康子です。2回目の投稿です。


先程依存症になった原因を書きましたが、その原因の一つになった部分についても書こうと思います。


私はその一つの原因は父だと思っています。

一緒に住み始めてあと少しで1年になります。その1年にもいろいろな事がありました。でも、一緒に住まなかった方が良かったかもしれない。そう思うようになりました。


男性はとかく家では自分から話さない。

そんな事、思ったことはありませんか?私はそう思う事が多々あります。でも主人は、私の体を第一と思ってくれているせいか、まだ色々はなしてくれます。でも、父は何も話しません。こちらから話しかけないと本当に何も話さないのです。


今日もそうでした。もうテニスに行っていますが、父が起きてから「今日テニスに行く?何時から?」と私が聞き、「今日は9時からかな。」と言い、「じゃあ、朝ごはん(外で)一緒にどう?」と言うと「それは無理だよ。無理。」と断られ、その後全く互いに話すことはなくなり、終始無言のままテニスに行ってしまいました。


「ああ、この人は何か用事がないと話さないんだな。」そう思いました。そして、よくよく思い出すと、母も父と話しているという姿をあまり見なかったなと思いました。確かに私が家に居なかった時もありますので、その時はどうだったかわかりませんが、少なくとも私が同居し始めて、母は私とはよく話すようになった。父は何も言わなかったようにお負います。父は母に何か用事があると、私を伝書バトのように使って、「父ちゃんがね〜だって。どうする?」と話していたように思います。それを考えると、互いに話さなくなってかなり経つのかもしれなかったです。


でも父はテニスに行けば仲間がいます。良かったことにコロナの影響は殆ど受けなかったので、一人になることはなかったかのように思えます。家を出れば誰かがいる。それは本当に幸運だなと思います。

待っていてくれる人がいるのは本当に幸せなのかもしれません。


人は一人では生きていけない。と私は思います。

いずれにしろ、どんな形でも他人とのインターアクションがあって初めて自分の存在価値を知ります。人とのインターアクションがなければ、それは本当の孤独になってしまう。孤独はただ一人になるとは異なります。寂しさや虚しさだけがそこに残る。そう私は思っています。


父は母がいなくなってもそれを乗り越えたのは、やはりテニスの仲間や私達の存在だったと思います。それが全く無く一人きりだったら、今頃どうなっていたかは私にはわかりません。自分のおかげだとは思わないけど、でも人と人とのインターアクションは自分の存在意義をはっきりさせ、そして自分がここにいてもいいんだという事を自覚させてくれる。そんな事だと思っています。



お読みいただきありがとうございます。