natural-h1桜吹雪の舞♪

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様々な歴史や時事や格言の内容を素人なりに理解した内容をまとめたブログ。

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我が国🇯🇵の首相が公式参拝すると、批判の声も上がるのに、お花見🌸の時季も含めて多くの方々が参拝されている靖国神社⛩

 

我が国🇯🇵の首相の公式参拝も全く問題なし❗️

 

その靖国神社⛩に祀られているのは

よくクローズアップされるのが英霊とよく言われている、大東亜戦争、特に戦地で犠牲になられた方々。

 

もちろん彼らも含まれますが、靖国神社⛩の本質は我々の祖国🇯🇵日本にために、命を捧げた方々を祀ることです。

 

全国津々浦々、神社⛩が建てられいますが、その神社に祀られている神様の多くが、山などの自然や人です。それは我々日本人が、古来、自然と人を大切にして来た伝統の証です🙏我々はその伝統を現代から未来へ受け継ぐべきです🙏

 

我々の御先祖様も、今生きている我々も、仕事をしたり、育児や家事をしたり、勉強をしたり、するだけでも、我々の祖国🇯🇵日本のために、命を捧げているくらいに値します🙏我々の心の中にはその魂は生き続けています🙏

 

靖国神社⛩には、平和🐦を願って、その魂が神様として祀られているのです。

 

 

元気、気持ちなどの「気」は元々は「氣」と書いていました。「氣」を「気」に変えたのは戦後日本に影響力を拡大したGHQやそれを手先にした国際主義者達の仕業に違いありません。「〆」という字を使って、自分達が都合の良いように、本来の日本人の良さを封じ込めようとする意が込められているのでしょう。我々日本人はそれに屈してはなりません。


むしろ「氣」という字の意味をこれから生きて行く上で積み重ねる言動によって、国際社会に向けても発信し続けるべきです。



「気」という字は本来なら「氣」と書くべきです❗️


ではその「氣」という字の意味は一体なんでしょうか?


先ず「气」とは水蒸氣、息も含めて、我々の周りを包む「空氣」「雰囲氣」のようなものを意味しています。


続いて「米」とは「エネルギー」を意味しています。「お米」は古来我々日本人にとっての主食言い換えれば「エネルギー源」と考えれば、その意味が頷けるでしょう。「米」という文字の形の如く、エネルギーというのは「〆」の如く閉じ込めるもしくはいきなり爆発させるものではなく、自然な感じで周りに八方に広げ続ける(拡散させ続ける)ものです。


古来日本人は豊富な自然の恵みにより、生き続けています。それに伴い豊富な恵みをもたらしていただける自然感謝をする心、自然に宿る魂を感じる心、御先祖様や周りの人達に感謝をしたり思いやりを持ったりする心などによって周り(气)からエネルギー(米)を感じ取る事ができます。


:周りの空氣

米:活力、エネルギー

气」+「米」=「氣」

それが正に「氣」です。


我々が自然豊かな場所や、戸隠神社、伊勢神宮、明治神宮、鹿島神宮のような神社の森などで、何となく感じる自然に宿る魂・オーラも「氣」です。先程述べた「氣」を発散し続けることも、何となく感じる自然の氣・オーラをイメージすると良いですね。





何となく閉ざされて淀んだ感じの「雰囲気」「空気」ではなく、自然や周りの人達などに思いやりを持ち、周りが解き放つエネルギーや氣を敏感に感じ取れば、自分の中からも自然と活力が湧いてきて、我々を取り巻くものは「雰囲氣」「空氣」と思うことが充分可能です。


何となく、モヤモヤする時の対処方法は、周りの自然や人達に対して思いやりを持つと、モヤモヤ感が取れて、自然と元氣が湧いてきます。


これも正に「氣」という字が表す意味ですね❗️


世の中をより元気にして行くには「氣」という字の意味を噛み締めながら、一つ一つの言動を積み重ねて行くこと、実はそれが一番近道ではないかと思います。

◆真珠湾攻撃の背景


12.8は真珠湾攻撃が行われた日。その真珠湾攻撃は大東亜戦争の一環です。


戦後GHQによる占拠によって、日本は大東亜戦争も含めて邪悪な侵略国家であったと洗脳され続けました。


我々はその洗脳を鵜呑みにすべきではありません。


当時日本はアメリカから消費量の大半の石油を輸入しており、その国に対して自ら戦争を仕掛けないのが常識です。しかも国土の広さだけでも日本よりも20倍以上のアメリカとまともに戦争しても勝てないのは火を見るよりも明らかです。


