
もの凄く久しぶりに自分のブログ開いた気がする(笑)
さてさて。なんだかんだとドタバタ過ごしてましたが、ここ1ヶ月特にとドタバタ過ごしています。
1月中旬頃からまたおじいちゃんが入院してしまい、今度はいよいよ危ないかと……
これまで誤嚥性肺炎を3回乗り越えてきたおじいちゃん4回目もなんだかんだ乗り越えるやろうと思ってたけど、なんか違う
何回遭遇しても正解が分からない人の死に方。
延命を望むのか望まないのか
望まないって選択すると冷たい様に思われるかもしれないけど、私は望まないを選択してしまう。自分がその立場で、答えれる状態であったらそう答えると思うから。
いつまでもどんな形でも生きててほしい。これが本音。
でも、意思疎通ができない今おじいちゃんにとってそれが最適な選択だとはどうしても思えない。
もう誰かも分からない。
たまに頷きで答えは返ってくるけどほぼ反応なく目も口も開いたまま上の空状態
こんなの生きてるっていうより生かされてるっていうんじゃないかな?
これ以上点滴を入れようが鼻にチューブ突っ込んで栄誉を入れようがただただおじいちゃんを苦しめるだけじゃないんかな?
処置をしてもしなくてもどちらにせよ近いうちに限界が来るはず。
それならば少しでも痛い思いをしない様に苦しみを取り除いてあげられるようにしたほうがいいんじゃないかな…
おじいちゃんはどうしたい?って聞いてみたいけど、喋れてる時も何回か早く迎えにしてほしいと口走ってたからすたこらさっさと逝ってしまいそうで怖くて聞けない。そもそも答えが返ってくるかも怪しいな(笑)
いつかは最期が来るなら少しでも明るく周りだけでも笑って過ごしたいそう思って呼びかけながらつついてみたり意味なくにーって笑ってみたりするけど、死が間近にあるのが当たり前やった自分たちとそうじゃないいとこちゃんファミリーとの温度差がちょっと痛い。ウチら冷たいんかな?諦め早いんかな?
点滴刺されるのがどれだけ痛いかを知ってるから
吸引するのがどれだけ負担になるかを知ってるから
食べれることがどれだけ凄くて尚かつ体力を必要とするものかを知ってるから
とてもじゃないけど今のおじいちゃんを見て幸せやねとは言えないから。そんな人にこれ以上自分たちの為に頑張れなんて言えない。
まだ死ぬとは決まったわけじゃない。
また土曜日会いに行ってきます!
最期まで耳は聞こえてるはずだから笑って話そ。
それで楽しいもう少し生きたいって思ってもらえればこっちの勝ちですかね(笑)?