哲学的なことを語るのは、好きではないがこれ抜きでは語れない気がするので、

今の自分の人生についての考え方を書こうと思う。

 

一、人生の帰着点からの逆算する。

一、自己を見つめ、耳を澄ませ。確固たる意志は何かを自分の中で考え直す。

一、バカになりきる。

一、自分の事は案外みんな気にしていないし、注目すらしていない。

一、自分との闘いが終われば自ずと答えは出ている。

一、世界は変えられないし、変えるのに時間を割く時間があれば新しい世界を作る。

一、「遠山」ではなく、「なゆたん」だったらどうするか考える。

一、「桐朋プライド」は捨てる。進学校だったから歩むべき道がある的な思考は捨てる。12年間分の鎖が解き放たれた時、恐れがなくなる。

一、「Give and Take」は必ずGiveが先。Takeは求めない。Giveは平等に行い、Takeがあった人が本当の仲間だということ。

一、自分はマトリクスの外にいると思い込む。

一、一番いい状態でやめるのがいい。

一、明日死ぬかもしれないと思って、全力で行動するということ。そしてそれが自分の本心だということ。

 

小学校の時から幼馴染の友人と会った。

彼の生き方と思考が似ていると思ったからだ。

そして話してみて、やはり生き方の目標が一緒だということが分かった。

彼との違いは簡単で「行動」をしているか否か。彼の方が「行動」し続けてきたのである。

ただその「行動」というハードルがとにかく高い。今まで自分が積み上げてきた人生経験を変えるには勇気がいるし、プライドも許さない。

そんな中彼は様々な経験をしてたくさんの壁を乗り越えてきていた。

本人が言うとおり、頭おかしくなるくらい人生について考えてきただけあって、一つ一つの言葉も重かった。

 

 

コロナの休業中、人生について改めて考えた時、やっぱりどうにかしたいと強く思い始めた。

そもそも自分は会社員として定年まで働くのは、どうしても自分の人生観とかけ離れていると感じていた。

父親はずっと自営業だっだし、そういう背中を見て育ったのは大きいと思う。

大学もグローバルだったこともあり皆アクティブで、すぐに世界へ羽ばたく人もいるし、やりたいことをやる人も多数いた。

そういう環境にいたからこそ、刺激的な人生を送りたいと感じていたのだろう。

 

今やっている仕事はとても好きだし、天職かと思うくらいに好きだ。

ただ年数を重ねるごとに、会社という組織が自分に合わないのではないかと思い始めた。

会社が右向けといえば右向かないといけないし、結局会社の為に働いている感覚があったからだ。

自分の為に会社を利用しているという考えればよいという意見もあるだろうが、自分はどうしてもそういう考えに至らなかった。

会社は基本的に業務をそつなくこなせば給料は出続ける。それが納得がいかない部分なのである。

性格上このままこの環境で働くことはその環境に甘え、自分の求める人生ではなくなる確信があった。

人生をもっと刺激的に必死に生きるためにはその環境を脱して、無理矢理厳しい環境を作らなければならないと感じたのである。

 

会社にいながら自分の今後の人生を決めるなんて器用な事はできない。そこで私は会社をやめる事にした。

 

会社にいる事で自分の事を真剣に考える時間が減るのがとにかく嫌なのである。

自分の人生はPriceless。お金にはかえられない価値がある。今が一番若くて行動するには何するにも遅くない。

その行動の第一歩としてやめるという選択をしたのである。

 

こんなコロナで混沌としている情勢で会社をやめるなんて贅沢な話かもしれない。

ただ逆にコロナがなかったら、確実に今やめるという選択をしていなかったであろう。

 

夢は自分が主役であるということ。何かの自分ではなく、自分ための自分である。

転職する気なんてさらさらない。ただ人生についてもっと真剣に考えたい。人生に命を懸けたい。それだけの話。

普通の人からしたら考えられないと思うけど、それでいいと思ってる。そもそも普通ってなんだろう。

 

婚約相手がいたり、結婚していたらこういう考えに至ってないと思う。

会社員続けて家庭を守るという選択になるだろう。

ただ今の自分はとにかく「自分の人生を全うすること」が目標なのである。

運命の人がその道中に現れるかもしれない。そしたら、その時に考えればいい。

 

