4月から、ちょっと風変わりな本屋 天狼院書店のライティングゼミを受講してます。
毎週月曜日の23:59が締切。
自分の人生で、ネタになりそうなものを棚卸ししながら、二千文字の文章を作り上げて、火曜日はホッと緩む、という繰り返しです。
第2回 締切分で、ラッキーな事にメディアグランプリに選んでいただけました
そのまま調子に乗りたかったけど、第3回 締切分は気が緩みすぎてまとまらず、中途半端なまま提出という恥ずかしく、無念の結果に。
↓ こちらは、掲載された時の記事です。
今回、第4回 締切分は、結構な自信作でしたが(自分で言うなー)
歌詞の関係でメディアグランプリには通過せず
でも編集の方にはお褒めの言葉を頂きました
二千文字越えは、長いので、お時間ある方だけ、読んでみてください
いつもありがとうございます。
人生のターニングポイントで、なぜか毎回あらわれる歌い手の話
私が人生のターニングポイントに立つと、なぜか毎回あらわれる人がいる。
たまたまテレビをつけると、待ち構えていたかのようにその人はいて、ギターを弾き、切なそうに歌う。
運転中、車のラジオから、たまたまその人の曲が流れて来ることもある。
つい先日も、私が弱り切っていた時に鉢合わせして、その人の歌に号泣した。
その人とは、さだまさしさんだ。(以後、敬称は省かせてもらう)
出会いは、私が中学生の時。
流行る前に目をつけるのが得意な姉が、先にさだまさしを知ったのだ。
当時、さだまさしは、グレープというコンビで音楽活動をしていた。
そして文化放送の深夜ラジオ番組、セイ!ヤングのパーソナリティも務めていた。
姉は、ラジオでの軽妙なトークを聞き、ハマったらしい。
そこから歌を聞き始め、レコードも買っていた。
しょっちゅう隣の部屋からグレープの曲が流れ始め、さだまさしがいかに面白い人なのかを聞かされる。
中学生女子は、見た目重視なお年頃。
だから最初はまったく興味がなかったのに、姉からの熱いプレゼンを聞いてるうちに、さだまさしに少しずつ、私の心は開き始めた。
いちばん最初に衝撃を覚えた曲は、【雨やどり】
「それはまだ私が神様を信じなかったころ」
そんな始まり方、それまでの音楽でありましたか?
「あの人に、も一度逢わせて、ちょうだいませませ」
おいおい、ふざけてるのか?
いや、間違いなくふざけてるでしょう。
耳に残る歌詞とリズム、語るように歌い、情景をハッキリとイメージさせるのが得意なさだまさし。
気づいたら私も雨やどりの世界の中にいて、主人公の応援に回っていて、ラストの「気が付いたらあなたの腕に雨やどり」のフレーズに心から喜んだことを記憶している。
まだ恋をしたことが無かった中学生女子にとって、こういう男女の巡り合わせもあるんだなぁと、未来にワクワクした、さだまさしとの出会いであった。
それから月日が経ち、【雨やどり】のようにはいかなかったが、私は結婚することになった。
26年間を過ごした実家からの自立。その結婚式の数日前。
テレビをつけたら、またあの人が歌ってる。
そう、さだまさしだ。
しばらく遠ざかっていたさだまさし。
でも聞くとやっぱり良いのだ。
たまたま歌っていたのは、私が初めて聞く曲だった。
なんで今、この曲を聞いてしまったんだろう……
ただでさえ、嫁入り前のナーバスな心が、振動していた。
バレないように隠したが、油断すると泣けてきた。
その曲名は、【親父の一番長い日】
兄から見た妹の誕生~その妹の結婚式当日までの父のすがたを記録した長い長い曲である。
私には兄はいないが姉が一人いて、先に私のほうが嫁に行くことになった。
母は、闘病の末に私が二十歳の時に他界していた。
母不在の中、父なりに年頃の娘を心配していたのだろう。
帰宅時間が遅かった時は、私が帰るまで茶の間で仁王立ちして待っていたり、今のように携帯電話がなかった時代に、夜中まで家の電話で話していると、カレンダーの裏に「これ以上、長電話をするなら、電話を破壊する」と、今思うと笑ってしまうようなメッセージをカンペのように私に見せてきたり、なかなか煙たい存在であった。
でもこの曲を聞いた時、気づいたのだ。
煙たくて自分本位だと思っていた父も、私が生まれた時は、きっと心から誕生を喜んでくれていた。
不器用ながら娘と関わり、いつだって娘の幸せを願ってくれていた。
私が安心して生きられるベースを作ってくれたのは、他ならぬ父だったのだ。
結婚式では欠かせない、親への感謝の手紙というコーナーを、私は敢えて外した。
涙でまともに読める気がしなかった事と、わざわざ公開しなくてもいいじゃないか、と思ったから。
でも結婚式当日の朝に、父へ感謝の手紙は置いてきた。
それを読んでどう感じたのか?
