このテーマで何回かブログを書いていますから・・・
既に、ご拝読の方も多数いるかと思いますが・・・
忘れないために・・・
今から20数年前・・・
兵庫県に震度7の未曾有の大地震が発生し多くの方々が被災されました。
地震発生時・・・自分は、職場で仮眠中でした。
揺れとともに飛び起き、管轄内の状況を確認、テレビで情報を確認しました。
たしか、テレビのテロップでは・・・
「この地震に伴う被害は発生していません。」
・・・と、流れていたと思います。
それを見て、再び仮眠に入り、普通に勤務交代して帰りました。
翌日、出勤してみると、職場は大騒ぎ・・・
先発した応援部隊(緊急消防援助隊)は、現地で活動中・・・
上司は、第2次派遣員、第3次派遣隊員の選定を行っていました。
行かせて下さい!
・・・と名乗りを上げて、第4次派遣隊として出動することになりました。
自分が担当したのは兵庫区で、発災から一週間後でした。
その時は、地震による火災は鎮圧状態になっていたのですが・・・
付け火による窃盗事件が多発し治安の悪い状態でした。
現地入りした時・・・
地元の消防隊は、長時間の活動で疲労困憊状態で必死に頑張っていました。
また、いち早く駆け付けた大阪の救急隊は・・・
分単位で出動している状態で、食事も救急車の中で取っていました。
自分が見た被害現場は・・・
都市が消滅した状態で、映画の一場面ような感じでした。
自分が管轄した兵庫区では、火災は無かったのですが・・・
隣接する長田区には、何度か応援出動しました。
現場は、ライフラインは寸断され、消火栓は使えない状況で・・・
水槽車(10トンの水を積水)の水を使っての消火活動でした。
水量が限られているため、火勢を抑えられず苦戦をしてしまいました。
消火隊は、安全のために離れた位置から放水をしていたので・・
効率の良い放水が出来ず、何度も再燃を許していました。
応援部隊として出動したので、しばらくは様子を見ていたのですが・・・
我慢仕切れずに、地元の消火隊から筒先をもらい・・・
倒壊家屋に突入し放水して火勢を制圧しました。
その後は、倒壊家屋に登っては、一番有効な位置から放水をしました。
二度とこんな災害は起きないだろうと思っていたのですが・・・
東北、熊本と大災害は続きました。
消防では、このような大災害の経験者がどんどんと退職していき・・・
若い職員への技能伝承が課題となっています。
少しでも後輩たちに何かを残せたら良いと思っています。
被災された方へ・・・ 哀悼の意を表します
追記
消防は、消防団、婦人防火クラブなどを抱えて行政一のマンパワーをもっています。
また、自主防災組織との関わりもあります。
経験上、大災害にはデジタルは通用しません。
消防の持つ人と人のつながり・・・マンパワーを生かせたらなっていつも思います。