その中で「日本は何故、真珠湾攻撃を仕掛けたのか?」を自分の頭で考えて納得の行くまで調べる意識が大切です。


真珠湾攻撃の背景を次の通りに考えれば、辻褄が合います。


①日本に石油の輸出を禁止にするなどして日本を戦争に巻き込んで行った。


②日本に忍び込んだスパイらによって、官僚やマスコミらは戦争に協力しないのは「非国民」とするなど、戦況を悪化させた。


①②の動機は、イギリスやアメリカ政府に大きな影響力を持っていた国際主義者が、日本や中国など東アジアへの影響力拡大を図った事であった。


以前にアップした大東亜戦争関連の記事をいくつかリンクします↓↓↓




◆マスコミによる報道は全て正しくない


またテレビやラジオのニュースや報道番組や新聞などマスコミによる報道は全て正しくありません。そのことを真珠湾攻撃が行われた12.8を機に一人でも多くの方々に意識していただけたらと思い申し上げています。


それも戦後GHQによって、マスコミも含めた日本が占拠された歴史があることと、その影響が今でも続いていることを忘れてはなりません。


マスコミによる情報はイギリスやアメリカ政府に大きな影響力を持ち、大東亜戦争などを機に日本にも影響力を拡大した国際主義者達にとって都合の良いものが多く、逆に都合の悪いものは殆ど報道されません。


今年マスコミによってよく報道された、ウクライナ情勢の真相を取り上げた記事も併せてリンクします↓↓↓

よく「自由と平等」という言葉を耳にしたり、「自由と平等」は我々が描く理想とイメージしがちです。


ところが実際には「自由」と「平等」の両立ほど、難しいことはないのです。職業の選択など国民一人一人が自由に行動すれば、サラリーマン、自営業、医者、弁護士、スポーツ選手などと「平等」とは正反対に、必ず「格差」が生じます。職業選択に限らず、一人一人の自由に行動する内容が違うと収入の量や幸せを実感できる場面やその回数に差が生じて「格差社会」となるのは極自然なことです。「自由な社会」は実は「格差社会」の裏返しなのです。


一人一人が同じマニュアルに沿って行動すれば、「平等」な社会は実現しますが、それでは一人一人が自分の意思で行動できる「自由」が失われます。


「格差」と「平等」の如く、「自由」と「平等」は対義語(反対言葉)の関係です。


その格差を不満に思い、「平等」になる「権利」を主張したり、「平等」になる「権利」を主張したくなる人間の心理につけ込んだりする方々が多いのも、世の中をおかしくしている大きな要因となっています。


エジプト、リビア、ウクライナなどで起きた「民主化」という名の混乱も、格差が生じる「自由」な社会に対して、「平等」になる「権利」を主張したくなる人間の心理につけ込んだものに違いありません。


そこで本題に入りますが、欧米諸国も含めて、世界の多くの国と地域が「自由で平等な社会」の実現に至らずに壁にぶち当たっていると、最近よく耳にします。自由と平等は対義語なので大いにあり得ることだと思いますが、その中でも古来「自由と平等とのバランスが取れた社会」が存在し続けている地域があります。その地域とは一体何処でしょうか?


その答えは「日本」です。


その理由を説明しますと、先日の記事でも取り上げましたが、日本の本質(日本社会の現在地・今の立ち位置)は、2000年以上前から現在でも生き続けている「天壌無窮の詔」です。


《天壌無窮の詔の意味》

◯働くのは社長も含めた上司や同僚など特定の人の為(奴隷状態)ではなく、自分達や世の中全体を豊かにするためである。


◯自然の恵みや、周りの人達への感謝と大切に思う心を持ち続けることが、自分達の発展や、持続可能な社会に繋がって行く。


そもそも「天壌無窮の詔」の発せられた目的は自分達の家(天皇家)の発展のためである。古来天皇家は、天皇家による支配ではなく、国民全員による役割分担によって、天壌無窮(持続可能)な社会にする手段を容認し続けました。その役割分担は大きく分けて「天皇に代わって政治を実行する者」と「生産的な活動をする者」の2つです。


