終わった | やっぱり一人が好き

やっぱり一人が好き

 何年も日記のようなブログを書いていると、私の悩みは、一人でいるか、ワイワイするのかで揺れていると思う事がよく分かった。

 まさにその点が私の心のわだかまりであるし、辛いところである一方、生きている証拠でもあると思う。



昨日行った、神社。海の神社だから混んでいた。

やはり、冬がいい。

今日最後に行くつもりはなかったが、上履きも置いてあるので、行った。

校長先生と話して、何とか二学期継続できませんか?と、言われたけど、難しいと答えた。

どうも、私の授業ほさを見て、居て欲しいと、社交辞令を言われた。

まあ、ここは、真に受け止めよう。

一時間位話したかな?

私も、楽しかったです。  

この学校辞めるのでなく、会社を辞めるので、難しいです。

凄い私には、為になった。

私が、塾で教えているのは、点数をあげるため。

そして、私が、この仕事が嫌いなのは、それが、私には、意味を持たないから。

やっと分かった。

だからと言って、学校で教えようとはもちろん思わない。

どうでも言い階級社会に、私は、別に、住みたくない。

小学二年生は、分け隔てなかった。

何となく、みんな、存在していて。

何処でそう言うのがかわるのか?

校長先生は、それを目指していると言っていた。

そう、そう言う社会が望ましいと思う。

居心地が良い。

下らない、階級社会など、勝手に人が作った支配装置に過ぎない。

私も、もちろん溺れた。

しかし、それは、私の望む世界でない。

適当に生きて、適当に死んで行く。

それの何が悪いのか?

糞みたいなお金しか払わず、市からたっぷり金をもらっているのに、それすら、出し渋る。

こいつは、そう言う人間。

なんか、変だよ。

校長には言わなかったが、なんか変というのは、同一の見解であった。

考えてみれば、最初にZoomで、面談したとき、声が聞こえない、マイク変えてとか、言うわけ。

マイクを変えても変わらない。

だから、すぐに、「こっちの問題ですか?ちゃんとインジケーターは、動いていますよ」と。

なんていうか、それ、他の人もそうだったらしい。

だとしたら、意図的にやっているわけで、彼なりの面接なのかもしれない。

しかし、そう言うことが、多すぎる。

親が手術をすると言ったのに、私が、手術をしたことになっているは、全く筋違いなことが多い。

まともに機能しない。

頭が良すぎるのかも知れない。

仮にそうでないと、文科省まで、たどり着けないはず。

しかし、とんちんかんな訳です。  

別に、どうでも言いけど、少し自分の立場わきまえたら。管理者向きじゃないよ。

そう校長とは、話した。

校長が正しいと思う。

奴が、頭のいいことは知っているみたいだ。学歴であろうが。

全部自分の世界で、考えるから、私が、まさかもう行かないとは思っても居なかったようだ。

私は、辞めるし、二回は親の手術で休む。

ただそれだけのことが、そんなはずはないと受け入れられないと思う。

テメーでやれよ。

まあ、給与の請求もしないから、もうどうでもいいけど。