さて一発目である

とりあえず父親について書こうか。

私の父親は今年で69になる。たしか。

父親は会社を経営していていわゆるカリスマ経営者というやつ。

確かに1人で会社をあそこまでデカくしたのだから経営者としての手腕もかなりの物なのだと思う。

と、父親の仕事についてはどうでもいい。
いや、どうでも良くはないか。

どうでも良くなくなったらそのうち書くことにしよう。

今回書きたかったのは昭和の父親。である

うちの父はバリバリの昭和の親父だ。

要は亭主関白で家では偉そうにしているだけだった。(今は知らない)

私が子供の頃、学校行事に来てくれたことは一度だけ。大学の受験の時に一緒について来てくれたことだけは覚えている。

親父ながらに一切子供の行事に出ないのは流石に申し訳ないと思ったからかもしれない。

ただ、うちではそれが普通であり、あたりまえなんだと思ったしそう教わった。気がする。

まぁでも、まったく何もしなかったのかと言われると、家族旅行には行っていたし。なんとなく父親と遊んだ記憶もあるので一応父親としては存在していた。

これだけ聞くと駄目な父親に思えるがうちではそうではなかった。

うちの教育方針は「家で一番偉いのは父さん」と毎日のように聞かされて育てられた。

偉いの意味すらわからない頃から聞かされ続けてきたものだから「朝の挨拶はおはようございます」と同じくらいあたりまえに体に染み付いた教訓だったし、一切なんの違和感も疑問も持たずに30年くらい過ごした。

私が小学校の高学年くらいの時には父親はすでに経営者で、たぶん中学年のときくらいからかなり裕福な家庭だったのだ思う。今思えば。

昔は貧乏だったと母親は言っていたがとにかく父親は外で稼いで母親が家を見ると言う図式がずっと成り立っていた。いまもだが。

何が言いたいかというと、家庭の為に金を稼いできている父親=偉いという方程式になんの疑問も抱かずに育てられた子供というのは結構な確率でそのまま自分が築いた家庭。子供に押し付けるんじゃなかろうかと危惧している。

幸いに、私は家庭にも子供にも恵まれ仕事もバリバリやっておそらく当時の親父みたいな生活を送っている気がしている。
ただ、そうなった時にやっと実感したことがあるのだ。

「家」で一番偉いのは誰がなんと言おうが母親である。
うちの場合は。

もちろん家庭によっては半々のところもあるからどっちが偉い。は無いかもしれない。

いや…違う。

家庭と言う中において誰が「偉い」のか。を決めている時点でおかしいのだ。

なるほど。やっと分かった。
親父は経営者である。組織のトップで生きている。

だから家族も「組織」としてしか見れない人なのだ。

親父からしてみたら自分は「株式会社家 」の代表取締役で、母親が役員。子供が社員。ということなのだろう。
だから考え方がそもそもおかしいのだろう。
そう考えると色々合点がいく。偉そうなのも。

そりゃ社長が会社の雑務や細かい仕事なんかやらないわけだ。なるほど。

だから親父の中では私の家庭は「子会社」なのだ。

なんか色々腑に落ちたところで自分はちゃんと考え方と家庭に対する考え方が違うことがわかった。
ただ、自分は良い父親ではないが。

それはまた次の機会に