政治を行ったり、生産的な活動をしたりする手段は手段は国民一人一人の自由です。但し政治を実行するのに相応しくない判断された時には、ライバルに蹴落とされたり、生産的な活動をする者達に引きずり下ろされる厳しさも存在していました。その厳しさも含めて、やはり自由の裏側にある格差も存在し続けています。


古来我々日本人は、その格差を「天壌無窮の詔」の意味を成す「自然の恵みや、周りの人達への感謝と大切に思う心」やその心を基にした「和を重視した考え方」「礼儀正しさ」などによって受け入れ続けています。


それらの日本人の格差の受け入れ方こそが、自由と平等のバランスの取れた社会にする大切な知恵なのではないでしょうか。


ところが、近年の日本でもよく「格差社会」をマイナスに囚われてしまうのは、他人よりも自分、他人よりもお金や名誉で、それらのためには他人を蹴落としたり締め付けたりしても良いというような、古来の西洋や中国など大陸の一般的な考え方が、日本にも蔓延してる影響によるものではないかと思います。


今世界は全体的に、分断や内乱や多くの人達から利益や財産を搾取する独裁政治などによって、自由と平等との両立は行き詰まっています。表向きは自由と平等の社会であろう欧米諸国ももちろん例外ではありません。古来自由と平等のバランスを上手く取れて来た日本でも自由と平等とのバランスが崩れてしまう不安もなきにしもあらずです。


近い将来、その行き詰まりを克服した繁栄が望まれたり求められたりする世界の多くの地域では(先程述べたような)古来日本社会で多くの日本人達によって培われた、自由と平等のバランスの取れた社会にする知恵が、ますます重要視されるのではないでしょうか。


食糧問題の情報を目や耳にすることもあるかと思いますが、実際には、食糧問題どころか、世界の穀物の生産量は順調に伸びており20世紀半ばで約10億トンであったのが、今世紀に入ってその倍の20億トンを超えて、今日では30億トンに迫る勢いである。それらの食糧の分配を地球全体で工夫を重ねることも、豊かな自然からの恵みを、豊富な食糧に置き換えることによって、自由と平等のバランスの取れた社会にする知恵を活かせる可能性が高くなります。


ここ最近の記事でも取り上げているように、国際主義者達の影響力が日本にも拡大している事によって、世の中がおかしくなっていると思えます。その国際主義者達による波に呑まれないためにも、我々日本人は古来大切にされ続けている「天壌無窮の詔」とそこから見出された「自由と平等のバランスの取れた社会」を意識した言動を一つ一つ積み上げて行くことが大切です。


国際主義者達には「天壌無窮の詔」とそこから見出された「自由と平等のバランスの取れた社会」が良いと、ガンジーみたいに非暴力で闘うことを含めて訴えて行きましょう。

先日の記事で「世の中おかしい」と申し上げました。↓↓その先日の記事

その次の記事からおかしいとよく言われる世の中をこれからどう生きて行くのが良いのかを、何回かに分けてまとめており、これまで5回記事をアップしました。

↓↓1回目の記事


↓↓2回目


↓↓3回目


↓↓4回目


↓↓5回目


6回目の今回は「「學」という文字の意味」です。


「學」という文字の意味は?
「学」という文字の意味は?

「学」という漢字は常用漢字で、元々は「學」と書いていました。その元の「學」という文字(写真)こそ本当の意味が表記されているのです。



二つの「メ」は交わりを表しています。上部の「メ」は祖先の霊、学問、芸術、文化との交わりを意味しており、下部の「メ」は仲間との交わりを意味します。

建物(恐らく家庭、学校、塾など)の意味を表す冠の下の中心に 「子」を配して構成 されています。漢字の上部の左右対称の「臼」のような表記は、子どもの交わりをケアし、導いている大人の両手の意味しています。

それらの意味からも、「学」とはただ単により多くの知識を詰め込み、受験や就職や出世などの競争で他人を蹴落としたり、歪み合ったり、踏み台にしたり、支配したりする事ではないとわかります。

