日帰りで銚子に行ってきた。 | やっぱり一人が好き

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 何年も日記のようなブログを書いていると、私の悩みは、一人でいるか、ワイワイするのかで揺れていると思う事がよく分かった。

 まさにその点が私の心のわだかまりであるし、辛いところである一方、生きている証拠でもあると思う。

どうも今週は暇なので、海を見に行こうと、銚子に行ってきた。
東京の八重洲口から、バスが出ていたので、それに乗った。

頭に来るのは、次のとまる駅の最後に、ゴミを持ち帰れとか、椅子を直せとか、丁寧なアナウンスが、流れるのだが、なんで、金を払っているのに、いちいち小学生見たいな注意を受けなければならないのか不明だった。

別に、普段はどーでも良いことだが、私が、犬吠埼という所で、降りたのが最後で、そこでは、運転者自ら、注意を促し、バスはごみ箱じゃないから、ちゃんとゴミを持ち帰るようにとか言われる始末。

こっちは寝ていただけで、ごみなどないのに。

かなり、イラついた。


まあ、天気は良くはないが、その分海はすいていた。

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30分くらいだらだら、海を眺めていた。本当に気持ちが、良い。ずっとこればかりだと、これまた、なんとも思わないのかもしれないけど、なんとも言えない思いがする。

今日は、半年たっても、恋愛の事を思い出すとか、あとは、あるYouTubeサイトで、生まれて来たのは、何か、宇宙に残すためだと言っていたのが、頭に離れないでいる。この年まできて、なにか、世の中の為になることをしたのかな?とか、そんなことばかり。海に行ったのも自分の為。いつだって自分の為。何も残せていない気がした。

出会いかな?

本気でその人の為に死ねると考えることが出来た人も何人かいる。でも、実際死んでないわけで、これまた、思いだけが、独りで歩いているだけ。

何も、世に知らしめたいとかそんなんじゃない。少しでも、自他主義的なものは、何か、あるのかと?少し考えてしまった。

ちょうど電車に乗り遅れて、30分電車を待っていた時もそうだった。

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銚子電鉄に乗っていると、タイムスリップをした気がした。なんというか昭和というか。お客さんも3人しか居ないので、昔の電車に乗っているきがする。都心でも、別に、乗り方など、同じなのだが、なんとも言えない気分になるのが、銚子鉄道。

観音という駅で降りて、飯沼観音にお参りに行こうと思ったが、時間というか、携帯の電池がなくなり、難しくなってしまった。行きに少し見えたのだが、前より、綺麗になっていた。


その昔、坂東33箇所を回ったことがある。この間、写真が出てきたのでアップしたいと思う。

わざわざ、銚子まで来た覚えがある。

昔は、駅を降りると、醤油の臭いがして、あれを体感したかったのだが、街に醤油の臭いが全然しなくて、残念だった。

多分、私は、過去に二回銚子に来ていて、それが、楽しみだった気もする。

帰りは、特急電車に乗った(乗っている)。

薄暗い中、家の灯りがポツポツしてたり、高校生達が帰宅中だったり、銚子の日常生活が外から見える。

これが、なんか、いつも、本当に寂しく感じる。

あ、あ、一人なんだなーと。

自分に孤独さを与えてくれる町の光は、煌々としていなくても、温かく感じる。

自分の住むところも、そんな風に映っているのか?

そんな感じの小旅行でした。