前回は沢山のいいね、ありがとうございました。

 

 「噺家娘一代記」その2です。

 

 前回のお話はこちらから。

 

 噺家娘一代記 その1

 

 それでは、早速、お楽しみください。

 

 

 

 さて、三蔵に次男が生まれてから早や五年。その間、さしたる騒動も起きず、三蔵は順調な日々を過ごしておりました。仕事も順調、家庭も円満。特に言うことはありません。

 その頃には、三蔵の女遊びも下火となりました。仕事が忙しくなり、中々遊ぶ時間が無くなってきた、だんだんと年をとり、遊ぶ体力が無くなってきた、というのが本当のところでした。

 このまま二人の男の子が順調に育って、ゆくゆくは自分の跡を継いで、立派な噺家になってくれれば。そんなことをつらつらと考える三蔵でしたが、その頃、落語界を揺るがす大騒動が勃発するのでした。

 それが、二度に渡る協会分裂騒動でした。そして、そのどちらにも三蔵は深く関わることとなり、それがために心労が重なることとなるのでした。

 最初の分裂騒動は協会の重鎮、三笑亭友生(さんしょうてい ゆうしょう)によるものでした。友生は前の協会会長でしたが、その当時の会長であった、松乃家小えん(まつのや こえん)と協会の運営方針で意見が合わないことが多く、揉め事が絶えませんでした。そして、小えんが、それまでの方針に反して、大量の真打ち昇進を決めると、それに強く反対する友生は一門、及びそれ以外の有名人気噺家を引き連れ、別団体を結成することを画策します。当然のことでありますが、当時噺家の中でも一二位を争う人気をテレビで誇っていた、三蔵にも声がかかります。

 さて、声を掛けられた三蔵、最初は友生に対し、「別団体に参加する」と返事をいたしますが、いざ別団体発足の直前になり、態度を変化させ、一転して残留にまわります。この三蔵の豹変により、他の噺家連中も別団体への参加を見合わせるようになり、結果として、三笑亭友生一門だけが協会から出ていくという形になってしまいます。

 これには、実は昔の因縁が関わっておりました。

 三蔵は落語家になった時、父正蔵の弟子として入門しております。しかしながら、父七代目正蔵は、三蔵入門後一年で病死。このため、師匠を無くした三蔵は、友生の元に弟子入りし直します。

 この友生、弟子には結構厳しい人間であり、三蔵は再度弟子入りということで、一からやり直しとなります。これにより、香盤と呼ばれる噺家の序列も、一からやり直し。そのため、本来であれば、自分より後に入門し、序列が後のはずの人間に追い越されることとなり、苦汁をなめることとなります。

 又、三蔵が真打ちに昇進し、人気を得た後も、「あいつはテレビのおかげで人気だけはあるが、噺の方はさっぱり駄目だ。何故真打ちなのかわからない。」などと散々に陰でけなされておりました。

 そのため、三蔵は、友生の設立する団体に参加しても、自分は大事に扱われることはきっとないに違いない、そう思っておりました。ただ、最初から断ったとあっては、自分の師匠に歯向かうことになる。そこで一計を案じ、最初は参加すると言っておき、直前に、自分の弟子たちに引き留められた、という態を装って残留することにしたのでした。

 さて、たまらないのは友生一派。協会の他の有名人気噺家も参加すればこそ、別団体も光るというものですが、結局参加したのは自分達一派だけ。これでは逆に協会から追い出されたようなものです。おまけに活動できる寄席もあまりないという始末。

 友生にしてみれば、三蔵が直前に態度を変えなければ、という気持ちが大いにあったことでしょう。友生はこの騒動の三年後、失意のうちに病に倒れ、やがて亡くなります。跡を継いだのは、惣領弟子である、三笑亭友楽(さんしょうてい ゆうらく)でした。

 この友楽と三蔵、蟹江一族も縁深き間柄となるのですが、その話はまたいずれ。

 さて、この最初の分裂騒動から二年後、二度目の分裂騒動が起こります。二度目の分裂騒動も、真打ち昇進問題が発端でした。

 協会に、横川清談(よこかわ せいだん)という人気、実力共に随一の噺家がおりました。この清談、本来であれば、三蔵より後の入門でありましたが、友生によるやり直しのおかげで三蔵の香盤が下がったため、三蔵が後の入門ということになっておりました。

 この清談、落語の腕に関しては、かなりのものでありましたが、同時に、そのプライドも高いことで有名でありました。なので、自分の弟子についても、しっかりと古典落語を叩きこむという教育方針を貫いておりました。

 さて、この年の真打ち昇進試験で事件が起こります。清談は、試験官を担当しておりましたが、この年の試験の際、インフルエンザに罹り、試験官を他の噺家に任せることとなりました。

 試験には、十名が参加しており、内二名は清談の弟子でありました。合格者は四名。清談の弟子二名は不合格でした。これに怒った清談。真打ち昇進試験の内容について大いに異を唱えます。

 その中でやり玉に挙げられたのが、合格した四名の中に含まれてた、二名の三蔵の弟子でした。

 清談曰く「俺の弟子にはみっちりと古典落語を稽古している。今回落ちた二人とも、五十は噺を憶えている。それに引き換え、今回合格した三蔵の弟子はどうだ。師匠がまともに噺をしゃべれないから、弟子もロクにしゃべれねえ。」という点が納得できぬ、ということでした。

 やり玉に挙げられた三蔵とその弟子達。三蔵は人気こそありましたが、噺がヘタである、まともに落語をやれない、という揶揄は以前からずっと続いていました。

 それが表立って現れてしまったのです。

 結局、清談は協会の真打ち昇進試験に納得できず、一門を率いて独立することとなります。

 このような協会を二分する騒動が立て続けに起き、そのいづれにも三蔵は深く関わることとなります。そのことが三蔵の心と体に暗い影を落とすこととなります。

 
さてさて、噺も佳境となりましたが、今宵はこれにて時間となりました。
 続きは又のご機会に。