また「まねぶ」→「まなぶ」という変換の通り、人の真似をしながら色々な事を覚える意味もあるそうですが、それだけではないこともわかります。

「學」という表記から次のような意味が読み取れます。

受け身の姿勢で、教えられたことを覚えていくだけではなく、子供達は、保護者や地域の方々、教師など周りの大人に見守られ、支えられながら、学問や芸術、文化などと先生や仲間達と一緒に自ら積極的にかかわりながらしっかり交わリます。それによって人の話を聞いたり、自分の意見を述べたりするコミュニケーションの力も高まって行きます。

都市化、少子化、核家族化、女性の社会進出、晩婚化などによって、子育てには決して優しくない環境の現代だからこそ、「學」という文字の意味をしっかりと頭にいれながら、子育てなどを通じて我々の子孫をより良く残して行くべきです。
 
それも、おかしいとよく言われている世の中を前向きに生きるための大切な方法の一つです。

先日の記事で「世の中おかしい」と申し上げました。↓↓その先日の記事


その次の記事からおかしいとよく言われる世の中をこれからどう生きて行くのが良いのかを、何回かに分けてまとめており、これまで4回記事をアップしました。

↓↓1回目の記事


↓↓2回目


↓↓3回目


↓↓4回目


5回目の今回は「過労問題が発生する本当の原因は?〜働くことの本来の意味〜」です。


過労による自殺も含めた過労死や、その対策としての「働き方改革」一時的に世間をにぎわせました。さらに会社などでは「ノー残業デー」など残業を抑制する動きがよく見られるようになりました。


しかし、こうした動きは、労働・働く事に対するマイナスのイメージを持ってしまったり、国民全体の生産活動低下に伴って、日本の弱体化がその分進んでしまうだけで、過労による自殺など、労働から起きる精神的な苦痛の根本的な解決にはなりません。何故なら労働から起きる精神的な苦痛は決して労働時間とは比例しないからです。もちろん残業が多ければ良いという訳ではありませんが、私めとは違い、仕事が好きな人や前向きに取り組んでおられる方なら、たとえ月100時間近い残業をしても過労自殺なんてしないでしょう。


それよりも、他人よりも自分、他人よりもお金というような、古来の西洋や中国など大陸の一般的な考え方が、特に近年、日本にも蔓延してる影響なのか、他人を蹴落としたり締め付けたりするなど、人に「感謝」をしなかったり、人を「大切」にしなかったりと余裕が殆どない雰囲気があちこちで漂っているようですね。

お金を払っているサービスや、お給料をいただいている仕事も含めて、他人にやって貰うのを当たり前だと思うな!&軽視するな!ということです。

そのことを忘れているのか、元々頭に無いのかよくわかりませんが、他人を安易に批判したり罵ったり、他人に安易に文句を言ったり、歪みあったり、ミスした時にミスした人に対して怒ったり文句を言うだけなど、お願いや感謝など他人に対して頭を下げる気持ちを忘れているのか、それとも元々頭に無いのか、と思える言動をあちこちでよく見聞します。

(お金を払っているサービスや、お給料をいただいている仕事も含めて)他人にお願いすることや感謝することを抜きにして、他人にやって貰うのを当たり前だと思うこと&軽視することの慢心を抱くことは、奴隷を動かす支配者と何ら変わりません。自分の身の回り誰かに対して精神的な苦痛を与えて奴隷状態に陥らせてしまいます。

その慢心によって他人様に与える苦痛こそが、過労による自殺などの諸問題の根本的な原因に違いありません。

特定の誰かの慢心によって奴隷状態になっている職場は変えた方が良いでしょう。転職するのも全然有りです。それくらい誰かの慢心によって奴隷状態で働くことは無意味であるのです。奴隷状態によって精神的な苦痛に耐えられない状況であれば尚更です。また「働くことは修行である」と意識するなど仕事に対して前向きな考えを持てているうちなら大丈夫ですが、そうでない場合も尚更です。

冒頭で述べました「働き方改革」や「ノー残業デー」などの一連の動きは、過労による諸問題の一時的な解決にはなりますが、その慢心に囚われている限り、また同じように過労による問題を引き起こすでしょう。

それでは、過労による諸問題の解決や、未然に防ぐ方法は一体何でしょうか?

