今日も変わらず物理の授業中髪の毛の枝毛を割く。
たまに先生に名前を呼ばれて慌てて問題にもどる。
何も考えずにぼーっと枝毛を抜いてる訳では無いのだ。
考えごとはしている。
こんなんで大学行けんのかなあ。文転しよかなあ。
あぁ、東京行きたい。
ぼーっとしているように見えるだろうが頭の中はうるさい。
たまーーーに、今教室に板尾創路が来たらどんなボケして帰るんだろうと、それだけ考えるのだ。
そして、脳をライト板尾が横切る。
あと2ヶ月もすれば3年生になって、あっという間に共通テストが始まる。
受験期になればみんなもう友達のようではなくなって、
お互い別人のようになるのだろう。
ただただ勉強だけをガッツリしていればいいと思っていた。
私の高校は校舎がふたつあり、その間にハンドボールコートがある。そこは風の通り道になっていて、よく風がとおった。
私は三階の教室のハンドボールコート側の席だったのでこっそり窓を開けて風を浴びるのが好きだった。
風の音を聞くのも好きだった。
少しの隙間を無理やり通ろうとするたくましい音、それで何人かが驚いて目を覚ますのも好きだった。
本当は進学せずに
高校2年生の私は女優になりたかった。
もしくは芸人。
同じ市に住む、母方の祖父の影響で小さい頃からずっとめちゃイケや、ガキの使い、ごっつええ感じを見ていた。
祖父からこれらの番組や芸人さんを好きだという話は聞いたことがなかったが、祖父母の家に行くと必ず着いていた。
ずっと大笑いしているわけではないが、祖父は番組をみていつも優しく微笑んでいた。
楽しそうだった。
私はダウンタウンが大好きになり、
いつの間にか私も人を笑顔にする側になりたいと思っていた。
松ちゃんに笑わされたことがない人などこの世にいるのだろうか。いや、いないだろう。(自論)
小さい頃からダンスを習っていたこともあり、
ステージに経つことや人前に立つことはすごく好きだった。
7時間目の物理が終わり、SHRが始まるのを待っていると
「それって髪の毛痛まんの?」
同じ部活の男子に聞かれる。
「傷んでるからこうなってるんじゃないと?」
「もっと痛むやんそれしたら」
「まあそうやけど、笑。物理面白くないやん」
「いやめっちゃおもろいっす」
物理が面白いと思っている人は少しひねくれている気がする。
あんなの理解できるわけが無い。
たまに公式使えないし。何が面白いんだろうか。
帰りのSHRが始まり、物理担当の担任が言う。
担任はとても論理的な思考を持っていて、いつも物理の授業では何でもポケモンに例えてしまう。
お陰でポケモンを通っていない私は全くわからない。
教員二年目の若くて小太りな先生である。
いつも紫の服を着て、青髭が少し目立つ。
「みなさん、物理の演習苦労してますね。
物理とは本来楽しんでやるものです。楽しい教科ですからね、頑張りましょう。家でもやるとよ?」
家でもこんなのやってられるか
「菜杏紗、今日何時間物理すっと?」
「えっ?」
「じゃあ2で。さあ明日も頑張りましょーう」
SHRが終わった。
「待ってー俺置いてかんで!!待って!!」
男子が急いで部活に駆け込んでいる。
女テニの友達が話しかけてくる。
「菜杏紗、2時間頑張りーよ。笑」
担任が会話に入ってくる
「ほんっとお前授業聞いとらんろ」
「物理は積み重ねの教科やけんね。今日出来んことが10月になったらできるごとなっとると?そんなわけなかろ。」
「やるしかなかっちゃけんね」
耳が痛い。
「はーい…2時間します…」
私が少しやる気のない返事をすると
担任はわたしに
「じゃ、明日の日誌楽しみにしてますからね。」
と言って廊下の冷水機までいった。
女テニの友達が
「あれって先生も飲むもんなん」と一言残して部活に行った。
私の一番古い記憶は母が子守唄で私を寝かせてる記憶である。
母の子守唄は幼稚園の先生がお昼寝の時間に歌ってくれるものとは異なっていた。
“ぐっばい まいらぶ この街角で ”
“貴方は右に 私は左に 振り向いたら負けよ”
“忘れないわ あなたの声 優しい仕草 手のぬくもり ”
はっきりとは覚えていないし、曲名も分からなかったがこの歌で育ったからか、お気に入りでよく口ずさんでいた。
まだ妹も弟も生まれておらず、母とふたりだった。
私は中々眠らない子だったそう。
夜は車に乗せてドライブしないと寝なかったし、車から下ろすところで起きてしまうし、と大変だったそう。
その日も母が
「なーちゃん、もう寝ようよ〜」
と私に言い、隣で母が歌い始める。
“ぐっばい まいらぶ この街角で〜 ”
“ぐっばい まいらぶ 歩いて行きましょう ”
この時の私はこの曲が誰が歌っていて何の曲か、どんな歌なのか、全く知らない。
私は野球部のマネージャーをしている。
野球のルールは全くわからないけど、部活動紹介の際に先輩たちに見学に行かされたのである。