自分の人生は自分で決める。生と死は決まっているが、その道のりは人それぞれ。

悔いのない人生を送るための一歩を俺は踏み出す。

「ちゃんとやれ!!!!」

 

という事で、「ちゃんとやらない人間」が「ちゃんとやれる人間」になる為に、

身近な物事を考えて超不定期で更新する本日のブログテーマは、

 

「転売ヤーは悪なのか」

 

という事です。

最近よく耳にするこの言葉、なぜ転売ヤーは叩かれるのか疑問に思い、

本日のテーマにしました。

 

そもそも転売ヤーとはなんなのかというと、

「転売屋+バイヤー」

のことで、仕入れたものに利益を乗せて販売している人のことを指します。

 

転売ヤーはヤフオクやメルカリ、ラクマ等のサイトが普及してより一層耳にするようになりましたが、

とにかく評判が悪い。その理由は主にチケットの転売が発端かと思います。

チケット転売といえば、「ダフ屋」。「ダフ屋」は公共の場所(会場入口等)でチケット転売する人たちで、

迷惑防止条例などで規制がされています。

そして昨今インターネットの普及により出てきたのが、「転売ヤー」。

特にインターネットを通じたチケットの転売は、「業界をを守る」意味でもファン、アーティストや選手達など、

様々な方面から大きな声が上がりました。

本当のファンにチケットが届かず、高額で転売されたが故にチケットが転売ヤーの所で余剰し、

ライブ会場の席が余るといった事態は、アーティストにとっても悲しい出来事です。

 

そういった経緯、また東京五輪を控えていることなどから、

チケットの転売に関する法律、「チケット不正転売禁止法」が2018年に公布施行されました。

 

(引用:文化庁)

 

「本法律は,特定興行入場券の不正転売を禁止するとともに,その防止等に関する措置等を定めることにより,

興行入場券の適正な流通を確保し,もって興行の振興を通じた文化及びスポーツの振興並びに

国民の消費生活の安定に寄与するとともに,心豊かな国民生活の実現に資することを目的とします。」

 

これによりチケット転売で正規価格以上の取引は禁止されるとともに、パッケージ化されたものも禁止となりました。

(パッケージ化=チケット+グッズ等で高額販売すること)

(引用:チケトレ)

 

チケットに関しては、これら規制により一定の抑制がされたと考えますが、

それ以外の商品については今でも議論が交わされています。

 

直近で転売商品で話題になったものといえば、「マスク」です。

転売ヤーの買い占めにより、全国で深刻なマスク不足に陥り、

通販サイトでは50枚入り数千円といった価格で取引されていました。

しかし重大な事態と国が判断し、国民生活安定緊急措置法に基づきこちらも転売禁止となりました。

要は緊急事態時に安定した供給が困難なものに関しては規制をかけるということです。

あまりの高額に怒りどころか呆れ返った人も多くいたことでしょう。

 

このようなことから、転売ヤーに関して悪い印象を持っている人が多いのだと思います。

 

さて本題に入りましょう。

このような悪の存在になってしまった転売ヤーですが、果たしてそれは本当に悪なのかという事です。

この疑問私の結論から言うと、

 

「転売ヤーは基本的に悪ではない」

 

という事です。

その理由は主に3点あります。

①「日本が『資本主義』であるということ」

②「『転売』は我々の身近な存在であるということ」

③「悪に仕立てあげる人のほとんどが『感情的』であるということ」

 

①「日本が『資本主義』であるということ」

日本は明治維新以降、資本主義体制です。

 

「働いたらその労働力に応じて報酬が得られるという制度であり、自由に経済活動を行える社会です。

モノの価格やサービスの内容は市場の競争によって変動し、これを市場主義といいます。

一般的には競争によって価格はより安く、サービスはより質が高くなりますが、需要が多ければ価格が上がることもありえます。」

(引用:JACCS)

 

ポイントは最後の一文、「一般的には競争によって価格はより安く、サービスはより質が高くなりますが、

需要が多ければ価格が上がることもありえます。」にあります。

 

