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NANGO-BASE @気仙沼市 

2011.3.11を機に結成したNANGO-BASE。
代表である私の思いや活動などを知って頂ければ幸いです。
あの絶望的な状況から、今後どこまで道を拓けるか。
敬愛する世田谷ベースのように、
厳しいなかでも楽しんで活動していければと思っています。

色々な支援活動をしていると、


本当に楽しそうなお話が舞い込んでくるモンですひらめき電球


NANGO-BASE宛に6月に頂いたお話で、


本日決定した被災地支援のご紹介音譜


気仙沼市にSTAR BUCKSがやってきますクラッカー


被災地にも、コーヒーでくつろぎの空間をクローバー


というコンセプトコーヒー


ということで、気仙沼市本郷にあります


ゲストハウス・アーバンエントランス・ガーデンチューリップオレンジをお借りできまして、


10月1日(土) 14:00~16:00


の予定で行います合格


気仙沼にはNANGO-BASEスタッフも大好き


アンカーコーヒーフラッグ(お出掛け時には立ち寄ってドリンク&ベーグル音譜)


という素敵なカフェの本店があり、


その影響によりコーヒー文化が根付き始めた場所。


震災以降、挽きたてコーヒー豆の香りが懐かしい方も多いのでは。


同日に開催される気仙沼市南郷地区復興祈願祭とともに、


ぜひ、お立ち寄り下さいませアップ


心温まるエピソードを一つ。


あれは震災から1ヶ月もたっていない頃、


俺が医療支援と物資支援で気仙沼市大島を回っていた時に


よく耳にしていた言葉がありました。


『兄さん、船、手に入らないかな?


大島はカキやホタテ、ホヤなどなどの漁師が多い離島。


漁や養殖はもちろん、通勤にさえ個人所有の船を使うほど、


島民にとって船は生活に欠かせない移動手段なのです。


しかしながらその船も、津波来襲によりほぼ全滅


そんな人々が船を欲するのは当然でありました。


しかし、あの頃に船を購入するなんて困難極まりなく、


まして無料で提供してくれる話なんて無いと思っていました。


が、とりあえず無理を承知で色んな人に話をしてみてはいたのです。



そして5月。


我々NANGO-BASEが秋田へ物資の調達に行った時のことでした。


武田さん、和船を提供してもイイって人がいるども


と、お世話になっている秋田県県会議員の方からの電話。


我々は現物を見に、秋田県雄和町に住む持ち主の自宅へ向かいました。


出迎えてくれたのは持ち主の奥様。


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聞けば、ご主人は数年前に他界し、提供していただくこの船はご主人の形見。


これまで何度か譲って欲しいと頼まれたものの、


主人の形見だからとお断りしていたそうです。


しかしこの震災で多くの船を失って困っている大島で使ってもらえたら


主人もきっと喜ぶだろうから、と寄付を決心して頂いたそうです。


この船と対面してその状態の良さにテンションが上がっていた我々も、


その話を聞いた時には心に鉛を投げ込まれた様な気持ちでしたしょぼん


そして後日『オヤジの新たな船出だからね

と、息子さんが直々船を気仙沼に輸送してきてくれました。


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しかも船外機エンジン3機付き
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寄付先は大島漁協(写真は代表の小野寺さん:右端)

左端が息子さん。

真ん中は仲介してくれた、雄和町で菜種油業を営む社長さん。


『この船使わせてもらって復興させて、アワビもホタテも送っからっ!』


と小野寺さんも大変よろこんでおりました。


必ずやこの形見の船は、大島の、そして気仙沼市の復興の力になってくれると


信じておりますアップ


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天国から見守っていて下さいね

『半年が経とうとしてますが、実際どのように感じていますか?』


最近取材を受ける際に必ず問われる。


個人的にはやはり半年は半年。


この半年間は、先のコトしか考えてこなかった。


ただ、思い返せば夢を見ていた様な、


これまでになく充実した月日だったと感じている。



つれづれなるままに、…

        そこはかとなく書き付くれば…メモ


あれから今まで何をしてきたのか、


何が出来たのか


何かの役に立ってるのか


思い出そうとしても全てを挙げるコトが出来なくて、


継続的に取材してくれる方のおかげで思い出すことも多い。


何をするべきかなんて考える間もなく、


無意識のうちに、悲しみや絶望感を感じないように


何かに反応するように、ある意味、衝動的に動いてきたように思う。


それでも幸い、強力な理解者や協力者に恵まれたからこそ成り立った。


正直な話、


どうして自分がこんなことしてるのか理由が分からない。


自分の衝動的な思い付きに自分の家族や、大事な仲間の家族をも巻き込んで、


不憫な思いをさせてしまい本当に申し訳ない気持ちが強い。


そんな人達と、その家族と将来笑ってられるようにという気持ちが


今は原動力になっている。


それが誰のためかと聞かれれば、


よく考えれば最終的には自分のため。



これから何年か経って、


『あの頃、お父さんは何してたの?』


と聞かれた時には答えてあげる。


別に、変わったコトは何もしてないよ。』


と。