後からわかった話なのだが、家族に聞いた一部始終を記録として残すことにする。

朝の9時に病室で家族にバイバイと告げて、戻ってきたのは17時半。8時間半の大手術となった。私が記憶を失ってから家族も衝撃の光景を目の当たりにしたらしい。

まず癌細胞を取り出す手術だ。浸潤癌という乳腺からどんどん広がっていくタイプだったため、癌細胞と左胸全てを摘出する。その後脇のリンパ節の確認。色付けされた部分を全て除去する。この段階でわかったことはリンパ節転移は4個あった。このことを家族が一番先に知ることとなる。脇へのリンパ節転移は鎖骨へと道順がだいたいわかっているらしく、幸い鎖骨転移はなかった。

その後摘出部分への移植のため形成外科へ。同時再建だ。左広背筋を移植する予定だったが、やはり足りず左の背中を20㎝ほど開き、腰あたりまでの筋肉をえぐり取る形となった。形成外科の執刀医は全て写真におさめそれを家族に見せた。後から知った話だが、それは血で真っ赤に染められており、背中の筋肉と言われても決してわからなかったらしい。ただ執刀医からは『すごくきれいですよ!この時点で再建は成功です!』と自信満々に言われたという。ここが医者と患者の意識の違いであり、大きな温度差があったことを知る。

癌細胞はそのまま病理検査に回され、後日結果を聞くこととなっていた。

目を覚ました私は今が何時なのか何が起こったのか全くわからず、麻酔の影響で意識がぼんやりしていた。
家族の呼びかけに頷くのが精一杯で、身体はだるく気分も悪かった。麻酔が切れてきたのかどんどん激しい痛みが襲ってきて背中が特に痛かった。体勢を変えようとすると何かが引っかかる。尿を出すための管やお腹に血だまりが溜まったドレーンと呼ばれるものがぶら下がっている。そしてびっくりしたことに左手が全く動かずパンパンに浮腫んでいた。目の当たりにした私は自分が手術を受けたことを実感し、無事終わったことを知った。左胸はきっとない、そのことを実感した瞬間でもあったが、触る勇気はなかった。

その日の夜、筋肉注射やロキソニンなどの痛み止めをたくさんしてもらったが、それも越える痛みで全く眠れなかった。