皆さま、大変ご無沙汰しております。

 

 というかもはや更新する方が珍しい、というくらいの情けない更新頻度となっている当ブログですが。

 久しぶりにちょっと頑張って動かしたいと思います。

 それはいまだにこちらを覗いて下さっているような方はもうとっくにご存じだと思いますが、

 

 大河ドラマ「平清盛」NHKオンデマンド配信がスタートしたから!!!

 

 いやあ、めでたい!!

 そんなわけで、また第一話から改めて感想をアップしていきたいと思いますラブラブ

 

 実はリアタイ時もハマったのは途中からだったので、前半はほとんど感想アップしていなかったんですよね。

 当時ほどの熱量、分量ではもう書けないと思いますが最終回まで書いてみたいと思うので、もしよろしかったらお付き合い下さいませ。

 

 

海に生き 海に沈んだ一門

 源頼朝が、亡き父義朝の菩提を弔うための寺院建立に立ち会っているところに、妻の政子が飛び込んできて、長門の国、壇ノ浦にて味方が勝利をおさめ、平家一門は海中に沈んだという知らせをもたらします。


 歓喜して、「武士の本分を忘れ、貴族の真似事をして自ら滅びた平家」と嘲笑する御家人たちを頼朝は、「平清盛なくして、武士の世はなかった」と一喝します。

 


 岡田将生くんの頼朝さま。凛々しいラブラブ

 

 でもこの初回の頼朝の台詞は、最初に見たときは、

「え~、また根拠のない主人公アゲ?」

 ってちょっとしらけたのを覚えています。

 

 だって敵であるはずの頼朝にまで清盛を褒めさせるなんてねえ~、と。

 

 当時は、主人公がやることなすことは周囲から褒められ讃えられるっていういわゆる主人公チートな大河ドラマがいくつか放送されておりまして。

 

 そういう大河ドラマにいまいち肌に合わないものを感じていた私はちょっと疑心暗鬼になっていたのです。

 

 また主人公無条件アゲのご都合大河? って。

 まあ、見始めてすぐにそんな感想を抱いた自分を自分でぶん殴りたくなるわけなのですが。

 

  そして頼朝さまのナレーション(海の底用語でナレ朝)による

 

「海に生き 海に栄え 海に沈んだ平家という巨大な一門。

 その一門を築き上げた男、平清盛こそが、誰よりもたくましく乱世を生き抜いた真の武士であったということを──」

 

 というナレーションからのオープニング!

 なにこれ、エモ! エッモ!!!( ;∀;) かっこよ!!!

 

忠盛と舞子の出逢い

大河ドラマを見る醍醐味に、人ひとりの一生を通して時の流れを感じることが出来るという点があると思いますが、この「平清盛」はまさしくその時の流れ、人から人へと受け継がれる想いを描いた作品です。

 

物語は、平氏の若き御曹司、平忠盛と白拍子の女、舞子の出逢いから始まります。

 

本作の主人公、清盛はとても危ういというかバランスの悪い主人公です。

そこが魅力でもあるのですが、特に序盤は理解も共感もしづらい。

少なくとも私はそうでした。

 

その清盛の危うさを補って余りある安定感でしっかりと支えていたのが、中井貴一さん演じる忠盛父上の存在であったと思います。

私はこの忠盛役を通して中井貴一さんを改めて「こんなにかっこいい役者さんだったのか!」と思いました。

 

平清盛は、「平家物語」のなかでは白河法皇とその寵姫、祇園の女御との間に生まれた子で、まだ母のお腹にいた頃に母である女御ごと忠盛に下賜されたと言われています。

 

事実なのかもしれないし、のちの清盛の出世ぶりが一介の武士の出にしてはあまりに目覚ましいのを見た世間の人々が、「法皇さまの落とし胤であるとしたら頷ける」と納得するために作り出した作り話なのかもしれません。

 

真偽のほどは分かりませんが、本作のなかでは清盛はその祇園の女御が妹のように可愛がっていた白拍子の舞子という女性が白河院の寵を受けて身ごもった子だとされています。

 

すべては、白河院の養女で、時の帝(のちの鳥羽院)の后となっている璋子(たまこ)が原因不明の病に伏せるところから始まります。

 

 

璋子を溺愛している白河院は、陰陽師の占いが告げた

「舞子のお腹のなかにいる子は王家に仇なす存在だ。璋子の病もその子が原因だ」

という言葉を真に受けて、舞子のお腹の子供を始末させようとします。

 

