乳癌になる前の私は、仕事一筋、いわゆるキャリアウーマン。結婚して子供を授かったものの、一般的な母親のような感情は正直なかった。もちろん子供は可愛いが、1人の人間の運命を背負ったことへのプレッシャーと仕事をできないことへのストレスの方が勝っていた。家族にもそのことは言えず、育児が早く終わらないかとばかり考えていた。時には社会から疎外されたようで、1人泣いたこともあった。ただそんな中でも子供は容赦なく泣く。生真面目で責任感は人一倍あったため、当時仕事が忙しい主人には何も言えなかった。養ってもらっているから我慢しよう。自分で自分をがんじがらめにしていた。

1歳になってすぐに託児所に預けて働いたし、体調が悪ければ病院へいき、入院した時は小さいベッドで一緒に寝てずっと付き添った。その上働く条件として家のことは疎かにしないということが提示された。私は悔しくてそのことを今も守り続けている。主人は覚えていないらしい。笑  とにかくがむしゃらで意地ばっかり張って、自分さえ我慢すれば周りが円滑になる、そんなことばかり考えていた。

しかし乳癌と告知されて時間に余裕が出来た頃、今までを振り返ることが出来た。実は手術で意識を失う前、走馬灯が駆け巡った。まだまだ恩を返さなければいけないのに…あぁしとけば良かった、ちゃんと顔を見て伝えたかった、あの時勇気を出してしておけば、そんなことばかりが思い浮かんでいた。家族の大切さ、自分ひとりで生きている訳ではないこと、周りへの感謝、主人の優しさ、娘の強さ、全てが当たり前ではない、普通は特別。取り巻く環境全てが愛おしく感じ、ストイックになり過ぎていた自分への休養期間、そして気付かされた機会を与えてもらえた、そのように感じていた。その後、おもむろにやりたいことをノートへ書き出した。まだまだ残っている。まだまだ死ねない。

私はここで人生の中で大切な物を学ぶ。遅すぎたのかもしれないが気づけて良かった。この経験は良い方向へ、そして初めて人へ伝えていきたいという思いが産まれた。