それは、このブログでも何回も取り上げているように、「天壌無窮の詔」の意味をしっかり理解しながら、仕事に取り組むなど生活して行く事です。


《天壌無窮の詔の意味》

◯働くのは社長も含めた上司や同僚など特定の人の為(奴隷状態)ではなく、自分達や世の中全体を豊かにするためである。


◯自然の恵みや、周りの人達への感謝と大切に思ったり思いやったりする心を持ち続けることが、自分達の発展や、持続可能な社会に繋がって行く。


日本人が勤勉とよく言われ続けているのはその「天壌無窮の詔」によるものです。「過労」による問題はその「天壌無窮の詔」と矛盾した状態で発生します。その矛盾した状態は、単純に労働時間が多過ぎたり休みが少な過ぎる状況だけでは発生しません。先程から述べているように、特定の誰かの慢心によって、労働者が精神的にも肉体的にも追い詰められた奴隷状態で初めて発生するのです。


そもそも「天壌無窮の詔」の発せられた目的は自分達の家(天皇家)の発展のためです。天皇家の発展には(天皇家の支配による全国民の奴隷化ではなく)全国民の手によって国全体や各々の国民の繁栄が欠かせないと仰っています。正に「情けは人の為ならず」皆自分に還って来ます。


【私達が働く本来の目的】

もちろん私自身にも言えますが、働く本来の目的は、「天壌無窮の詔」に沿って、持続可能な社会を築いて行くために、お客様も含めて世の中全体を豊かにすることですが、当然そのことは働いている本人(自分達)も含まれています。


周りや世の中全体がどれだけ豊かになっても働いている本人が精神的にも物理的にも豊かでなければ意味がありません。


働いている本人が(奴隷状態ではなく)物理的にも精神的にもより豊かになって初めて働いている意味が生じるのです。


また、我々を取りまく自然環境や、我々の祖先や、周りの方々に対して、「お願いします!」「ありがとう!」という感謝の気持ちを持ち続けて、周りにもしっかりと伝えて行くこと大切です。

先日の記事で「世の中おかしい」と申し上げました。↓↓その先日の記事


その次の記事からおかしいとよく言われる世の中をこれからどう生きて行くのが良いのかを、何回かに分けてまとめており、これまで3回記事をアップしました。

↓↓1回目の記事


↓↓2回目


↓↓3回目


4回目の今回は「自分を律すること」です。

「誰も見てないから」

「誰かに言われたから」

というような受身の言動を繰り返しているうちは、自分を律することはとても難しいでしょう。


「自分を律すること」の良い方法の一つが「陰徳」(写真)を実践することではないでしょうか。


いきなり「誰もみていないところで、よいことをすること」から「ひとからして貰った、よいことに気づくこと」と「陰徳」の全項目を実践するのは、難しいと思いますが、その中の1〜2項目を実践するだけも「自分を律すること」【自律】に繋がって行きます。是非実行してみて下さい。時には我慢をして耐えながら実践を続けると、いつの間にか自分をポジティブにコントロールする感覚が身について、それが「自信」となります。

自分で車を運転して自分の行きたいところへドライブに行くのはストレス解消になると言われますが、それと同様に自分をコントロールする「自信」はストレス解消にもなり、それが生きることの楽しさにもなる筈です。

その「自信」が「自分を律すること」【自律】となります。

自分を律することにより、これまでアップした記事でも述べてきました「精神武装」「己の浄化」「今を大切にすること」も実践し易くなり、よくおかしいと言われている世の中を前向きに生きることも可能となるでしょう。


☆「陰徳」の例
「陰徳」の例の一つとして挙げられるのが、サッカーのゴールキーパー(フットサルのゴレイロ)ではないでしょうか。

キーパーは主に相手のシュートを止める時にボールに触り目立ちますが、試合だけでも、ボールに触らない89分間の動きが大切になります。その動きで代表的なのが、いつシュートを打たれても止められる確率がより高いポジションをキープすることや、フィールドプレーヤーのディフェンスのポジショニングなどのコーチングです。

試合以外でも、体力づくり、キャッチング、ボールへの反応の練習など、試合でいつシュートを打たれても止められる確率を少しでも上げたり、スローイングでより遠くにより正確にボールを投げられるようにしたりする為の地道な努力が欠かせません。もちろんこうした地道な努力はゴールキーパーに限った話ではありませんが...