需要過多のものに関しては、定価より高くなってしまう。それは資本主義では認められているのです。

故に、需要が増えるであろうモノを予測して仕入れて、転売する事は何ら問題ない訳ですし、

実際にマスクに関しても、通販サイトで「50枚4000円・売切」というのを幾度となく見ました。

需要過多なものに関しては、定価より高くても欲しいと思っている人がいれば、売買が成立する。

それが資本主義であり、自由経済なのです。

資本主義の中で暮らしている以上は認めていかなければならないですし、

今回の「マスク」の一件のように、社会的認められないものに関しては、

法律を作って拘束力をつけるといった形で変容していくんですね。

 

ちなみに、「資本主義」の反意語は、「社会主義」です。

資本主義は私有財産ですが、社会主義において財産は全て国(社会)という事になります。

国が財産のすべてを持つので、貧富の格差を是正できるという点が社会主義最大の特徴と言えます。

 

 

②「『転売』は我々の身近な存在であるということ」

ネット社会の今、Amazonや楽天を利用して購入する機会は多いと思います。

このAmazonや楽天での販売、正規店が販売元のケースもありますが、転売屋が電気店で型落ちのものを安く仕入れて、

Amazonを通じて販売し、それを消費者が通常価格より安く購入しているケースも多々あります。

そうした販売元から購入するのは、悪になるのでしょうか。私はそうは思いません。

ほかに古本屋だってそうです。これも誰かが売りに来て成り立っているわけです。

転売という言葉だけで悪印象を持つのは、あまりにも短絡的だと私は感じます。

 

③「悪に仕立てあげる人のほとんどが『感情的』であるということ」

それではなぜ悪に仕立て上げるのでしょうか。それは買い占めにより過剰に金額を吊り上げたり、

偽ブランドの販売したり、そういった行為が悪印象に繋がっているのだと感じます。

また単純に利益の出し方が汚いといった事もあるでしょう。

しかしながら、そのほとんどは「感情的」なものだと感じます。

一貫性の主張のもとに転売が悪と説明できるのでしょうか?

悪だと決めつけて、規制をかける事で、実は我々の首が絞められる可能性はないでしょうか?

禁止されている行為、法を犯す行為をして、転売で利益を得るのは許されることではないですが、

そうでない転売は認められるべきだと考えます。

 

今一度、「転売」という行為について考えてみませんか?

実は表面的に理解していただけかもしれまんせん。

 

ちなみに転売で生計立てるってトレンド把握しないといけないし、相当難しいはず。。。笑

※今回のブログの内容が非常にデリケートな為、人によっては不快に感じる場合もございます※

 

 

 

 

18日の朝、相鉄線の瀬谷駅で17歳の女子高生が通過する特急電車に飛び込み自殺をした。

 

(ANNnewsCH)

 

このニュースが話題となっているのは、自殺する瞬間を動画配信していた事と、

Twitterに自殺に至るまでの過程が赤裸々にツイートされていたという事である。

見てみたいという方は、自分で検索して調べてみてください。

 

配信動画に関しては、自分の性格上苦手な部類のものなのだが、なぜか繰り返し見てしまった。

自分が見た動画自体は2分弱のもの。通過待ちとなる電車から降り、ベンチに荷物を置き、携帯をベンチにセットして、

通過してきた特急電車を確認して、躊躇することなく線路へ飛び降り、

警笛を鳴らしながら走る特急列車が過ぎ去るというものであった。

 

私がこの動画を繰り返して見てしまった理由を考察するに、「躊躇なく」飛び込んでしまったからだと思う。

私が自殺しようと考えていたら、やはり飛び込む前に「躊躇してしまう」と思う。

勿論、そんな事を考えたことは一度もないから、もしそのような状況に陥ったら躊躇しないのかもしれない。

 

彼女のTwitterを見ていくと、自殺するまでに至る経緯や気持ちの変化が汲み取れた。

過去にいじめや父親からの性的虐待をほのめかすツイートがあり、精神薬の服用やリストカットも行っていたようである。

自殺という選択したのは、先に述べたいじめや虐待からなのかは分からないが、少なくとも精神的な病を患っていたのは事実みたいで、

年明けから元々持っていた自殺願望が強くなっていったように感じる。

ツイートから読み取り感じたられた事は、友人がおらず推しメンに頼っていた事、そして整形願望があり自分を変える事で人生を改めたいという気持ちがあったのであろうという事だ。

