癒しの旅シリーズその3です

長野県に住んでいても、諏訪大社のことは全く詳しくない私(すみません

ここで諏訪大社についてザックリとした情報を


諏訪大社は全国に分社が1万社あるとも言われていますが、ここ諏訪にあるお宮が発祥の地となっています。

諏訪湖を挟んで全部で4つの神社があり
上社と下社という大きな区分けがあり、それぞれが更に2つの社に更に分かれます

上社は奥宮と本宮
下社は春宮と秋宮

と呼ばれています

今年は勇壮なお祭り
御柱祭で賑わいました

四社の御柱祭終了後、NHKテレビで御柱祭の特番がありましたが、ルーツは縄文時代まで遡るのだそう

その番組では、縄文文化は諏訪の地に最後まで残ってたことを解説していました。

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これは諏訪大社のお守りです。
御柱祭で新しい御神木として
伐採される木を切り倒す時に使う

「薙鎌(なぎかま)」
と呼ばれる道具をモチーフに作られています。

緑色は糸魚川の翡翠
黒丸は諏訪の地で採掘される黒曜石
透明な球は山梨県の水晶

諏訪の土地は黒曜石の流通を通して当時の日本の様々な土地と繋がっていたようです

今でも諏訪地方は場所によっては少し地面を掘ると黒曜石の矢尻がおびただしく出てくる場所が未だにあるようですし

諏訪湖の湖底にも当時の人々が使っていたと思われる矢じりや針のような道具が沢山沈んでいるようです

話を戻して

この諏訪大社、ご祭神は上社は建御名方神。
下社のご祭神は八坂刀売神

となっていますが、元々は諏訪は自然神信仰も残っていて、神様をお祀りしつつご神体を土地の神として信仰している対象がありました

それぞれこんな感じ

守屋山: 上社(前宮・本宮)
諏訪湖: 下社・春宮
御射山社: 下社・秋宮


つまり、今でこそ4つの社が1つに束ねられていますが、古代の信仰の対象は全く別々のものだったということになります。

調べてみると古事記に書かれている建御名方神というのはその実像があやふやな部分もあって

他の資料を読み進めてみると、1番立派な造りの本宮よりも上社では奥宮が土地の人々にとっては信仰の拠り所になっている記述が出てきたり

とにかく謎が多いのです。

日本の神様をお祀りしているのが表看板なら

そこを表に出しながら自然を対象に信仰?

そしてなぜか私の直感は上社よりも下社が気になって仕方がないという現象がこの辺りから始まりました。


明実