相手シュートを止めるシーンを「人が見ている時」とすると、いつシュートが飛んで来ても止められる確率をより高くする試合中のポジショニングやコーチングや、試合以外での練習や準備と「人が見ていない時」がいかに重要であるのかがよくわかります。

「キーパーはボールに触れない89分間と常日頃の練習や準備などの動きで決まる」

そのことも「陰徳」の良い例ではないでしょうか。

☆その他の「陰徳」の例
ゴールキーパー以外でも、皆様「陰徳」の良い例をどんどん思い浮かべるなど、挙げてみて下さい。

好きな人や大切な人が見ているところだけで、良い格好をしたり良いことを言ったりするだけではダメなのです。「壁に耳あり障子に目あり」「一時が万事」で彼らがいないところなど見ていない時でも、出来るだけ自分にとってベストな言動を積み重ねる。これも正に「陰徳」ですね。

先日の記事で「世の中おかしい」と申し上げました。↓↓その先日の記事


↓↓↓1回目の記事


↓↓↓2回目の記事

3回目の記事は「今を大切に」「今でしょ!」です。


旅をしている時などに、現在地がわからないと、行きたいところに向かえない。


現在地(今がどういう状況なのか)がわからないと、行きたいところ(未来への希望・これから何をやりたいのか)がよくわからない。


世の中がおかしいと思えた時こそ、現在地・今の立ち位置を再確認することが大切です。


日本社会の現在地・今の立ち位置は、2000年以上前から現在でも生き続けている「天壌無窮の詔」です。


《天壌無窮の詔の意味》

◯働くのは社長も含めた上司や同僚など特定の人の為(奴隷状態)ではなく、自分達や世の中全体を豊かにするためである。


◯自然の恵みや、周りの人達への感謝と大切に思う心を持ち続けることが、自分達の発展や、持続可能な社会に繋がって行く。


そもそも「天壌無窮の詔」の発せられた目的は自分達の家(天皇家)の発展のためである。正に「情けは人の為ならず」皆自分に還って来る。


その現在地を理解せずに、周りに対して不満に囚われているかのように文句を言ったり批判をしたりしているだけでは、明るい未来なんてない。国鉄や郵政の民営化や移民政策のように、世界制覇を企んでいる国際主義者などの方々に「サービス向上」「人手不足解消」など悪徳商法のようなうまい話の口車に乗せられるだけで、最悪な場合自分や自分の子孫の故郷日本を衰退させてしまう。それこそお先真っ暗な状態である。本質的に悪徳商法に騙されてしまうことと何ら変わらない。悪徳商法に引っかかると最悪な場合、自分達やその子孫の身を滅ぼすことも大いにあり得る。それと同じようなことが日本社会全体にも起きている。


そういう現実にもかかわらず、先程述べた日本社会の現在地・立ち位置を着実に理解してこそ、初めて明るい未来に希望が持てる。


明るい未来に向けてやるべきことは、現在地・今の立ち位置を冷静にかつなるべく正確に把握しながら、目の前の一つ一つの事に集中する行動を積み重ねる。


未来に希望を持つには?「今でしょ!」

前々回の記事で「世の中おかしい」と申し上げました。

前回からおかしいとよく言われる世の中をこれからどう生きて行くのが良いのかを、何回かに分けてまとめております。
↓前回の記事↓
2回目の今回は「己の浄化」です。

自分の身の回りのことも含めて世の中の不平不満に対して、他人のせいにばかりして、他人に不平不満の文句を言ったり、誰かの存在そのものに依存したり、何処かの団体に属したり、何かの集まりに参加したりしているだけでは何も変わらない。世の中や社会に当てはまる家庭や職場や地域や国や世の中全体を良くするには、先ずは自分自身の身の回りの部屋やお手洗いなどの掃除や人間関係の整理整頓など自分自身を変えることから始めるべきである。それが「己の浄化」である。

◆大学
「己の浄化」の効果にふれる前に、以前にこのブログでも取り上げた、儒教の教えにある、大人になるための「修己治人」である「大学」の内容(三綱領「三つの柱」)をもう一度まとめた。

●大学の三綱領「三つの柱」
大人になるための「修己治人」をどのようにして実践するかをこの三綱領で述べている。
1.明徳を明らかにする
明徳とはわかり易く言えば、人生の目標やビジョンのようなものである。
2.民に親しむにあり
政治家が民に親しみを持つように、皆との一体感を持つことが大切である。
3.至善に止まるに在り
会社の事業はお客様など世のため他人様のために行い、私利私欲に囚われ過ぎたり、社長も含めた上司や同僚など特定の人の為に働くなど奴隷状態になったりして、道理や義を超えては行けないという意味である。至善が道理や義を意味することは言うまでもない。