 

そして彼女が動画配信した決定的な理由というのは、荒波の中で彼女なりに一生懸命生きてきた中で、

最期は「自分に注目して欲しかった」からだという事だ。これは実際に本人のツイートにも記載されている。

自分も友人が1人もおらず自殺を考えていたら、そのような行動を取るかもしれない。

彼女は注目されることで、自分の存在意義を確かめたかったのかもしれない。その為の手段が自ら命を絶つという選択だったようにも感じてしまう。

 

 

「やめるのが一番勇気がいる」

 

 

これは先日松本人志がみのもんたの「ケンミンSHOW」からMCを引退する事に対して発言した内容だが、

この言葉は彼女にも通じるものがあると思った。

彼女は「人生をやめる」という選択肢を選んだ訳だが、これ以上の「やめる」という出来事はない。

自殺を推奨する気は全くないけど、彼女のここまでの成り行きを知ると「命を絶つ」という選択を止める事はできない。

 

その原因は周囲の環境が大きいであろうが、彼女がTwitterで非情な訴えをしているにも関わらず、手を差し伸べられなかった

部分も少しばかしあるように感じる。

だからといって責任が我々にあるとは決して思わない。ただこうやって亡くなってしまってから話題となるのは、なんとも居た堪れない。

 

自殺を考えている人に、

「生きていればいいことがある」

とかよく耳にするけど、その根拠を示すことはできないし、むやみにそのような発言は私にはできない。

私はそのような声掛けをしなければならない前に、その人を救えるような関係を作りたいと今回の一連の件を通して強く感じた。

 

謹んでお悔やみ申し上げます。

 

お久しぶりですね。

ふとした時に書きたくなるブログ。誰が見てるかはさておき、独り言で利用しているTwitterのロングver.としてアメブロを利用しているわけですが、今日は「正義感」について書いていこうと思う。

ここ一年くらい、揉め事をしている人が近くにいたら勝手に体が動き仲裁するようになった。
今までは見て見ぬ振りをする自分だったが、最近は周りに迷惑がかかっていたりすると、それがどうしても耐えられなくて、行動に移してしまう。

今日はこんな事があった。
新橋駅のSL広場横の喫煙所で襷をかけたおじさんが、

「今日もお疲れさまでした!」

みたいな声掛けをしていた。喫煙所で後輩と喫煙していると、そのおじさんが喫煙所の外でタバコをポイ捨てしたおじさんに、

「きちんと灰皿に捨ててください!今東京都はこういう人のせいで喫煙所が無くなってるんです!」

と言い放ち口喧嘩が始まった。

こうなるとその喧嘩は止まらない。

ポイ捨てしたおじさんが、
「お前に言われる筋合いはない」
といえば、
襷のおじさんは
「今すぐこういう事はやめてください!周りの人達が迷惑するんです」
と言う。

そもそもポイ捨てしたおっさんが注意されて、すぐに灰皿に捨てにいけば問題ないのだが、プライド的な部分で言うことを聞きたくなかったのだろう。
それでいうとこのおじさんの精神はベイビーだ。

ただ襷をかけた注意したおじさんも、今後言うことを絶対に聞かないであろうポイ捨てしたおじさんに言い続けて正そうとするのも無理ある行動である。

自分がそこに割って入り(同じタイミングで割った人もいた)、制止した事でその場は収まった。

ただこの問題、ポイ捨てしたおじさんが誤りなのは間違えないが、言い分だけ切り取ればどちらも正しいように感じる。

正義感を持ったおじさんはただのおじさんであって、ポイ捨てしたおじさんからすれば注意される筋合いは無いし、正義感持ったおじさんの言うポイ捨てのせいで喫煙所減り喫煙者の肩身が狭くなるのも理解できる。

ただ状況を振り返ると、喫煙所で痴話喧嘩が始まったという話で、それは喫煙所にいる人達、その周りにいる人達が不快な思いをしてるか、無関心かのいずれである。
最近私はこの状況が一番悶々とするのであり、その人達の言い分がどうとかではなく、単純に周りに迷惑をかけていれば止めたくなるのである。

