100411
さとなおさんと須田さんのトークショー
@青山ブックセンター

を聞きにいってきました。


8割ぐらいが広告業界の方々だったのかな?

どこかで見たことのある方(AのE塚さん)もいらっしゃってたけど、終了時には席におらず挨拶などはできず。


そんなわけで、今回のトークショーに行ってみて
思ったこと、感じたことを、学生なりに考えてみようかな、と。



まず、内容をまとめるのは誰でもできるし、すでにやっていただけていると思うので細かくは割愛。


自分が気になったところをピックアップしてみると


まずハトカフェについて

「広告の定義の変化が起きている」

というお話が、途中で出てきました。ハトカフェというものそのものも、コミュニケーションという広義の中においては、その一部となりうるってことですね。

須田さんも佐藤さんもお互いをWEB至上主義ではないと言っていて、
ニュートラルだ、とも。

おそらくそれは間違いないことで、お二人とも、たぶん自分達のような

広告の受けてという存在と

広告の送りて という存在を

フラットに見ているんだろうなあ、と感じました。


で、先述した広告の定義の変化について。

自分は、その定義の変化というものは確実に起きていると思うし

その定義づけそのものもがまず必要なのかもちょっと疑問に思っている。


だけど、今回のトークショーを聞いてなんとなく、これまで頭の中でもやもやしていたことが

腑に落ちたというか、すっきりした感はあるかな、と。


今、自分自身が就職活動をしているからっていうのもあって
広告に関する考え方ってのを、アウトプットする機会はもらえてる

そこで自分は、広告はこれからコミュニティを創り出す存在になるべきだ
と言っていて

それがはっきりと輪郭をもった感覚です。


トークショーでは

広告 → 広場

と須田さんは言っていて
まさに、これだ!と

告げるものから、場づくりに


情報が流通貨幣となっていたこれまでの時代は終わりを告げて、共感が流通貨幣となる

という考え方も興味深いものでした。


今のソーシャルメディアとよばれるものを含めて、

情報のやりとりが加速する現代では、それが加速すると
サマーウォーズのOZのような
ひとつのサーバーに人々がアクセスしあらゆる情報のやり取りを実現する状態が創られるんじゃないかと

けれど、そこにおける流通貨幣が、情報ではなくなったとしたら

それだけで、上のシステムは崩壊してしまうだろう、と


たぶん、人間ってそう簡単には変わらない存在だと思う。

だから、何かを知ることに喜びを覚えるとか

そういう本能的な、より人間の奥底に近い部分ほど変わらないと思う。


だから、いくらテクノロジーが発展したところで

やっていかなければならないこと は変わらないんじゃないかなって



そう、だから自分からいろんな世界に飛び込んでいきたい

今、自分の周りにも 「やらない理由」を並べて、やろうとしない人がいる


そんなもん、いらないと思う

別にやるやらないは自由だけど

やっていないのに、その存在が気づかれることはないはずだから

自分は 仕掛ける側でありたいな と思いました。
なんだか、言葉をつないでいくことが形式ばってしまって

ブログのエントリーひとつ書くのにも、どこか臆病になっている自分がいる。


最近の考え事は、以前よりも複雑になっている気もするし
その数自体は減っているようにも思う

聖徳太子ではないから、同時に多くのことを聞き分ける力なんてものは僕にはなく

ただ、ひたすらに情報を消費する毎日です。


なんだか、このままじゃいけない気がする。

ただ、インプットのみを行い、それをシェアする行為がなくなっている


このままじゃだめだ、と感じるので、この何日かでちゃんと文章にして出していこうと思う。
みなさま、こんにちは。
といっても、この日記を、読むひとはごく僅か。けど、公の場に自分が発信するという意識をわすれないために挨拶はしたいのです。


今日は備忘録としての意味でのエントリーなので、あまりまわりのひとには役立たないかとおもいます。


自分の成り立ちを就職活動を通して考えてきて、なんとなく今まで見てなかったところが明るみにでてきた感覚です。

自分は、疎外を嫌がるらしいのです。

たぶん高校のときの経験がもとなのかとおもいます。

じゃあ、そこで
疎外の反対がなんなのかと考えたとき
それは、共有ではないかとおもいます。

自分がやりたいことって、たぶん
好きなものの共有。

だれかの幸せを思い描いて、それをどれだけ多くの人と共有できるか、

それを、考えて行くのが、目指してる仕事、人間なのかと思う。