三歳の時、両親が離婚した。それは別にかまわない。よくある話だ。
母は私を連れて実家に帰ったのだが、その家が最悪だった。母は養女だったから、祖父母にとって私は本当の孫ではない。祖父は私を嫌っていて、物ごころついた頃から、お前は本当の孫ではないのになんでわしが育てないかんのか、と言われ続けた。
私は元々おとなしい子どもだったけれど、萎縮してますます陰気な子どもになっていたのかもしれない。可愛げがないとよく言われた。
母は養女だったけれど、そのことを知らずに育った。知った時はショックでグレたと言っていたので、昔は母を可哀想に思っていたけど、幼児期に大人の事情を全て聞かされて育つのと、17、8才頃まで気づかないのと、どっちが可哀想!?
子どもの頃には、良い思い出など一つもない。私は愛されずに育った。
祖父は、身体障害者で、祖母とは子どもの出来ない者同志の再婚だった。しばしば恐ろしいほどひどいケンカをしていた。祖母が狂ったように自分の頭を壁にぶつけたり、ものさしを折ったり、お皿を土間に投げつけて割ったりしていた。
小学一年生の時、私は母とともに祖父母の家から追い出された。親戚のお祖父さんとおばさんが来て、出て行けと言われた。あの人たちの鬼のような顔は今も覚えている。母が離婚後二人めの男をつくって、怒りをかったらしい。けれど、六歳だった私に何の罪があったというのだろう。一年生になったばかりの私は、その日初めて学校を休まなければならなかったことが、とても悲しかった。
行く所などどこもなかった。その後しばらく家のない生活が続いた。学校が終わると公園で母が待っていて、夕方まで外で過ごし、夜になると母は私を安いラブホテルに置いて、仕事に出かけた。キャバレーのホステスをして日銭を稼ぎ、ホテル代を払うからなかなかアパートを借りるお金は貯まらなかった。私は毎日粗末な連れ込み宿で、一人で夜を過ごした。
母も苦労したかもしれないが、当時三十歳にもなって助けてくれる友人も貯金もなかったなら、子どもを作る資格などなかったと思う。
暗く淋しい幼児期は、今も深く心に傷を残している。