さて、泰葉がここのところ、虐待落語なるものをずっと続けておりますが、、、

 

 それの向こうを張って、というわけではありませんが、虐待落語に対抗して、中傷落語なるものとして、落語めいたものを書いてみました。

 

 題して

 

 「噺家娘一代記(はなしかむすめいちだいき)」

 

です。

 

 落語というのは、単に面白話だけではなく、人情話もあれば、怪談物、講談もの、芝居もの、等々、色々な種類の噺があります。

 泰葉の父初代三平が落語で得意演目としていたのは「源平盛衰記」、源平の戦いの話です。これは、滑稽話の落語とは違って、芝居や講談に近いお話です。

 

 というわけで、泰葉の一代記ということで、講談調の噺を見よう見まねで書いてみました。

 

 当然ではありますが、落語ですので事実を基に、作者が再構成した全くのフィクションであります。

 

 お楽しみいただければ幸いです。

 

 

 それでは、本編でございます。

 

 

 

 

噺家娘一代記

 さて、これより始まりますお話は、とある噺家…(落語家)…の娘として生まれた、ある女の一代記でございます。

 この女、父親が当代きっての人気を博したとある噺家の二番目の娘として生まれ、子供の頃は乳母日傘で何一つ、不自由なく育てられました。さてもそのままお嬢様として育てば何の問題も無かったのでしょうが、そこが人生の不思議なところ。様々な出来事が仇となり、やがてはその身を持ち崩してゆく。どこにでもある話と言えばそれまでですが、この女の場合、そうでは無かった。その堕ち方のすさまじき事、すさまじき事。

 なにゆえにそのような仕儀と相成ったか、これからゆるりと語って参りますれば、しばしお聞きくださりませ。

 さて、この女、名を「蟹江 乙葉(かにえ おとは)」と申します。

戦後、昭和の江戸落語の世界で”人気者”の名を欲しいままにした、噺家「杜乃家 三蔵(もりのや さんぞう)」の次女として、生をこの世に受けました。

 この三蔵、乙葉が生まれた頃には、真打ちとなっており、その頃普及し始めたテレビジョンのお笑い番組で受けたことにより、すっかり世間の”人気者”となっており、”爆笑王”などというあだ名がつくほどの、超売れっ子でした。

 乙葉には「葵(あおい)」という、五つ年上の姉がおりました。

 人気者になり、仕事が安定し、子宝にも恵まれた三蔵は、二人の子供を可愛がっておりましたが、やがて、乙葉にとって、最初の事件が起こるのでした。

 それは、乙葉が七歳の時に起きた出来事でございます。

 三蔵の浮気相手に子供ができていたことが、発覚したのです。

 三蔵にはもう十年近く関係の続く、お妾さんがおりました。向島で芸者をしていた女です。そして、二人の間には男の子が生まれ、その子は五歳になっておりました。

 その相手と隠し子のことを、三蔵は妻である加根子(かねこ)に隠しておりましたが、加根子も勘の鋭い女。妾のことはとうに気付いておりましたが、そこは芸人の女房。女遊びのうちと、煮えくり返る腹の内を抑えておりましたが、ひょんなことから、隠し子の存在に気付いてしまいました。

 妾ならばともかくも、隠し子となると、話は穏やかには済みません。ひとしきりの夫婦喧嘩の大騒動の後、隠し子の男の子をどうするかという話になります。

 さて、ここで申し上げるべきは、この杜乃家三蔵の噺家としての複雑な事情、背景でございます。

 そもそもこの三蔵の父親も、噺家でありまして、その名を「七代目杜乃家正蔵」と申します。この”正蔵”という名前、江戸時代から続く由緒ある芸名でありますが、落語協会を巻き込んだ襲名騒動の紆余曲折を経たのち、ひょんなことから三蔵の父が七代目として継ぐことになった名前でございます。

 ところがこの七代目正蔵、三蔵が弟子入りして、前座修行を始めて一年も経たない頃、流行り病であっけなく亡くなってしまいます。

 そこに出てきたのが、”正蔵”の名前を譲ってほしいという話でした。譲ってほしいと言ってきたのは、その頃人気を集めていた「三笑亭 彦八(さんしょうてい ひこはち)」でした。

 本来であれば、ゆくゆくは父の名を継いで、と考えていた三蔵の母ですが、三蔵はまだ駆け出しの前座。とてもではありませんが、由緒ある名を継げる立場にございません。また、相手は当代の人気者。そう簡単に断れる話でもございません。しかしながら、正蔵の名は、夫が持っていた由緒ある大事な芸名。そう簡単に人様に渡せるものでもございません。

 苦肉の策で三蔵とその母がだした結論は、”一代限りの名跡貸し”、でした。正蔵の名前は、彦八一代だけが使い、彦八が引退したら、三蔵に名前を返す。

 そういう約束で正蔵の名前が彦八が使うことになり、八代目杜乃家正蔵が誕生致します。

 このような厄介な事情を抱えながら、三蔵は前座修行に明け暮れ、やがて真打ちとなり、テレビで人気者となり、ようやく世間に知られる噺家となりました。その中で、妻加根子と結婚し、二人の女の子を授かったのです。

 しかしながら、三蔵の母親には不満と申しましょうか、不安がございました。それは、未だに三蔵の跡取りとなるべき、男の子に恵まれていないということでした。

 この時三蔵はまだ三十半ば。これからいくらでも子宝に恵まれる。普通であればそれで終わる話でありますが、三蔵の母にしてみれば、自分の夫が突然の病でぽっくりとあの世に逝ってしまった怖さを知っております。

 いつ何があるかわからない。そういう漠然とした不安を常に抱えておりました。

 そこに出てきた、隠し子騒動。隠し子は男の子だという。三蔵の母は、その子を蟹江の家で引き取って、加根子と三蔵の子供として育てることを提案します。そうすれば、後継ぎの心配をしないでいいというのが母の本音でした。

 承服できかねる加根子でありましたが、姑である母の言葉は、蟹江の家においては絶対でした。不承不承、引き取ることを承知した加根子でしたが、結局、妾の芸者が自分の子供を取られるのが嫌で、子供を連れ、雲隠れしてしまったため、この話は立ち消えとなってしまいます。

 この一件は、妻加根子の心に深い傷を負わせます。女の子では、いくら生まれても、蟹江の家では本当に祝福してくれない。男の子を産まなければ、私の居場所すら無くなるかもしれない。

 加根子のそういった心境の変化は子供二人、葵と乙葉にも影響を与えます。

 何か、事あるごとに

「あんたたちが男で生まれてくれたなら。」

「蟹江の家には跡取りが必要。あんたたちは跡取りになれないから必要ない。」

 そう言った言葉が母加根子の口から出てきます。二人とも、その言葉に傷つくのでした。よくよくに考えてみれば、この時に乙葉のその後の運命も又決まったのかもしれません。

 その騒動から三年後、加根子に待望の長男が誕生します。そして、その五年後には次男も誕生。蟹江家は騒々しさに包まれつつ、日々が過ぎていくのでした。

 
 
 
 さてさて、噺も佳境となりましたが、今宵はこれにて時間となりました。
 続きは又のご機会に。