま積極的で
なかった。タイのプロジェクトは社内で言語対応できるスタッフが
いないで決行したのがある意味凄いと思った。自分も
旅行社時代にタイの航空会社とは15年以上の付き合いが
あったため、やる気はなかった。その為に、自分は今後の
展開性を訴えながらSINGAPOREをターゲットにする事を主張。
その為、3人残っていた所属の社員はそれぞれ別の案件を
進めていくことに決定。
自助グループは前月通りに参加していて、その上に9月の
国際会議の実行委員会の打ち合わせが月2くらいで
あったのだが、この時は完全な傍観者。ワイのワイの
結論の出ない論議を見ていただけだった。
6月:本来は5月に動き出していなければならないプロジェクトに
1人とりかかる。その間、商談会に出展しろとの勅命が
出たのでレイアウト等も考え、あるもので取りそろえる。
なんせ現段階では一旦完結した案件しか見せるものは
ないので、他の事業部の紙媒体を借りて提示。商談は
相手が某(元)交通公社のみだったので、ロシア以外は
手を抜いた。だって対象国以外だったのと、ロシアは
英語での交渉となったので周りからはちと絵になるかと
思って意識した。来年のパンフの写真にはなるかも
しれない。ただ、もう会社にいないけど。
その後、残り時間を考え、自分の担当事業案件を
海外市場調査に絞り込む。問題は現地でのアポ先を
自分で探さなきゃいけなかった事。これは予想外。
2週間ほどかけて何とか12ヶ所(8社、4展示会)に
都合を着ける。6社は前のクライアントの関係者を
頼った。大いに助かる。これを持って、上司に
出張の談判。最初は渋るも、まさかアポ取り
してくるとは思って無かったようで、再度、
入れていなかった細かい経費の算出をしてからの
再提出を要請される。内心ガッツポーズ。もう一人の
同僚もタイの案件で出張計画をしていていて、
2人で申し合わせて、自分が先に行かせてもらった。
彼女の計画書ではちょっと交渉の根拠には弱かった
のもあったからだ。一応、双方を照らし合わせて、
順番には納得してもらった。彼女の書面に関しては
キャリアの問題(若干20歳)のためなので、これは
仕様がない。ただ、その辺の新入後1~2年目の
社員にしては上出来というかそれ以上望むのは酷。
自分が先に行った方が上司の気分的に彼女も計画書も
承認される可能性が高くなると読んだ。で、結果は
その通り2人とも晴れて翌月の出張の承認が下りた。
この頃は持ち帰りの仕事が日付を超える事が
ままあったので、ミーティングに行くのが時間的に
参加が毎日は難しかったのだが、最初に訪れた会場と、
外国人のミーティングは絶対外さなかった。
世界会議の方は議論が進まず。不安がよぎる。
7月から9月も内容が濃いので次に回す。1月毎の
掲載になるのをご了承を。