父亡き後、知る由もないが、心身ともに健やかに育ててくれた父、そして母には感謝の気持ちでいっぱいである。
【親父の一番長い日】を聞くと、今でも自分に置き換えて涙してしまう。
さだまさしという人は、そうやって人の深い部分に振動を与えるのが上手だ。
言葉で、こうだからこう!と断言するのでなく、情景をイメージさせて、感じさせる。
人それぞれ、浮かぶ情景は違うであろうが、自分にとってのそのワードは、これだなぁ……と引き出されて勝手に心震わせている。
そういう言葉選びが、抜群に上手い歌い手さんだなぁ、と感心する。
結婚式から25年の月日が経つが、さだまさしの歌はどんどん進化して、映画やドラマの主題歌やCM
で、たくさん耳にする機会がある。
いい曲だねぇ、と客観的に、油断して聞いていた。
そしてまた、やられてしまった。
今年の春、我が家の長男が就職のため、家を出ることになった。
本来、とても喜ばしい事である。
その話を聞いてから、覚悟はしていたつもり……だった。
独立の日が日一日と迫る中で、私は寂しさを感じないように、ヘラヘラと平気なふりをしていた。
でも心の中では、小さくて可愛いかった息子がしっかり者の社会人になるまでの22年間が、走馬灯のように思い出され、なみだ氾濫警報が常に鳴っていた。
大きな荷物が運ばれ、本人の荷造りも進み、家を出る前夜はこらえ切れず、息子の前で大号泣して、もらい泣きさせてしまった事は、今でも反省している。
そして予定通り、息子は家を出て行った。
息子の抜けた穴はカンタンには埋まらない。寂しい。
でも、三日後くらいには、さすがに泣くことはなくなった。
そんな中、私はまた、さだまさしと再会したのであった。
不意を突かれ、号泣した。
これまで何度も耳にしてきたその曲の歌詞を、初めて意識したからだ。
「元気でいるか。街には慣れたか。友達出来たか」
「寂しかないか。お金はあるか。今度いつ帰る」
あぁ、この曲は遠くに行った家族を思うものだったんだ。
これまで、他人事だと思っていた子供の独立が、自分事になって、初めてこの歌詞が沁みわたってきた。
今の私の気持ち、そのままだ……
深く共感した。
それは【案山子】という曲。
私は、この曲を聞くたび、息子の自立を祝いつつ、涙した自分を重ね合わせることだろう。
人の心を代弁し、歌声や歌詞、トークでも魅了する。
心の深いところを揺らし、震わせ、セラピーのような効果で人を癒したり、大切な何かを思い出させてくれるさだまさし。
気づいてなかったが、私はさだまさしの曲が好きで、彼が放つメッセージも大好きで、思いっきり泣きたい時に、自然と周波数を合わせているのかもしれない。
今度は、どんなシチュエーションで、何の曲に心を揺さぶられるのか。
今から楽しみである。
≪終わり≫
二千文字を最後まで読んでいただき、ありがとうございました!