私は30年間生きてる意味もわからないまま
ただ、その日が終わるのを
どこか客観的に見ながら日々を過ごしてきたような気がする。
自分が嫌いで大切にするという、人にとって当たり前にある【自己愛】が欠落している。
ほんの少しでもあるなら自分可愛さに何かしてこられたはずだ。
何度も自分を追い詰めて
何度も何度も自分を殺そうとする人生だった。
この小説は私が今幸せであるからこそ
終着点があるからこそ書けると思っている。
ただ、まだ自分自身を嫌い、自分自身を蔑ろにするのは変わってない。
でも少しずつ変えている
いわば、新しい人生を始めている所だ。

【自己愛】が強い人はたくさんいる。
私とは正反対の人間だ。
自己愛も行き過ぎると【自己愛性人格障害】という病気になってしまう。
こうなると本人に自覚がない為
多分病院に行く事さえ困難だろう。

ナルシストはよく居るが行き過ぎると病気になってしまう。
これもまた難しい問題だと思う。
・自分の為なら人に対して何でも出来る人間
・私利私欲の為に手段を厭わない人間
そんな人間が私の周りにはとても多い。

これは自慢でも何でもなく
皮肉にさえなるが
私は人を見抜く能力に長けている
これだけ聞くと自慢みたいになるが
何故そうなったかの経緯は
家庭環境の悪さ、毒親育ちである事からそうなってしまったのだと思う。

我が家には無償の愛が存在していなかった
哲学的に話すとエロース論
私は自分が産んだ可愛い子供に無償の愛を与えるのが親だと思っていて
育てる事は【偉い】訳じゃないと考えている
自分が産んだら育てる事が【当たり前】であって
親から子供に見返りを求めるのは100%間違っているはずだ。

私は人の価値観を否定しないという生き方をしているが
これだけは確実に間違っている。と断言できる。
無償の愛が有償だった場合どうなるのか

有償の愛
これはアガペー論になる。
恋によくありがちな見返りを求める愛だ。
子育てでアガペー論をやってしまった場合
・優しく育てたから優しくしてもらいたい
・育ててあげたから老後をみてほしい
・親の価値観を押し付ける
その結果、子供自身は親が〇〇すると喜ぶから
〇〇しなきゃいけない
この洗脳状態に陥る。
例えば成績が悪いと怒られ怒鳴られ
成績がいいとたくさん褒められご褒美がある
これはよくありがちなケースで行き過ぎてなければ割と普通にある事だと思う。

何かをしないと愛して貰えない
優しくしてもらえない
怒られる
こんな環境下で育った人間は
【アダルトチルドレン】になりやすい。
ネグレクトの親元で育った子供がなりがちな厄介な病だと思っている。

我が家では有償の愛が当たり前で
そして私は母の機嫌が悪くならないようにして生きてきて
八つ当たりされて愚痴を吐くゴミ箱みたいな役割をしてきた。
この環境下で育ったら人を見抜けるようになってしまったという結果である。

表情、話し方、仕草、心の扉
ここら辺を見てうまく見つけ人に心を開いてもらうというある意味、悪魔みたいな事が出来るようになってしまった。

そして人々は基本的に頼りたがるし
悩みを人に話したがる
私はそれを聞いたり知るのが好きで
趣味みたいなものだと思ってる。

人が大好きで人が大嫌いな私は人脈を拡げ
でも自分の話が出来る人間は限られていて
両手で余る位だろう。

人の頼り方がわからないまま30年
1人で生きてきてしまった私は
精神病だが
ある意味、メンタルが強いのかもしれないなと最近よく思う。
人の為に生きるほどには自分の為に生きる事が嫌な人生だったな、と31歳になったばかりで
自分の幸せの為にやっと動けた自分自身が思う。