〝母よ あなたはなんと不思議な力を持っているのか〟

その歌に相容れないのは
母の不思議な力など感じたことがないからであるが、
その歌の意味は理解している。

子どもならいちいち説明しなくても
実際に母の不思議な力を受けていたら
もうその感性で分かるだろう。

虐待されている子どもなら、
嫌いな母、怖い母、脅かしてくる母として
居心地が許されない。

不思議な力とは何か。

手当をして痛みが和らぐような母の手だろうか。

脱ぎっぱなしの衣服を愛おしく拾ってくれる手だろうか。

子どもが何をしでかすか気持ちをすでに知っている母の眼だろうか。

子どもにとっては、
守られている不思議さに
〝母〟を感じるのだろうか。


母よ あなたはなんと心の傷むひとなのか

これがわたしの母像である。

引っ叩く手、乱暴に呼ぶ手、睨みつける眼、
母自身が苦しみながら子どもを虐待している。


一つだけ、覚えているお気に入り風景がある。
母と弟と私で、ベット上で母の身体の中に丸まりながら転げ回ったこと。
父がいないとき、三人で楽しかったのだ。


自分を治す手だては知っている。


母はいまだ気付かないまま
〝母娘〟にこだわって翻弄されているようだ。

〝母娘〟として、哀愁ただよう演歌を気に入る。

それでいて
母と娘は離れていたほうが
〝母娘〟の縁に触れず、
おたがいが別々の場所で安らぐのだ。

人によって 〝母娘〟テーマは
境遇によって違う。

わたしは、
あと2週間ほどでここを発つ。

冬にはわたしの娘と再会するために
母宅をもう一度利用するが、
そのあとはもう母のためにも
私のためにも会わないのだろうと予測する。


それは絶縁ではない。

会う必要を作らない。
親孝行をしない。

今回入退院のために
家族として迎えられ帰省したが、
うまくいかなかった。

最後までまだ分からないが、
今回はここまでなのだろう。

わたしは逆境におかれて、
ザバイバル的に過ごせたと肯定している。

衣食住は守られて、手術は無事に終えられているのだ。
そこは感謝する。


今後はもう帰省しないように、
自分を守る代行サービスや
Ohana家族や新たな家族を見つけようとするだろうと思っている。


それはサービスを利用できる経済的な力と
安心できるひとの側に居られる出会いのチャンスもあるのだ。


そこからまた物語は始まる。




※ohana
ハワイ語で血縁関係がない者も含んだ意味での家族