東日本大震災から、間もなく1年が経とうとしています。
地震や津波、そして、原発の放射能により、色々な人が、それまでの平和な生活を失ったことと思います・・・
あの地震から私たち夫婦も、田舎暮らしを諦めて、実家のある千葉に引き上げてきました。
憧れの自然いっぱいの暮らし。。。
決して楽しい事ばかりじゃないけれど、自然の中に身を置くことの素晴らしさは、何ものにも代えがたいものがありました。
しかし、あの地震により、多くの家族、親戚、友人に心配をかけてしましました。
悩んだけれど、みんなの顔を見ることが出来る、関東に戻ることが一番と思い、震災から2か月後、ここに戻ってきました。
今日は、宮城の家がその後どうなったのか・・・お話ししようと思います。
実は、色々あったのです。。。
当時は話すべきではないと思い、書くことを控えていました。
でも、震災から1年経つ今だから、書こうと思いました。
私たちが千葉に引き上げようと決め、宮城の家をどう処分しようかと、色々考えました。
夫婦で色々話し合いました。
そして、行きついた答えは、津波で家を失った人に、無料でその家を提供しようと思ったのです。
土壁が崩れてしまったり、建具が上手く動かなくなったりはしていますが、住むには問題のないくらいです。
家具や、暖房器具や農機具も置いていきます。
何もなくても、すぐ住める状態での引き渡しです。
こんな家でも、雨・風を凌ぐには十分だと思いました。
当時、津波の被害にあった方は、海を見たくないという方も多くおられ、内陸部に移りたいという方がいると聞いていました。
そこで、市役所に相談に行ったのですが、市役所もバタバタしていることと、公平性に欠けるという事で、『ありがたい申し出ですが、話を受けるまでに、まだ行政が至ってない』と言う事で、却下されてしまいました。。。
そして、今度は、宮城の家を買うときにお世話になった、不動産屋さんに相談することにしました。
不動産屋に依頼するとなると、仲介料が発生するので、幾らかでも値段をつけなければならず、私たちの思う、無料と言うわけにはいかなくなったので、最低限の値段を付け、買いたい方がいれば、紹介してもらうように、お願いしておきました。
ほどなくして、不動産屋さんから連絡があり、津波で全てを失ったという方が、欲しいと申し出てきたとのことでした。
その後、ご本人さんに内覧してもらいました。
すぐにでも欲しいと言うお答えをもらったので、良かったぁ~と思い、引っ越し準備を始めました。
そして、引っ越し。。。
私たちの新しい生活が始まりました。
そして、書類をそろえ、被災した買い手の方と契約を結ぶという前日。。。
その時、私たちは既に千葉に引っ越しが住んでいたので、前日から宮城に向かい、ボランティア等でごった返すビジネスホテルで一泊することになっていました。
しかし。。。宮城に向かっている最中、不動産屋さんから携帯に電話がかかってきました。。。
なんでも、この話を白紙にしたいと、買い手の方が言って来たとのこと。。。
もう、東北道を走っているのに・・・なんで???って感じ・・・
頭が真っ白になりました。。。
詳細を聞くために、予定通り宮城に向かい、そのまま不動産屋さんに向かいました。
不動産屋さんに聞くと、どうやら買い手の方は、パニックになっていたとか。。。
その頃は、内陸部の賃貸アパートとかは、どこも満杯状態でした。
どこにも引っ越すところが無いと焦ったから、この話に飛びついたんだと言う事だったらしいです。。。
しかし、良く落ち着いて考えたら、やはり、海で育った人は、海から離れるのが嫌とのこと。。。
賃貸ならまだしも、内陸に家を購入するのが本当に良いのかどうか、迷いが生じ、また、内陸部の生活に不安を感じたらしいです・・・
まぁ、仕方ないな・・・と思いました・・・
家を売ることが出来なくて残念だったけれど、相手の気持ちは何となく分かるし、パニックになるのも、仕方ない・・・
がっかりして、ホテルに戻りました。
そして、せっかく宮城に来ているのだからと、住んでいた部落の友達に連絡してみることにしました。
そして、友達に家の売却が白紙になったことを話すと。。。
その友達が、実は、買いたいんだと言ってきたのです。。。
冗談かと思ったのですが、本気とのこと。。。
実は、そこのお宅のお子さんが、結婚を考えており、住む場所を探しているとか。。。
出来れば部落に近いところと、考えているらしいのです。
売り出しの格安の値段でなく、普通の価格でもいいから買いたいと申し出てくれたのです。
嬉しい申し出でした。
20代のお若い息子さんが買うという事なので、価格はそのまま、格安のお値段で売ることにしました。
そして、無事、部落の友達の息子さんが、新居としてあのボロ家を買ってくれたのです♪
その息子さんも去年入籍し、今、あの家で新婚生活を楽しんでいるとのことです。
当初、私たちは被災した方に使ってほしいという事ばかり考えていましたが、今思うと、過疎化が進む部落に、若い夫婦が住むことにより、部落の活性化に繋がるんだと思い、それはそれで、良かったんじゃないかなと思いました。
以上、あの家のその後のお話でした・・・