赤ちゃん、怒る
生まれきて息してゐるを〇歳と言うは失礼 数へなら一歳
伊藤 一彦
この詩を読ませて頂いて、そのとおりやと思うた。
そうでっしゃろ、手元にある国語辞典には、〇(ゼロ)とは①まったくないこと。②無価値。とある。ところが、世の中、ゼロ歳児が大手を振って歩き回っている。当の赤ちゃんは歩けないので、言葉だけが罷り通っているのだ。ゼロ歳児なんて失礼な呼び方をされても、赤ちゃんには何のことか分からん。今日び、赤ちゃんの存在が無視され、価値がないものと見做されても、お役人が決めたことであれば、気にしない世の中の風潮らしい。ところが、後期高齢者医療制度が出てきた途端、元気な爺婆どもが大騒ぎを始めよりました。
名称どおりで、今にも死にそうな爺婆であれば、そうですかありがとさん、あんたらに迷惑がかからんうちにあの世に逝かせてもらいますとなる訳ですが、そうは問屋が卸しまへん。なんせ、相手が殺しても死なん様な爺婆でっしゃろ、怒り爆発ですわ。そうでっしゃろ、鈍感な厚生労働省の官僚から「後期高齢者」って機械的に分類されて、爺婆は黙ってませんわ。如何にもご臨終が近いと言わんばかりに余命を宣告されると、年寄りはさっさと死ねと言われてるみたいでけったくそ悪いやおまへんか。官僚の走狗を自認する福田康夫首相も、さすがにこの名称では選挙に負けると思ったのでっしゃろな。すぐに、当たり障りのない間の抜けた名称に変えさせよった。
これは内容への不満もさることながら、名称が爺婆のプライドを傷つけたことへの抗議やったんですな。それならなんで、ゼロ歳児なんていう、赤ちゃんのプライドを傷つけるようなことに文句を言わんのでっしゃろか。爺婆にとって、孫は目に入れても痛くない存在やなかったんですか。その可愛い孫が、ゼロ歳児なんて蔑称で呼ばれてることに腹が立たんのですか。怒りなはれ、可愛い孫のために。
官僚栄えて、孫の代で国ほろぶ。
預金も家も土地も、納税で消えてゆく。
なんてアホなことを考えていると、驚くべし、ほとんどの父親や母親、ゼロ歳児に抵抗を感じていないのが分かった。何でやと訊くと、ええ歳さらして、アホなこと考えたらアカンと言うんすわ。そして、おない歳の爺さんからも、馬鹿にされました。
後期高齢者いわれて怒ってたくせにと思いつつ、誰にも賛成してもらえへんかったので、意地悪爺さん黙然として盃を口に運ぶだけでした。いやはや、ど頭にきますねん。なんで頭にくるのかというと、口のきけない赤ちゃんのことが可哀想で堪らんのですわ。そこで意地悪爺さん、こんな台詞を思いつきました。
「ちょこざいな木っ端役人、推参なり!」
この台詞を、白波五人男に扮した小沢一郎を始めとする民主党役員に言わせるですわ。おもろいと思いませんか、おやどうしたんですか、おなかでも痛いんですか。何や、笑うのを堪えていたんでっか。何も遠慮せんかてよろしかったのに、何ぼでも笑うたらええんです。笑ろうたら、すっきりしまんで。その後で、がっかりしなはれ。
ところで、お役人さん、あんたら国家公務員の上級試験を通ってきたそうやな。そらすごい、記憶力抜群なんやろ。それでもって、覚えたことは、一字一句間違いなく喋れるらしいな。ところが、それ以外は喋れんらしいが、それやったらまるで壊れたレコードと同んなじやないか。あんたらなあ、エリート官僚で頭がええかもしれんが、産まれたばかりの赤ちゃんの人権無視だけは許せまへんなあ。まあ、あんたらに言うても仕方ないけど、勇気だして、言うたりました。ええですか、そんなことばかりやっとったら、いつか自分の子どもから見捨てられまっせ。そうなったかて、わてら知りまへんで。