その「大学」を実行する方法をまとめたものが「八条目」であるが、次に記したその「八条目」の内容を辿っていくと、よく「おかしい」と言われている世の中を前向きに生きる元気が湧いてくる。

【八条目】
①格物
自分自身を正す
②致知
格物により、物事の道理を知る
③誠意
致知により、意識感情が正常になる
④正心
誠意により、心も正しくなる
⑤修身
正心により、身がよく修まる
⑥斉家
修身により、家庭も修まるようになる
⑦治国
斉家により、国も治まるようになる
⑧天下泰平
国も治まると、天下泰平へと繋がって行く

以上の「八条目」こそが正に「己の浄化」の効果を訓示しているのではないか。その「己の浄化」の効果によって、世の中のおかしい部分に呑まれたり流されたりすることなく、前向きに生きられるのではないでしょうか。

前回の記事で「世の中おかしい」と申し上げました。↓前回の記事↓


今回からおかしいとよく言われる世の中をこれからどう生きて行くのが良いのかを、これから何回かに分けてまとめ行こうと思います。先ず最初に「精神武装」です。


恒久の平和が望まれる中で、武装というと確かに物騒な響きです。


しかし自分の身を自分で守る武装は、古今東西大切な事です。ここで申し上げる精神武装とは正にそのことです。


精神武装をしっかりしないと、コロナ禍、地球温暖化、不景気、物価上昇、受験戦争など、不安を煽るような報道などの情報に鵜呑みにされますよ。


はっきり申し上げますが、マスコミのによる報道などに流されて、洪水や干ばつのような農業など経済活動に影響を与えてしまう災害や、異常気象を短絡的に温暖化と結びつけるのは、明らかにおかしいし、私に言わせれば恥としか言いようがありません。


仏教の教えで「色即是空 空即是色」とあるように、この世の全ての物事は不変ではなく常に変化し続けます。地球環境そのものも、地球環境に多大な影響を及ぼしている太陽の活動も大いにそれに当てはまります。異常気象や気候変動の原因やメカニズムなどの研究も、その目線で今後も続けられると思います。


精神武装について、「移民政策」を例に挙げますと、少子高齢化を理由に人手不足になるからという理由で「移民を大量に受け入れよう」という口車に乗せられてしまうと、犯罪の増加や、国籍、人種、宗教、文化、習慣などアイデンティティの違いによる、地域社会や職場などでのでの人間関係のトラブルや日本国内での分断の進行の恐れがあり、日本社会までもが分断共存状態がより鮮明になってしまいます。日本社会の分断共存化の進行が「日本の弱体化」に繋がってしまうのは言うまでもありません。


分断社会では、日本社会で古来大切にされ続けている「天壌無窮の詔」が発せられた目的であろう持続可能な社会づくりに反してしまいます。


持続可能な社会づくりのために…


なるべくなら、自分の国など故郷は自分達で住みやすい社会環境を作る。


我々も、日本という素晴らしい社会を築かれた御先祖様達も含めた周りの方々に感謝をし続ける。


「日本の弱体化」を防ぐことは、自分の身を自分で守ることに等しいです。日本や自分達の身を守るには精神武装が必要不可欠です。


私がここで申し上げる精神武装とは、古来日本列島に存在し続けて来た豊かな自然環境やそれらの恵みが育んできた大切なものを見失わずに、常に大切に意識し続けることです。


《豊かな自然環境やそれらの恵みが育んできた大切なもの》

◯自然の恵みに限らずに、御先祖様も含めた周りの自然や人達に対して感謝し続けること


◯自然に宿る魂を感じることにとどまらず、御先祖様も含めた周りの自然や人達に対して、思いやりを持ち続けること


◯言葉や文章よりも大切なものは、感謝と思いやりの気持ちや情熱を持てる「心」である


◯物事を見る時は常に(自己中心的かつ不変ではなく)色即是空 空即是色(常に変化し続けること)と物事の存在や起こりには必ず理由や原因があることを頭に入れて置く


◯(社長も含めた上司や同僚など特定の他人のためや奴隷状態ではなく)あくまでも自分達と社会全体を精神的にも物理的にもより豊かにするために仕事をする