ジェシーくんおはようございます!


『PARTY PEOPLE』のおかげさまで

りのの初めての命日を乗りきることができました

心から感謝申し上げます、

SixTONESさま!SONY様!

誠に誠にありがとうございます!!!!!!


『PARTY PEOPLE』の感想を、とか

慎太郎くんの『監察医 朝顔2022スペシャル』のお祝いの続きを、とか

『わたし』の感想の続きを、とか

『BOSS CAT』の感想の続きを、とか

『バンクパック』の感想を、とか

『犬との約束』の感想の続きを、とか


とにかく生きていなくちゃ

考えたいことや書いてお伝えしたいことは

この人生にまだまだたくさんあるのだから

私にはそれしかできないけれど

逆に、それなら、できる

しかし昨年りのが亡くなる前後には

私は自分の心に厳しすぎていたというか

自分の心をちゃんと扱えてなかったというか

たぶんそこで何かを落としてきてしまっていて


だからこそいつまでも先へと進めないのだなと

この命日を通じて、

何がどうひっかかってりのが亡くなる前のようなペースで書けなくなっているのかが

反省点としてなんとなくわかったのです


自分の気持ちを後回しにしすぎていたら

結局一歩も前に進めなくなって、

その結果さまざまな感想やお祝いも滞ってしまい

いろいろなかたに申し訳ないことになっている

なんと私らしくない状態だったことでしょうか


『PARTY PEOPLE』に元気や自分らしさを取り戻す勇気を頂き、更に

明るく優しい励ましを頂くような思いで

数えきれないほどたくさんリピートさせていただいております


りのの話は

亡くなった話を具体的に書くのはネガティブに見えてしまうかなと

昨年の時点ではなんとしても気を遣うつもりでかなり無理に我慢をしていたのですが

母からの意地悪の記憶のように、自分一人でかかえているといつまでも立ち直れないというか

『それを踏まえて前に進む』という姿勢をとれなくなってしまうので


りのの死を前に進めない理由にしたくなくて


お願いです、しばらくは

りののことを書かせていただけないでしょうか


私は両親どころか祖父母や子も亡くなっているので

りのの死を、単なる飼い猫の死としてよりも

もっと喪失感の深いものとして感じているのだと思います

そして、りのの手術代や通院費や酸素室代がものすごくかかっていたため

主人からはもう生き物は飼わないでくれと言われ

そして私自身は、

りのほど賢い猫と出会える機会はもう今後ないような気がして

ペット禁止のマンションへと引越しました

自分の家だから何飼ったっていいじゃんというわけにもゆかず、ルールを守って暮らしています


でも、りののためのスペースはあります

日当たりのよい場所にはすごしやすい時間に座布団を置いて

のんびりとグルーミングをしたり外を眺めることができるようにです

私の部屋にも生前と同じようにりののスペースを設けています

亡くなっていきなり居場所まで作ってもらえなくなったら、りのも余計につらいでしょうから


お話を戻しまして


りのの話は

単なる飼い猫が亡くなった話としてではなく

死をネガティブな話としてではなく

心のライブラリーとして書かせていただけませんか

ドキュメンタリー、それももっとも

しかしながらあえて

自分の中に心の図書館を作っておこうと思うのです


看取りにまつわる体験においては

実際の心境や、

当事者だからこその考え(QOLについてなど)が

対ペットという範疇を超えて、対ヒトとしての感じ方とも共通しているように思えるのです

実際いろいろ身内が亡くなっているのでわかります


たかが私ごときの体験などが

誰かの役に立てるとは思えません

そんなおこがましさなどは毛頭ないのです


しかしながら、僭越ながら

たとえば

演技や歌などで死に向き合うヒントが必要なかた、

たとえば家族を亡くしたことがないかたや

死ぬ側の演技で心境を想像するとっかかりを探しているかたや

見守る立場をシミュレートしておきたいかたなど

何かの機会にちらりとでも、

ああこういうものがあったなとご活用頂ければと思いました


こうした理由で

まだしばらくはりのの話を書かせてくださいませ

その代わり生きます

必ず立ち直ります

ですからじっくり向き合わせてください

お願い申し上げます


11時を回りましたので日常へ向かう支度をします

どうかよい一日をおすごしくださいませね

*:.。.(*´꒳`*) 押忍!.。.:*