若くないヲタクが応援させて頂いている、

というのは


そのタレントさまなりグループさまなりに

魅力やお力が

しっかりと備わっていらっしゃることの

確実な証拠でもあると思います


年齢云々の次元でないところで

そのご人物やそのエンターテインメントに惹かれているわけですからね


若すぎるファンのかたがたは、

その人達自身がそれぞれに女性としての人生を

親だの周りだのに急かされるなどして

それで年齢に対して偏った刷り込みをされながら育つ面もあるかもしれませんが


ある程度の年齢を重ねたり人生経験をそれなりに積むようになると

あるいは

各女性それぞれの自発的試みとして、

どんなことでも何らかの学びの視点を生涯持ち続けるという気持ちで生きていると

先述のタイプとは、物事の見方が変わってきます

確実にことなるものとなります

事象の捉え方もより長期的スパンが基準となります

物事の表層ではなく本質に目を向けられるようになります

もちろん

元々の性格というものもあることでしょうが

世の中の平均寿命が時代とともに格段に伸びていることを思えば、

ある意味これも人類の自然な進化です


人にそれぞれの顔があるように、年齢を重ねた女性すべてが単一の性質に支配された生き物というわけでもないのです

それぞれに顔と名前があり、

それぞれが各々の思考や嗜好を持っています

そんな当たり前のことですが

世間は意外とこの事実を忘れがちなようでもありました


室町時代の平均寿命はなんと16歳

当時の栄養状態や衛生状態によって乳幼児の死亡率が現代より段違いに高かったり

成長してからも当時の時事的状況などで人々の生きる時間は現代より極端に短いようでした

また、戸籍制度が今ほど確立されていなかったため

データをとる上でのそもそものサンプル数が限られているという背景も数字に影響していると思います


平均値ならではのそんな数字のからくりもあり、

単純に比較を試みるのは誠にナンセンスだとはわかりきっているのですが

あえてその先へお話を進めてまいりましょう


江戸時代に入って平均寿命は38歳へと一気にのび

明治・大正時代の女性の平均寿命は44歳

ここまでの世代はハタチ前後を基準に物事を考える人が多くても仕方ないでしょうね

その時代の人にとっては人生の真ん中あたりの年齢ということで

現代の人にたとえるならば40歳くらいの感覚なのではないでしょうか


だからこそ感じるのは

年齢を理由に若い女性が生き急ぎすぎているように見えることです

彼女達の「もう◯◯歳だから〜〜だ」構文

じつは、その◯◯が倍になってからでも成立が間に合うものかもしれません

倍になったら戻れないのですから

嘆く前にまずその時その季節を真正面から生ききってほしいですね


若年層の生き急ぎに対しては一つ心配があります

これが、若くない層への軽視につながってしまうのではないかという点です

未来において社会全体の高齢化が更に進んだ時、

中高年以降の層こそが全体の中でのマジョリティーとなってゆくわけですから

若くない層を軽視することは経済的にも文化的にも決して得策とはいえません

もちろん、そのような状態は未来の社会において

モラル的な洗練からもさぞ遠くなることでしょう


さて


時を経て令和になり、

昨年の女性の平均寿命は87歳

こう考えると

『人生は大人になってからの時間の方がずっと長い』ですね


そこから更に考えてみると、

文化の成熟 が今後における一つの重要なファクターともなり得るのではないでしょうか


エンターテインメントならば


人生経験を積んで目の肥えた大人が見てもすごいと思えたり、心から楽しめるもの

そういう上質さや高度さが

カギとなってくるのではと感じます


大人から見てもすごいと思うような実力

大人から見てもすてきだと思うような表現力

大人から見ても大好きだと思うような魅力

そこにものすごい文化的価値が発生すると思います


ところで


平均寿命がのびれば、

それだけ時代の文化に触れて生きる時間も長くなるということです

個々におけるその時間で、

エンターテインメントを楽しむということもまた

文化的活動として大きな意義を持つものだと私は思っております


ですから

ある程度年齢を重ねたヲタクに対して

ネット掲示板などで一般的に言われるような

「現実見ろ」は余計な話でしかありません


いろいろ現実を経験してきた上でヲタクになり

趣味の世界で第二の人生を意欲的に歩んでいる人もいるはずなので(私もです)、

そこは見方を一律にしないほうがいいんじゃないか

と、世の中に対して私は思っています


もっと世の中が年齢についての認識の仕方に

インディビジュアリティー

(個別性、という意味ですが私はこれに個別主体性という新たな解釈を含めます)

の視点を持てるようであれば

文化の発展も更に豊かな多様性を十二分に帯びてゆけるのではないでしょうか