75周年チームの選手を紹介するこの企画。

順番は実際にオールスターの時に紹介された順とします🏀

 

Charles Barkley (1984-2000)

198cm 114kg PF/SF

「チャック」「空飛ぶ冷蔵庫」と呼ばれる彼は、リーグ史上最高のPFという話題で名前が挙がるほどだが、一方でこれといった固有の技などは持たない。彼の一番の特徴はなんだろうか。

NBAで198cm(実際にはもう少し低いと言われている)というとガードと同じくらい。実際、同じドラフト生のSGであるマイケル・ジョーダンが198cmと登録上は同じ。

ハイライトプレイなどを見れば分かるが、そんな小ささを感じさせないほどビッグマンと対等に渡り合い、かと思えばガードのように機敏に動き回る、全てのスキルが高いレベルを誇るオールラウンダーだった。

また、今や同じ番組に出演しているシャックとの派手な乱闘もキャリアに残る映像の1つだろう。ラフプレイや奇抜な言動が度々問題となる選手ではあったが、単に横暴な選手が75周年チームに選ばれるわけがない。バスケIQの高さも有名で、トラッシュトークなども絶えないなど、そういう意味でも選手としてオールラウンドである。

NBAのゲームとして圧倒的シェアを誇るNBA2Kシリーズにはほとんど登場しておらず、初代ドリームチームが収録されたNBA2K17以降 全く登場していない。彼自身がそういったテクノロジーを拒む傾向にあることと、インタビューでは「引退した選手に金を払わないのなら出ない」と明言もしている。

 

NBA以前

アラバマ州で生まれた彼は、隔離された白人のみの町の病院で生まれた最初の黒人だった。家族を捨てた父親により両親は離婚。レニーという弟もいたが幼少期に死亡。母は再婚するも継父もBarkleyが11歳の時に事故で死亡するなど、過酷な家庭環境に育っている。

選手として頭角を表すのは高校生の頃。1年間で身長が178cmから193cmまで伸び、控え選手だった彼は4年生ではスターターに昇格。州の準決勝まで進出した際にオーバーン大学のアシスタントコーチが試合を観戦。「風のようにプレーする男がいる」とヘッドコーチに報告したことで、Barkleyはスカウトを受けた。

大学では既にNBAの頃とさほど変わらない体格になっていたが、一般的な選手と比べやや体重があり過ぎると、揶揄われる事も多かった。1984年にはオリンピック代表の候補にも入り、NBAの頃にもよく見られたリバウンドからドリブルで運んでダンクへ持ち込むプレイもよく見られた。

 

NBAへ

1984年5位指名にて、Philadelphia 76ersに加入。体重コントロールに苦労するルーキーイヤーでは全試合に出場するも、平均28.6分出場で14.0得点とやや物足りないスタッツだった。またチームにはこの時、ジュリアス・アービングとモーゼス・マローンの2人のレジェンドがいた。ウェイトトレーニングを経て徐々にプレイを向上させるBarkleyは2年めでは平均20.0得点、翌年にはさらに平均23.0得点に伸ばした上、オールスターにも選出されるなど、存在感を増していく。しかしマローンの移籍にアービングの引退と、チームは徐々に成績を下降させていく。

カンファレンスファイナルに届かないシーズンが続き、ついに1991-1992シーズンにはPOを逃す。チームのフロントに不満を持ったBarkleyは、初代ドリームチームと称される1992年のオリンピックで金メダル獲得後、トレード志願により移籍。Phoenix Sunsへ移る。

 

セドリック・セバロスやケビン・ジョンソンなどの有望な若手と、ダニー・エインジやダン・マーリーなどベテランも混在するPHXは移籍直後のシーズンにいきなりリーグ最高の62勝を記録。当時絶頂にあったジョーダン率いるCHIをも上回った。