身重の身で逃亡をはかる舞子。

追っ手の迫るなか、厩に身を潜め、一人赤子を産み落とした舞子の前に、現れたのが忠盛でした。

 

すべての物語は、2人の出逢いから始まっていきます。

河原で力尽きて倒れていたところを忠盛に助けられ、厩でのちの清盛となる赤子を産み落とした舞子。

 

忠盛は、父・正盛や一門の反対を押し切って舞子とその赤子を匿います。

 

遊びをせんとや 生まれけむ 戯れせんとや 生まれけむ

遊ぶ子どもの声きけば  わが身さえこそ揺るがるれ

 

忠盛の血で汚れた着物を洗濯しながら、歌を口ずさむ舞子。

 

「なんだ?その歌は?」

「今様にござります」

「なんじゃ流行り歌か。のんきな歌だな。遊ぶため、戯れるために生まれてきたとは。

…生きることは子供の遊びのような、楽しいことばかりではない」

 

このあと、舞子が忠盛にいった言葉が、本作を貫くメインテーマのひとつとなっています。

 

「されど苦しいことばかりでもありませぬ。

 子供が遊ぶときは、時のたつのも忘れて夢中になっておりまする。

 生きることとは、本当はそういうことにござりましょう?

 嬉しいとき、楽しいときも。

 また、つらいとき、苦しいときさえも。

 子供が遊ぶように夢中になって生きたい。そういう歌だと思って私は歌っておりまする」

 

 

やがて、舞子の存在は院側の追っ手を務めていた河内源氏の棟梁、為義の知るところとなり。

舞子は捕らわれて、院の御所へと連れてゆかれます。

 

院の御前の庭の白砂の上に引き据えられた舞子を、忠盛は必死で庇います。

しかし、白河院が下した決断は無情にも舞子に死を与えよといったものでした。

 

しかも

「そちが斬れ。たやすいことであろう。常々、盗賊らを斬っておるのだから」

非情にも忠盛自身に舞子を殺せと命令を下すのです。

 

 しかし、敢然と顔をあげた忠盛から出た言葉は……。

 

「法皇さまにお許しねがいたい儀がございます。私は……平忠盛は、この舞子を妻としとうございます」

 驚きに目を見開く舞子。

 

「なんとなんと…!武士の存在でようほざいた」

冷笑する白河院に向かって忠盛は訴えます。

 

「武士ゆえにございます。

武士ゆえに、私はこれまで王家に仇なす者を何人も斬って参りました。

洗っても洗っても落ちぬ、血の匂いに塗れていきて参りました。

それは、この舞子と赤子のような者の、慎ましい暮らしを守るためにござります。

そのような政を、院が、帝が行っていると信じればこそにござりましょう……!

されど……そうでないのなら……」

 

忠盛の「弱いものを守るために刀を握り、血に塗れながら戦っている誇り」が伺える、いい場面です。

 

その時。

「忠盛さま…」

彼の言葉を遮るようにして舞子が立ち上がります。

 

彼女は、それまで懐に隠すように抱きしめていた赤子をそっと忠盛に差し出します。

思わず抱き取る忠盛。

 

「良い名を、つけて下さりませ。……この子に、ふさわしい名を……」

囁くようにそういい残し。

最後に、忠盛の腕のなかで眠る我が子を、なんともいえない、情感のこもった「母の目」としかいいようのない慈しみに溢れた表情でみつめると。

 

舞子は立ち上がり、懐剣を取り出して白河院へと駆け寄ろうとします。

 

その刹那。

 

院御所を守護する北面の武士たちが一斉に放った矢に全身を貫かれて。

舞子は絶命します。

 

ほんの僅かな間にせよ、愛し、愛された忠盛と。

その命をかけて産み落とした我が子の目の前で。

 

「片付けておけ。血の匂いが残らぬようにな」

血に塗れ、白い花の残骸のように地に斃れた舞子の姿を見ても、微塵も心を動かされた様子もなく、白河院は言い捨てて立ち去ります。

 

残された忠盛は、物言わぬ屍となりはてた舞子に向かって、何度も呼びかけ続けます。

 

「舞子…舞子…!舞子……!!」

しかし、彼女がそのきらきらとした大きな瞳をあけることは二度とありませんでした。

 