案の定、みんな面白くて、マネージャーが楽しそうに見えて入った。
女子マネは4人いる。
同級生が私含め3人、1つ下に1人いる。
野球に興味なんかなかったのになぜここまで続けられたかというと、野球部にはお笑い好きの人達が多かった。
みんなダウンタウンプラスに入っていたり、
バッテリィズのエースと同じ髪型にした先輩がいたり、新喜劇が大好きな先輩がいたり、
水ダウについて毎回語る同級生がいたり、話が合うしとにかくトーク力が高い人達が多く、なにより居心地が良かった。
私たちは2007年以降に生まれた人達ばかりなのだが、
冬トレ中には“チキンライス”や“wow war tonight”、“GOINGGOINGHOME”、“オジャパメン”がスピーカーから流れていた。
みんなして、歌う。世代じゃなくてもこれが私たち野球部の当たり前だった。
しかも、進学校ではあるが決して弱い訳ではなかった。
公式戦では常にベスト8だった。
うちの家族で唯一野球に関連があるのは高校時代にソフト部だった祖父くらいだった。
レフトをしてたらしい。
父や母は野球部辞めときなよ。という感じだったが
祖父は
「今度キャッチボールしてみよう」
と言っていたらしい。
聞いた話だから表情は分からないが、きっと微笑んでいたと思う。
テレビを見ている時と同じように。
この話を聞いた頃は入学して1週間経ったくらいだったと思う。
私の誕生日は3月21日で、中学卒業して春休みに入った頃だった。
祖父は誕生日の日私の家にプレゼントを車に乗って持ってきてくれた。
アンパンマンの福袋だった。
母がそれを見て祖父に
「菜杏紗もう高校生だよ〜」
少し愛おしそうに言った。
祖父が
「ネットでの買い方分からんくてね、」
と申し訳なさそうに言った。
だけど、私は嬉しかった。
普通にアンパンマン可愛いし、中にはアンパンマンのノートとかヘアピンとか色々入ってたりペンも可愛いし本当に嬉しかった。
なにより、家まで祖父が来て祝ってくれたことが、すごく嬉しかった。
16歳の誕生日だ。
これから祖父は仕事に戻るらしい。とっくに定年は過ぎていたが、バイトとしてまた同じ職場で働いていた。
祖父は電化製品を修理するプロだった。
いつも作業着でたまに家にも仕事をしに来る祖父をかっこいいと思っていた。
夜、私は両親、弟妹、5人で誕生日会をしていた。
母が作った料理を囲んで色々な話を家族5人でしていた時、叔母から電話がかかってきた。
祖父がしんどいと言って苦しみ始めたので救急車を呼んだ。
という内容だった。
2024年の3月21日のことだった。
祖父は脳梗塞だったのだ。
命を落とすことはなかったが、中々退院は出来なかった。
そして祖父は長年働いた仕事を辞めた。
お見舞いに行きたかったけどまだコロナの規制が会ったので子供の私は面会が出来なかった。
そのまま私は部活が忙しくなったし、祖父も病院だし、と、祖父母の家に足を運ぶことは少なくなった。
生物の時間、先生が、
「みんなカブトムシとかクワガタ小さい頃買ってた人おらん〜?さすがにセミはいないか。」
と言った
私が小学生の低学年までは毎年夏に毎日祖父母の家に行く時期があった。
年長さんの夏、祖父母の家に行くとカブトムシがいた。
祖母がわたしに
「なーちゃんがお名前決めていいよ」
と言ってくれた。
カブトムシだから、という理由でガックンに決まった。
カブトムシのゼリーはなんだか冷蔵庫に入れておけば美味しそうで、食べられるような気がしていた。
土の匂いは少し苦手だった。
だけど、初めてのペット。可愛かった。
夏も終わりかけた頃
祖父母の家にいくとガックンが動かなくなっていた。
土曜日のお昼だったのでリビングでは吉本新喜劇が始まった。
“今週の座長は〜…”
祖父と、近くの公園にガックンを埋めに行った。
その時の私は身内の死を経験したことがなかったし、死という概念をあまり理解していなかった。
公園に行く途中、祖父に聞いた。
「死んだらどうなるの?」
祖父は少し考えて空を見ながら
「星になるんよ」
と言った。
「星?でも、星やったらいっぱいありすぎてガックンどれかわかんないよ」
私が言うと祖父は
「みんなで、なーちゃんを照らしてくれてるとよ。
じいじもわからんけど、いちばん明るいのがガックンかもね。」
と教えてくれた。
公園に到着して、ガックンを埋めた。
ふたりで手を合わせた。
「じいじもいつかしんじゃうの?」
帰り道にまた聞く。
すると祖父が
「そうやねぇ、死んじゃうね」
私は
「じいじはガックンより明るい星になってね!!」
と言った
すると祖父はわたしに微笑みながら、
「…じいじは風になりたいなあ」
「なーちゃんのこと、風になって背中押してあげられたらいいなあ」
2013年の夏のことだった。