こんばんは。

諏訪大社をふりだしに始まった
「癒しの旅」

今日はちょっとだけ番外編で
皆さまを縄文の旅にご案内いたします


長野県の諏訪地方が諏訪大社信仰で全国に名を知られる前のはるか昔

実は縄文文化が日本国内では最後まで残っていた場所であることを以前こちらでもお話ししました。

そんな当時の人々の暮らしぶりを学べる場所が、諏訪市のお隣の茅野市にあるということで

先週末、諏訪市の下社春宮参拝と繋げて訪れた場所が

諏訪市のお隣の茅野市にあります
尖石縄文考古館です

今から約5000年前
八ヶ岳の麓で栄えていた
沢山の集落の中の1つだと
言われています

敷地内には当時の竪穴式住居が復元されています

建物の周りには当時の人々が沢山食べていたであろうドングリや栗の木も植えられています

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この1番奥の建物に惹かれたのですが、あいにく雨がパラついてきたので館内へ

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ここでちょっと不思議な事がありました

この建物に入る前にスマホで時間を確認したらそのときの時間は11:20

入場券を買ったら、あれ?

11:11

この日は駒ヶ根からの道中も車のナンバープレートがゾロ目がシンクロなんてもんじゃなく多くて

一体何事かと思って諏訪大社参拝して

やれやれと思ったら
またここでゾロ目がお出迎え

館内は撮影禁止のため
画像がなくてごめんなさい。

ここで気づいた事が2つありました

ここには、実際にこの遺跡から出土した土器や土偶が展示されているのですが

昔歴史で勉強した時の
教科書に載っていた縄文式土器よりも

ここに展示されている土器は
どれもがとても細かなところまで精巧に作られていました

歴史の教科書でお馴染みなタイプの土器もありましたが

壺の側面には細かな模様のレリーフ、
そしてデザインも美しい曲線を描いている優雅なものが沢山あります

縄文の時代が進むにつれて
土器のデザインも大きさも
どんどん多彩なものへと変わっていき

土器と合わせて展示されている土偶は、実物を見るとツヤがあって細かなところまで丁寧に作られていて

どんな願いを込めて作られていたのかを思うと、何だかワクワクしてきます

見た目は決して大きくはないのに
重さが2.7㎏ってビックリ


それから、今更知ったのですが
縄文時代って12,000年も続いていたと知って改めてビックリでした。

そのあとに続く時代からすると
とてもゆったりと時間が流れていた時代だったのですね

昔、歴史で勉強した頃なんてこんなに細かなことまで勉強しなかったなー

当時の人々の服装を見ても
決して贅沢なものではありませんが、アクセサリーを普段から身につける習慣もあったようです

私が漠然と想像していた縄文時代より
実際は物質的にも文化的にも豊かな暮らしをみんなで楽しんでいたことがわかりました


みんなで助け合いながら
大地と空の恵みに感謝し
自然を神と信じて共生共栄していた時代

人々が地球と宇宙と調和して生きていたある意味お手本のような時代だったのかもしれません

この地域は、この土地で当時沢山算出されていた「黒曜石」という石の産地でもあります

元々硬い石ですが、研磨すると刃物として使える鋭い石器として

日本全国に流通していたようです

縄文の人々がその石器を研ぐために使っていたらしい大きな石

「尖石(とがりいし)」から名前が付いた尖石遺跡

石器を通じて全国に流通していたものは、きっと石器だけではなく

当時の人々の生活に関わる様々なものが行き交っていたのではないかと想像してしまいました


 何だかちょっと縄文時代への認識が変わりそう〜


ここで受け取ったメッセージも含めて、ちょっと展開が変わりそうです


明実












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