MVPも受賞したBarkleyは自身初となるファイナル進出。同ドラフト生であるジョーダンとファイナルで衝突した。

しかしホーム初戦で敗北。G2では42得点と奮闘するも、ジョーダンも42得点を記録し、接戦ながら敗北。いきなりホーム2連敗となった。続くアウェイ3連戦を2勝1敗に留めるも、迎えたG6のホーム戦でまたしても敗北。ホーム全敗で敗退という苦いものとなってしまった。

以降、怪我による欠場が増えるBarkley同様、ジョンソンらも怪我が増えてしまい、ファイナルへ戻ることは無かった。また、チームのオーナーとも揉めたBarkleyは優勝を求めて、アキーム・オラジュワン率いるHouston Rocketsへ移籍。

同じく優勝を求めて移籍してきていたクライド・ドレクスラーも擁するHOUは優勝が期待されたが、カンファレンスファイナルでUta Jazzに敗退。翌シーズンのPOでもUTAとファーストラウンドで衝突し敗退。その後ドレクスラーが引退。3連覇後に引退したジョーダンの引退の衝撃が走ったこのオフ、Jordanの相棒だったスコッティ・ピッぺンがHOUと契約。

オラジュワン、Barkley、ピッペンというトリオが結成されたが、故障が増えたオラジュワンとBarkleyに加え、HCも上手くピッペンを起用できなかった。シーズンの成績も振るわず、POではファーストラウンドであっけなく敗退。ピッペンは自身の起用法に不満を感じてチームを去る。

そしてBarkleyは翌シーズンの12月、古巣であるPHI戦で左膝の腱を断裂。全治6ヶ月の怪我となったBarkleyは翌日にシーズン終了と共に引退することを発表。しかし、怪我によってコートから担ぎ出された姿を最後にしたくないとリハビリを始める。

怪我からたった4ヶ月後の4月19日、シーズン最終戦に6分間出場し、1リバウンドと1ブロック、2得点を記録した。

 

引退以降〜現在も、TNTの番組で辛口コメンテーターとしてシャックと共に出演している。

 

逸話

過激な言動が注目されていた選手だが、ユーモアセンスにも長けていたBarkleyはいくつかのエピソードを残している。

① トイレに小銭を落とした際、故意に紙幣もトイレに落としてから拾いこう話した。『こんな端金の為に手を汚したくはないだろ』

②1192試合連続出場記録を持ちリバウンドを得意としたA.C.グリーンが、熱心なクリスチャン(現在は牧師も務める)であることを受けて『神様がそんなにいいモノなら、なぜお前にジャンプショットを授けなかったんだろうな』と発言。

③プレシーズンで乱闘を起こし開幕戦を出場停止となったBarkleyが『開幕戦の相手はKingsだろ?じゃあ俺がいなくても勝てるよな?』と発言。

④インタビューにて「映画タイタニックを見ましたか?」と聞かれたBarkleyは『ああ見た。DallasにDenverに・・・』と弱小だったチームを沈む船と重ねたジョークを放った。

⑤ヤオ・ミンがドラフト指名された際に、自身が出演する番組内で『ミンが20得点したらミンのケツにキスをする』とケニー・スミス(同番組出演者)に賭けをした。その後ミンは20得点を達成し、スミスがロバを用意し、ロバのケツにキスをさせられた。この様子は全米で放送。

 

当時は日本でもNBA人気が凄まじく、Barkleyはとんねるずと番組で勝負したり、カップラーメン「豚キムチ」のCMに出演したり、NIKEのCM撮影では怪獣ゴジラとの対決も経験している。

 

最後に

近年では、小柄でパワフルなフォワードというのは希少。というのも長身で素早い選手が増えつつあるからだ。しかしBarkleyほどの身体能力を持ち合わせた選手なら、現代にもきっと適応するだろう。

彼は決して、辛口コメントで議論を起こすだけの男ではない。PHXのチーム史上トップクラスの1人であり、史上最高のPFの1人である。あまり見たことがない人は、是非1度見てほしい。