日本人は見て見ぬ振りをするケースが非常に多い。
他人を思いやる気持ちは人一倍あると思う。但しそれは「自分が面倒な事に巻き込まれない限り」という条件付きである。
自分はそんな条件に対して悶々とするからこそ、最近はそういう場に出くわすと、割って落ち着かせたいと思うのであろう。

これは正義感なのだろうか。
とか言いつつ実際これが正義感であろうがそうで無かろうが関係ない。自分がそうした方がいいと思ったからしただけで、本当に身の危険を感じる事なら行動に移してないであろう。

違うと思ったことは違うと言いたいし、正しいことは正しいと言いたい。だから異論があれば逆も言われたい。
自分に嘘を吐くのは嫌だし、ありのまま生きたいと最近強く思うからこそ出てくる行動の一部なのかもしれない。
まぁ世にはYouTuber(ユーチューバー)という言葉が流行っているが、私はYouTuviewer(ユーチュービュアー)である。
YouTuberとはYouTubeを介して世の中に配信する人で、YouTuviewerとは逆に様々なチャンネルからの配信を見る人の事である。テレビで言うところのテレビッ子みたいな(笑)
多分自分が初めて世に放った言葉だと思っているが、他の人と1つ違うとしたら勝手に評論している事である。自分で言うのもなんだが、流行るYouTuberは簡単見分けることができると自負している。だからなんだという話ではあるが、人気の出るYouTuberには4つ特徴がある。

1.毎日動画を上げている。
2.動画ネタは自分達でアイデアを考え出している。
3.チャンネルテーマがある。
4.成長が感じられる。

1.毎日動画を上げている
YouTuberにとって、毎日動画を上げるのは並大抵の事ではない。教科書があるわけでもなく、動画編集が上手くなければ視聴者は飽きてしまう。素人が始めて成功する確率なんてごく僅か。複数本撮りしてても編集になれるまでに挫折する人が殆どであろう。そういう意味では毎日同じ時間に配信できて、しかも登録者が少なくてもやり続けないといけない根気が必要なので、毎日動画をあげているというのは非常に価値が高い。

2.動画ネタは自分達でアイデアを考え出している
毎日動画をあげなければならないのに、そのアイデアは毎日自分達で考え出さないといけないというのは大変な作業である。面白い番組の視聴率が高いのは番組企画が面白いに他ならない。誰もやらない企画を身体を張ってやったり、自分にはできないことをやったりする事は、見ていて清々しい。常に情報収集しているYouTuberが結局はYouTube界を引っ張ってるのである。

3.チャンネルテーマがある
チャンネルテーマは非常に重要だと考える。実験系、商品紹介系、エンタメ系、ギャンブル系、炎上系など様々なテーマがある。それは配信する種類だけでなく、JK・YouTuberとか配信者としてのテーマも含まれる。テーマがあるとずっとそのYouTuberを追い続けることができ、毎日見るのが楽しみになる。そういう意味で、テーマがぶれずに軸のあるYouTuberは人気が出やすい。

4.成長が感じられる
さっきも書いたことではあるが、YouTuberの最初は非常にキツいと思う。毎日動画を上げて、面白いネタを考えて、登録者が増えない中で様々な試行錯誤をしてチャンネルを作り上げていく。そんな中で1年経つと最初の頃と比べて随分人気になって成長したなって思う事が多々ある。YouTuberの成長は非常に早く、1年でさらに面白い番組になっていることが多い。視聴者もそれは確実に感じていて、そのチャンネルの成長が感じられることがテレビとの大きな違いの一つだとも思っている。応援し続けたアイドルが売れて喜びを感じるのと同じなのである。

かれこれYouTuviewerとして5年目な訳だが、これからはもっとYouTubeが流行っていくと思うし、テレビとは全く違う世界を描いていくことだろう。
個人的にはテレビに出る芸能人がYouTubeに進出して欲しくないし、YouTuberがテレビに出て欲しくない。YouTubeとテレビの違いはスポンサーに囚われないこと。YouTubeは広告案件とかあるけど、基本的に自分が好きな事をチャンネルに流すことができる。テレビより圧倒的に自由なのである。その特権を生かしてそれぞれのYouTuberはこれからも配信を続けて欲しいし、応援してます。

YouTubeの面白いチャンネル探すの楽しいですよ。自分の好きなチャンネル、必ずあるので!!