舞子が命賭けで忠盛を救ったのは…。

彼と彼の一門を守るために、殺されるのが分かっていて立ち上がったのは、忠盛が最後の最後に彼女に見せてくれた『命がけの愛』ゆえだったのだと思います。

 

もちろん我が子を守りたいというのが最優先だったことは疑いもないのですが。

人は愛するだけでも、愛されるだけでも生きられません。

 

忠盛の、なんの見返りも求めない、わが身の保身すらも顧みない、無償の愛を受けとって。

舞子は自ら、殺される道を選びます。

 

人は自分の愛するもの、自分を心から愛してくれるものの為ならば、いくらでも強くなれるのです。

 

以上が本編の主人公、『平清盛』の生母、舞子さんの登場シーンのほぼすべてです。

ちなみに彼女は回想シーンは別として、第1回の放映にしか姿を見せていません。

 

けれど、彼女が忠盛に残した言葉

 

「子供が遊ぶように夢中になって生きたい」

 

という言葉。

志は、忠盛を通して、彼女の息子、清盛のなかへと受け継がれていったのです。

 

 

いつか 分かるのではござりませぬか。夢中で生きていれば。

……なんのために太刀をふるっているのか。

なにゆえ、武士が今の世を生きているのか

 

儚く、強く鮮やかに、混乱の世を生き抜いた一人の白拍子。

 

彼女がその命を賭けて産み、守り抜き、生涯でただ一人愛した男に託した赤子。

 

「平太」と名づけられたその赤子は、やがて。

その母の残した言葉のとおり。

 

子供が時を忘れて遊ぶように夢中になって、自分自身の生涯を駆け抜け、「武士が今の世を生きる意味」を見つけ出してゆくのです。

 

平氏の太郎

忠盛は、自分とはなんら血の繋がりのないこの赤ん坊に「平太」……平家の太郎(長男)という意味の名をつけて、自分の子として育てる決意をします。

 

第一回「ふたりの父」の回のなかでの忠盛が清盛に語った言葉。

 

「おのれにとって生きるとはいかなることか、それを見つけたとき心の軸が出来る。

 心の軸が体を支え、体の軸が心を支えるのだ」

 

第一回という物語の本当の序盤で語られたこの言葉が、この『平清盛』という作品を貫く、それこそ『軸』となっています。

 

「父上は強うござりまするな……私もなりとうござりまする!父上のような立派な武士に…!!」

 

父・忠盛のような強く逞しく。そして優しさをあわせ持った男になりたいと願い、自らの道を駆け上がってゆく清盛。

その道の果てに待っていたものは…。

 

物語後半になって、この親子のやりとりがもう一度、大きな意味をもってクローズアップされてきます。

 

『平清盛』は清盛の生涯を描いた一代記であると同時に、同時代の人々の生涯や悲願、想いをタペストリーのように織り上げた物語でもありました。

 

そしてその主要のテーマなひとつが『父と子』の物語です。

 

本編のなかにはたくさんの印象的な父と子が登場します。

 

時には争い、憎みあい、相容れない想いを抱えて衝突しながらも、息子たちは懸命に父の背中を超えようと前に進もうとし。

父たちはそんな息子たちの前に、時には厳しく、時には優しさをもって立ちはだかります。

そして、息子たちが自分を超えようとする時。静かにその道を息子に譲るように退場してゆくのです。

 

志半ばにして斃れ、死んでゆく父たちの想いは、その息子たちを通して次の世代へと受け継がれてゆきます。

 

物語の冒頭で頼朝が語った言葉。

 

《平清盛なくして、武士の世はなかった》

 

それは最近の大河によくみられた何の根拠もない主人公アゲアップなどではなくて…。

 

『平清盛』は、人の命には限りがある。けれど、その志は受け継がれ、生き続け、ついにはその宿願が果たされる時がやってくる、という主題を、一年間という時間をかけて描き出してくれた。

 

そんな『救い』と『希望』に満ちた物語だったのです。

 

平清盛なくして武士の世がなかったように。

 

やはり、『平忠盛』という父の存在なくして平清盛の存在はありませんでした。

 

忠盛が時の最高権力者、白河院の不興を買うリスクを承知のうえで、命賭けでその命を救った『平太』はやがて、平安末期の淀んだ世の中を鮮やかに切りひらき、風穴を開ける一本の矢となります。

 

というところで、今回はいったんおしまい!

長文へのお付き合いありがとうございました!!