少し哲学的な話になりますが、

ベストセラー本“これからの「正義」の話をしよう”

という本の中で、前の世代が犯した過ちを

償う道徳的責任が、現代人のわれわれにあるのか

という議論が出てきます。

具体的には、私たちが生まれる前の

戦争責任や奴隷制度についての

補償と謝罪を、現代人のわれわれが

する必要があるか否かについてです。


これには、公式謝罪をすることで、

過去の傷をふさぎ、道徳的・政治的な

和解の基礎づくりに役立つとか、

被害者やその子孫におよぶ不正の影響を

軽減するのにも役立つなどといった

肯定的な意見ももちろんあります。

しかし一方で、

現代人であるわれわれは、

前の世代が犯した不正について

謝まる立場にはないし、

現実問題としてそうできないとする意見もあります。

謝罪するということは、結局、

なんらかの責任をとるということであり、

過去の過ちに対する賠償金を支払うために、

現在の国民に税を課することになるからです。



「現在の州民は、たとえ先祖をたどれば

奴隷保有者だったとしても、個人的に

まったく関与しなかった不正な事件に対し、

集団としての罪も責任も負っていない」

「曾祖父の祖父の行為に対して

謝罪するようなものだ」

これらの言葉は、皮肉にもアメリカの

州議会議員と国会議員が言った言葉です。




「皮肉にも」とつけたのには理由があります。

それは、先日、ウサマ・ビン・ラディン容疑者が

アメリカ政府によって殺害されたときの状況にあります。

アメリカ軍の特殊部隊「SEALs(シールズ)」は、

ビン・ラディン容疑者の12歳の娘の目の前で

彼と妻を射殺し、娘の泣きじゃくる反応を見て

本人確認をしたと報じられていました。

彼本人は、何千人という人を殺した

罰を受けなければならないでしょう。

アメリカ政府の正当性を、

日本を含み、世界各国が指示しています。



しかし、先祖が犯した罪を

現代人が償う必要がないのなら、

わずか12歳の子どもが、

父親が犯した罪の償いをする必要はありません。

目の前で両親が射殺されるという

精神的な罰を受ける必要はないということになります。

子どもの目隠しをしてからか、

または、保護してから射殺することは

できなかったのでしょうか。

この報道が事実なら、

あえて両親が射殺されるところを見せつけた

アメリカ政府のやり方に疑問を抱かずには

いられません。




この娘が将来、父親の犯した罪の意識に

駆られて生きるか、復習を誓うか分かりません。

でも、いずれにしろ今回できた心の傷が、

彼女のこれからの人生に大きく影響を

与えていくことは確かでしょう。




どんな政治的な事情があるにせよ、

子どもを巻き込まないという

基本的なルールだけは、

国際機関でしっかり作って欲しいものです。




カウンセラー 今 麻衣

こんにちは、カウンセラーの東です。

かなりご無沙汰をしている間に、早くも季節は初夏。

札幌にも過ごしやすい季節がやってきましたね。

先日、金子みすずの詩が

注目を浴びているとのニュースを耳にしました。

皆さんはご存知でしょうか?


「私と小鳥と鈴と」



   私が両手をひろげても、

   お空はちっとも飛べないが、

   飛べる小鳥は私のやうに、

   地面(じべた)を速くは走れない。


   私がからだをゆすっても、

   きれいな音は出ないけど、

   あの鳴る鈴は私のやうに、

   たくさんな唄は知らないよ。



   鈴と、小鳥と、それから私、

   みんなちがって、みんないい。


私が初めて、

この詩に触れたとき、

思わず、「みんなちがって、みんないい」

というフレーズを繰り返していました。

そのあと、気持ちが“ほっこり”したのを

覚えています・・・。



それは、幼いころから

「普通とは違う子」だと、

周囲の大人たちに、私は言われ続けてきたからでした。


例えば、ぬり絵の時間。

たくさんあった葉っぱに

一枚一枚カラフルな色を塗り、

「葉っぱの色はみどりなのだよ。」と

先生からの指摘を受けたことがありました。



さらに、国語の時間、

ノートを最初の1ページ目から使うことをせず、

ペラペラとめくって気に入ったところから書いていく子でした。

「ノートの昨日の続きを開いてください。」の指示に

昨日の続き・・を探すのに時間がかかり、

ひどく叱られたのを覚えています。


“左利き”であるというだけで

「普通じゃない。今から矯正しておかないと、

将来、大変なことになるよ。」

と異常扱いされました。

子ども心に、他人と違うことは

「よくないこと」と思い込んだきっかけは

その辺のところにあるかもしれません。


だから、この詩は、

違っていてよいと認められたかった私が

無意識のうちに求めていた言葉かもしれません。

この詩にめぐり会って以来、

「これも私の個性」と思えるようになり、

また、相手にも「それはあなたの素敵なところよね」と

言えるようになりました。



皆さんは何をお感じになりますか?



カウンセラー 東 一恵

久しぶりに知人に会った折、

仕事より子育てが興味深いと告げたところ

意外!との反応が返ってきた。

(ブリブリ・・・

私の頭には仕事しかないと思っているみたい)

でも、人間の発達を間近に見られるのだ。

これほど面白いものはない。


その娘が、昨年12月頃よりどうも扱いにくい。

しょっちゅうママに歯向かってくるので

どうしたものかとずっと思っていた。

5歳・・自我が芽生え始めたのだ。

単純な感情的反抗ではなく、

「自立」と「甘え」の狭間で

葛藤が起こることに原因がある。

自分の感情を上手にコントロールできず

彼女自身が苛立っているのだ。


先日、ふとんカバーをかける際、

娘が手伝おうとするので

「いいって、じゃまだから向こうに行ってて?」

とつい突き放してしまった・・・失敗。

ママがそう言ったとたん、

「ゆいがお手伝いしたかったのに…」

「じゃまだなんて、人が嫌がる言葉は言わないで!」

「何回言ったらわかるの?!」

(あれ、どこかで聞いたセリフ・・・。)
いつまでも泣きじゃくりながらふくれている。

はぁ・・・。ママはため息。

面倒だなあと思いつつ、ふくれっ面がかわいいので、

笑い飛ばすことにした。

すると、

「ママ、ゆいは真剣!」

「何を笑っているの!」

とくる。また・・・ため息。


しかし、最近ママはようやく扱いかたを理解した。

放っておく、赤ちゃんのように抱っこをする、

とくとくと言い聞かせる、等など。

そんないくつかの方法を使い分けて

彼女の小さい反抗期を楽しんでいる。


こうして段階を踏んでおとなになるのだろうなぁ。

あと何回こういうのが来るんだろう・・・・?

あ、まだ思春期の反抗期はこれからだっけ。



まあ、でも何とかなるだろう。

根拠はないけれど、

何かおしゃべりをしながら

夢中で折り鶴を作る娘を見ながら

信じているよ、と小さな声でつぶやいた。